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検索しまくっても自分の病気はあまりヒットしなかったーnoteに発信するということ

1,情報障害をカバーできる時代だけど


インターネットがあれば、いつでもどこでも気になることをすぐに調べることのできる現代。

大抵の場合は、調べたいことをググれば、すぐに大量の情報が目に飛び込んでくる。正しい情報なのか、誤った情報なのかに関わらず、大量の情報を見つけることはできる時代だ。

弱視と難聴のために、皆が当たり前に手に入れることのできる情報を、簡単には手に入れることのできないわたしだって、ネットひとつで情報を得やすい時代になった。

わたしにとっては、情報障害をカバーできる時代の弱視難聴であることがとてつもなくラッキーなことなのだ。

わたしの病気の名前は、オーディトリー・ニューロパシー。

1996年に初めて発見された比較的新しい種類の聴覚障害だ。

このことについて、2021年にいくつか記事を書いていた。

そのいくつかを再掲しながら今回の話を書きたいと思っているので、過去記事をもう読んでくださっている方は、目次から飛ばして「検索しまくっても自分の病気はあまりヒットしなかった」という項目から読んでいただけたらと思います。


2,弱視と難聴であるわたしの見え方・聞こえ方

わたしはオーディトリー・ニューロパシー〈Auditory Neuropathy〉だ。ANと呼ばれているこの障がいは、純音聴力検査では両側低音型障害、語音張力検査では最高明瞭度が50%以下、耳音響放射は正常反応、ABRは無反応という検査結果になる。

つまり、音は聞こえているけれど、言葉の聞き取りが著しく悪い難聴だ。静かな場所での1:1の会話なら問題ないけれど、にぎやかになると急に聞き取れなくなる。多人数での会話はできない。補聴器の効果も薄いけれど、人工内耳にすると効果が見込める。そんな難聴だ。

これは、わたしが10歳のころ、1996年に報告された新しい障がいのため、わたしがこの障がいであるとわかったのは、20歳過ぎてからだった。

聞こえにくい気がするけれど、聴力検査では音は聞こえてる。なんでだろう?

ずっと原因がはっきりしなかったし、それまでは、原因不明の視覚障害である弱視だということしかわかっていなかった。でも、本当は、中学生のときにわかった聴覚障害に伴う二次障害が視覚障害だったのだ。

弱視は、子どものころから、両目0.01。0.01というのは、全盲の一つ前であり、視界はぼやぼやしていて、色も文字も顔を近づけたり、ルーペや弱視用メガネ、拡大読書器を使わないと見えないほど。でも、わたしは、これが生まれた時からなので、「見えてる世界」をまったく知らない。だから、「ぼやけてるんでしょ?」と聞かれても、ぼやけて見えてる自覚は全くなくて、ぼやけてると思っていない。

でも、顔のパーツがはっきりわかるのは、顔をすごく近づけたときと、写真を見たとき。

隣りに知り合いがきても、声をかけられなければ、人が来たなとはわかっても、それが誰なのかはさっぱりわからない。〈よく知ってる人は、雰囲気でわかることもある〉

車がそばを走るのは見えるけれど、中の人までは見えない。

信号機は赤が青になったとかはわからないけれど、上から下に光が移動したのが見える。

建物はなんとなくわかるけれど、近くに行かないとそれが何の建物なのか、何のお店なのかはわからない。

子どもは走って行ってしまうとどこに行ったかわからなくなるし、同じくらいの子どもがたくさんいると、どの子が自分の子どもかわからなくなって、違う子に声をかけてしまう。笑

他にもたくさんあるけれど、少しずつ書いていきたい。

まったく見えないわけではないし、生まれた時からこの視力のわたしには普通の世界だけれど、見えてる人たちからすると驚くほど見えていない。

そんな感じの見え方だ。

弱視も難聴もどっちも少しは見えてて少しは聞こえてる。

見えにくくて聞こえにくい。それがわたしの世界なのだ。

3,言葉の発達が遅かったらすぐに発達障がいや知的障がいだけを考えないで~知ってほしいオーディトリー・ニューロパシーの聞こえについて

オーディトリー・ニューロパシーは、中・高温の音は比較的よく聞こえてるのに、言葉の聞き取りが悪いという昔は知られていなかった新しい聴覚障がいのため、子どものころの検査では耳に問題があるとはわからなかったためだ。

