「なんか好き」の力
他人に興味を持つ。
そこに、見返りは要求してはいけなくて。
相手が興味を持ってくれなくても、
相手に関心を与え続ける。
でもさ、
そしたら、枯渇してしまうよ。
他人に興味がない人間なんて居ないと思う。
ただ、興味を持っても、興味は返ってこなかったことが多くて、枯れてしまっただけ。
どんな他人にも、すべからく興味を持ち続けられる人間は
とても人を惹きつける。
ただ、それは興味を持った分、興味を持ってもらえた経験とのバランスが取れてて、
関心の海が、枯渇しなかったからだ。
そして、海を持てた人は、さらに豊かになる。
人との出会いに比例して、増え続けるからだ。
そんな、人達に、たまに出会う。
とても惹かれるし、こうなれたらいい、と思う。
そしてなれない自分。
普段接することが少ない人に話しかけて、
冷たくされたら、無理して互いを知り合う必要なんてあるかな、という考えが頭をよぎる。
でも、
相手が誰であれ、他人に興味を持つ。
これが出来ないなんて、欠陥人間じゃないか、なんて感じて、自己嫌悪が深まる。
でもきっと、そうじゃあないんだ。
きっと他人への興味が枯渇してゆくのは、与えても返ってこないのは、
与えてくれない、その人も海の持ち主ではないんだ。私と同じ。
枯渇したところから、どう興味は生まれるんだろう。
その謎は、きっと、枯渇した人同士で必死に対峙しても解けない。
当人だけが枯渇した理由を持っているわけではないから。
だから、興味を持つこと
が、どうしても心の底から思えない相手には、
「なんか好き」
を持っておけばいいと思う。
興味がない=嫌い、憎い
ではない。なのに、頑張って興味を持とうとして、相手からの見返りがなくて、
いつのまにか、壁を分厚くしてしまう。
だから、
興味はないけど、なんか好き
でいいんだ。
知りたいと思わなければ聞く必要はなくて、
「なんか好き」を間に置いた距離感で居ればいい。
相手のことは、知りたいと思った時に聞ければいい。
毎日ではない #毎日note
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?