人の痛みを受け止められる人になる
こんにちは、流香です。
最近お人の「痛み」にふれさせていただく機会が多く、とても頭が下がる思いでいっぱいです。
・あの笑顔の裏に、こんなことが…
それを知るたびに、胸がきゅっとなり
自分の未熟さも知ることになる…
「私は、いろんな意味でまだまだだ」
そうした方々の、こころを受け止めることは何も義務でも義理でも必要ないかもしれませんが、それでもただ
「受け止めたい」とする思いや自分があること。
でも、それをうまくできなくて
どうも言語化できなくて、ただいっしょに笑うような…
どこか、もどかしくなる自分もまるごと包んで、ただただ「受け止めたい」と思える方々がいるということは、
逆にいうと、なんと幸せなことだろうか…
「そんなことが、あったのですね」
それは、あまりに壮絶なことも含まれていて、こちらが勝手に介入することは遠慮されるとしても
「こころ」を寄せることは、きっといつだってできるんだ。
そうした方々の、笑顔にふれさせていただくたびに
そっとその方の「背景」まで感じてみる。
人は、見かけや表面では何もわからないこと。
ネットでも、より軽やかなものが求められるからこそ、誰もそうした部分はあまり出さないですが、それでも。
どこかに、もしかしたら一番そばにいる方もそうなのかもしれないという心は
いつでもそっと、どこかで持っていたいと思います。
(追伸.そっとのご購読にも感謝でいっぱいです。
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