見出し画像

ツライツライ合戦

あれが辛い、これが辛い、
現代は、世界はツライで溢れかえっている。

私の身近に、
他人の「辛い」に対して
自分の「辛い」で返す人間がいる。

そんな奴ほどウザイやつはいない、と私は思うのだ。
辛いなんて感情に、前例はいらねーのだ。

例えば同じ「ツライ」でも、生卵を床に落として割っちゃってツライ、もあるだろうし、受験に失敗してツライ、就活に失敗してツライ、恋人と別れてツライ。。というツライもある。

このように同じツライでも、程度がある。
だが、その「ツライの程度」は、人それぞれだから、どんな気持ちでその人がツライと言っているかはわかるわけがない。人の感情というものは、人それぞれなのだ。決して全く同じ感覚を知ることはできず、想像の域を出ることはない。

そして、同じツライことを経験したもの同士でも同様のことが言える。
例えば、同じ事故の経験者。同じ試合に負けたチームの仲間。
・・・身近な人の死。

一言でツライ、とは言っても
きっとそのツライは人それぞれ感じ方が全く違うのだ。
経験によっては、ツライけど次頑張ろう。となる人もいれば、ツラすぎて悲しみのどん底に落ち、1年くらい精神的に立ち直れないなんて人もいる。

これらは、まじで、人それぞれという奴なのだ。

それなのに、誰かの「ツライ」という経験に対して
「私もこんなことがあって~~(辛かったのよ)、だから、元気出して」
と言う人がいるとしよう。

正直、変な気分になるのだ。
的外れではないか?と、私はいつも思ってしまう。

だって、誰かが経験したツライと、自分が経験したツライが同じくらいかなんて誰にもわかりっこないのだ。だから、自分の基準で相手のツラさを勝手に決めつけるべきではない。
(ちなみに、この人は優しい。優しいからこそ同じようにツライことを経験した話をしてくれるのだ。優しいと私はわかっている。)

でもこういう人って実は、「他人のツライに寄り添ったふりをして自分のツライも吐き出したい人」とも言えるんじゃないかと考えてしまう。

少なくとも私はこういった類の人(私の場合はすでに身近にいるのだが)がどうも苦手で仕方ないのだ。

そして少し話は逸れるかもしれないが、最近私と同じツライを経験した人が、「自分の方がツライ」アピールをしてきて、私はかなりまいっている。

プライベートな話だからあまり具体的なことを書けなくて申し訳ないのだが、
その人にツライアピールをされるものだから、私は口をつぐむしかないのだ。
実はとても苦しいしツライのだが、ツライにツライで返すのが嫌なのだ。
そのように返された時のモヤっと感を知っているから。
人によっては、イラッとして感情を爆発させかねないと思う。

しかしここで大変な問題に気づいた。
私は私のツライをどこに吐き出せばいいのか分からなくなってしまったのだ。

そうして私は知り合いが誰も見ないnoteに書いている、というわけなのだが。。。

そもそも私は昔から悩みを人に相談するのが苦手なタイプで、自分のツライを人にいうことはあまりないから、相手に返答を求めることもないし相手を困らせることもない。

だがしかし、相談されることは多々ある。ツライと言われたその時、その人がどういう返答を求めているのかを考えるのは難しい。慰めも、人によっては適切でない時がある。

ツライ、に対する返し方を研究する必要がありそうだ。

これは、嬉しい、悲しい、怒り、どの感情に対しても言える。感情の程度は難しい。感情があるから、人間ってのはむずかしいんだよ。。とかなんとか、帰着しない思考をぐるぐるしてしまう、寒い寒い冬の夜であった。

おわり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?