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ここから1m先、イライラとなっておりますので、ご注意ください。

イライラを解消してくれるサービスやモノのおかげで、僕たちのストレスは知らず知らずのうちに軽減されている。

例えば、信号機。

先日、大事な会議に遅れそうで、僕は急いで駅に向かう途中、運悪く信号に引っかかってしまった。いつもならかなりイライラして信号が変わるのを待っていたと思う。

しかし、その信号機は待ち時間表示付信号機だったので、あとどれくらいで信号が変わるのか目盛りがついていたおかげで、乗りたい電車にギリギリ間に合うということがわかり、イライラが半減した。


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有名だから知っている人も多いと思うけど、こんな話がある。

とあるアメリカの高層オフィスビル。このビルでは、エレベーターが旧式だったため、待ち時間が長いと苦情が絶えなかった。だが、新型エレベーターに改造するには、多額の経費がかかる。

何か妙案はないかと考えるうち、出てきたのが、この「エレベーターのそばに鏡を置く」というアイデアだった。

エレベーターのそばに鏡を置くと、待っている人は、身だしなみを整えたりして、時間をつぶすことができ、待ち時間を短く感じるだろうという心理作戦だった。

この狙いは大当たりし、このビルでの苦情は激減した。それ以来、エレベーターには鏡が付き物になったのである。

人は、意味の無い時間を嫌う。ただ待つだけではイライラするが、"意味のある時間"を過ごすことができれば、イライラしなくなる。コンクリートの壁に鏡を張り付けるだけで、劇的に状況が変わったのだった。

僕たちが生きている社会には、このように生活者のストレスを軽減するために、意図的に様々な工夫が施されているのである。


では、この例はどうだろう。

いつからだっただろうか、百貨店などのトイレでは、「オート開閉オート洗浄」になった。このトイレを初めて使用した時は、自分で流す必要がないから快適だなぁと思いはしたけど、そんなの最初だけで、このサービス本当にいるだろうかと思うようになった。

まだ用を足していないのに水が勝手に流れることがある。自動洗浄だと思っていたら、手動タイプのトイレであって、流し忘れたというケースも耳にする。

また、勝手に作動して便座が閉まってしまうこともあるし、掃除にも困ると聞く。「快適さ」を求めすぎて、「不便さ」を生んでしまった気がする。


ところで、不便さが、何かを生むということがあるはずだ。完成され過ぎている空間にいると、発想が受け身になる。

不便さの中では、人々は工夫をして、能動的にその空間と向かい合うけれど、快適過ぎたり、便利過ぎたりすると、全部乗っかればいいだけなので、思考が停止してしまう。



先日、仕事中に(女性用風俗のデートコース中に)、プリクラを撮った。10年ぶりだった。

10年ぶりのプリクラは進化していた。

僕がよくプリクラを撮っていた高校生の頃は、撮影中に床に置いた荷物を盗まれることが横行していて「盗難にはご注意ください」とよく注意喚起されていた。

しかし、プリクラ機は進化していて、今では撮影機内に「荷物置き場」がしっかりとついていて盗難防止が施されていた。撮影中にいちいち荷物を気にしなければならないというイライラが解消されていた。


そんな中、何より驚いたのが、「撮ったプリクラがすでに"切れて"出てくる」ことだった。

僕は「ハサミを探して、どうやって切る〜?どの部分が欲しい?」などと話し合う時間も楽しかったので、このサービスは確かに便利になっていたけれど、そういう変化は少し寂しかったりもした。



何年か前に、大晦日から元旦にかけて、家族旅行で出雲大社へ行ってきた。

その日は雪がかなり降っていて、気温は氷点下のとても寒い日であった。


旅館に着き、すぐに部屋へ案内されると思っていたが、その日は大晦日ということもありかなり混んでいて、そうはならなかった。待たされた時間はおよそ10分。

とても寒い日に、しかも長旅からの疲れで、ほんの数分待たされても、イライラしてもおかしくはなかっただろうけど、結論から言うと、この時はとても快適に待ち時間を過ごせたのだった。

というのも、「せっかく来ていただいたお客様を、待ち時間でイライラさせてはいけない」という旅館の心配りからか、その待ち時間に「お茶とお菓子」が出されたのである。

この時、見事に「無駄な待ち時間」が「楽しいひと時」に変わった。

その後、お菓子を食べ終わり、部屋へ案内されたのだけど、そこでも感動した。部屋に入ると、すでに暖房がつけられていて、ちょうどいい感じに暖められていたからだ。

寒い日に、暖房をつけてから部屋が暖まるまでの時間は、とてももどかしい。それが旅館のおもてなしによって、解消されたのであった。

こう書くと何気なく当たり前のことのように感じるかもしれないけれど、この一連の流れこそ本場の「気遣い」だと思った。



半歩先の気遣いが、便利で、心地良い。一歩先は、不便で、人間の思考を停止しかねない。そんな気がしてきた。

旅館での気遣いは、とても心地良く、感動したのは確かである。しかし、これ以上やり過ぎると、もしかしたらイライラに変わっていたかもしれない。さじ加減がとても難しい。


心地良いとやり過ぎの境目が、非常に曖昧で、何が良くて何が悪いのか、もはやよくわからなくなってきた。

サービスとは。おもてなしとは。ホスピタリティとは。相手を思いやる「気遣い」について、もう一度、深く考え直さなければならない。


「ここから1m先、イライラとなっておりますので、ご注意ください」




もし世界に、津波注意報ならぬ、そんな「イライラ注意報」があれば、住みやすく心地の良い世界になるのだろうか。それとも、また新たなイライラが生まれてしまうのだろうか。




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