もし自分には「何もない」と思えたら…
これ、しょっちゅう思います。
わたしなんて…
なんだか、報われないことばかりで
いつになったら晴やかな人生を生きているのだと。
もう、なにもないのだったら、いっそすべて手放して
生まれたままの赤ちゃんに返って、ただただいつも笑って、泣いて過ごしたいとさえ思います。
でも、そんなわたしを支えるのはいつも「書く」力。
なんにもないと思えるそんなときでさえ、
なんにもない、何者でもない自分から書き続けて。
もちろん、叶えてきたこともたくさんあるけれど、
基本、「なんにもない」自分を思い知るとき、その闇さえ
雪かまくらのようにわたしの身を包み、そっと休んでは
癒しつづけることもできました。
なんにもない、って、とてもしずか。
そんなときに、煌びやかに輝くSNSを眺めると
どうしても休みたくなって
いつも、自分のサイトに立ち戻る。
そう、ここが自分の場所だから。
誰にも傷つけられないし、傷つけない
安心安全の場。
でもね、気づいたの。
ときどき、わたしたちは自分で自分を傷つけてしまうときがあるよねって…
「なんてヘタくそなんだ」「めちゃくちゃなんだ」って
すごい人と見比べては、わたしなんていなくたってほんとうに地球は同じように廻っていくことを思い知らされてしまいます。
でもね、きっと
そんな自分の飾らない言葉だからこそ、伝われる人がいる。
「すごいひと」でなく、いつもどこかその辺にいそうなわたしの言葉だからこそ
なにかまっすぐ響いて、受けとってもらえることもある。
ご購読いただけることもある。
なんにも、ないようなところから始まって。
なんにもなくても、人と地球を想うきもち、そしてなにより自分を大切にすること。
それさえ忘れていなければ、表現はなんだって廻っていける。
「なにも」なくてもいい。
足さなくていい。
そう、その謙虚さを知るときに
…
……と、書くと長く暑苦しくなるのでこの辺で。
大勢の人からは「文字」しか見えていないけれど
たしかに、わたしは今ここに生きている。
「生きている」って実感、あなたはいつもどこで芽生えられますか…?
そういう場所、ぜひ大切にされてみてくださいね。
誰か人の土俵は降りて、自分の足でまっすぐ歩んでいくこと。
わたしたちは、そのときにしか「幸せ」を感じられないように出来ているのです。
(PS.先日ある人の完コピサイトを見つけて、めちゃくちゃ驚きました。
文章も写真もそっくりそのままで、名前だけ変えているような…
それ、ほんとに幸せですか?
マネしたって何もならない、自分の言葉で生きていきましょう)
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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