今思えば、子どものころはみんな声が大きかったし、大人もハキハキ話しかけてくれたから気づきにくかったのだろう。

騒がしい教室でグループになって給食を食べるときなど、「あれ?〇〇ちゃん今なんて言ったんだろ?」と思うことがあったような気もする。だけど、聴力検査では問題が見つからなかったから、自分が都合が悪いことは聞かないようにしてるのかなぁなんて思ったりして、小学生ごろまではさほど気にしていなかった。

でも、中学生になったとき、やっぱり聞こえが悪いと感じた。授業が聞き取れないときがあるし、グループになると友達が何言ってるかわからないときが増えたのだ。

それでもわたしは「目が見えにくい」にプラスして、耳も悪いなんてあまり思いたくなかったことを覚えてる。目が悪いだけで充分なのにって。

授業が聞き取り悪くたって、家で頑張って勉強すればテストもちゃんと点数をとれたし、1:1や1:2など少人数なら会話できるんだし、何も問題ないと思おうとしていた。

高校生になって、大学生になって、やっぱり聞こえがよくないと感じて、沢山悩んだ。

英語が好きで入った英文科の講義はオールイングリッシュ。日本語すら聞き取れないときがあるのに、以前よりも英語の聞き取りもうまくできなかった。

友達との食事が増えて、人数が多い食事会のときなどは、聞き取りにくさを感じずにはいられなかった。

補聴器を試してみたり、ボイスレコーダーで授業を録音したり、たくさん工夫をしたけど、どれもなんだか空回り。

聞き取りが以前より落ちてきた気がして悩みに悩み、大きな病院で検査した。

今までしたことのない検査をして、わかったのが、オーディトリー・ニューロパシー。

原因不明だと赤ちゃんのころに言われていた弱視も、

長年悩んでいた聞こえの悪さも、全部オーディトリー・ニューロパシーという名前がついていたものだったんだ…

それがわかったとき、見えるようになったわけでも聞こえるようになったわけでもないのに、嬉しくてホッとした。原因がわかることは心の面で大きいのだ。

そんな長年わたしを悩ませてきたオーディトリー・ニューロパシーの聞こえはというと、

内耳では聞こえているのに脳では聞き取れない状態で、

わたしの視神経と聴神経は、正常な神経の人よりもずっとずっと細くてもろいので、うまく景色や言葉を脳まで伝えることができないのだという。

神経太くできればいいのにと何度思ったことか!

でもいまはそうすることはできないので、医学の進歩にずっと期待をしている。

聞こえ方の特徴としては、

〇1:1の会話でハキハキ話してもらえれば会話できるけど、小さい声だと聞き取りにくくなること 
                                         〇今はマスクをしているから以前より1:1でも聞き取りが悪い 
                               
〇賑やかな場所での会話が苦手で、聞き取りがぐんと悪くなること 
                               〇多人数での会話は聞き取りが悪い 
                                                                     〇補聴器は効果が薄く、人工内耳だと聞き取りがよくなる〈わたしはまだ人工内耳はつけていない〉
                                                                    

といったものがある。

わたしも子どものときはわからなかったオーディトリー・ニューロパシー。

最近、診断がつく人が少しずつ増えてきているようで、赤ちゃんのときに気づいて小さいうちに治療をすることが大切だという。

音は聞こえてるけど言葉の遅れが遅い…となると、発達障がいや知的障がいを疑う人が多いのではないだろうか。

最近、赤ちゃんのときに気づけず、言葉の発達が遅いという理由で、小学校5年生まで知的障害が間違えられていた子どもがいるというニュースがあって衝撃を受けた。

「言葉の発達が遅く、少しでも聞こえが心配だと感じたら、周囲の意見に惑わされず聴覚専門の医療機関を受診してください」


と専門医も呼びかけているので、もし身近にそのような子どもがいたら、踏み込んだ聴力検査を勧めてあげてほしい。                                              

オーディトリー・ニューロパシーだけではなく、

世の中の自分とは関係ないと思われる障がいや病気に対する知識を多くの人がもつことで、だれかの人生のためにプラスになるかもしれないということを、多くの人に感じてほしい。

(続き)オーディトリーニューロパシーの女の子のお話もぜひ読んでください。

4,検索しまくっても自分の病気はあまりヒットしなかった

上記二つのエッセイは、noteを始めてすぐの頃に書いたものだ。(重複している部分もあるけれど、わたしがnoteを始めてすぐにどうしても伝えたいと思って書いたこと)

このころのわたしは、毎日のように自分の弱視や難聴について記事にしていた。

どうしても。どうしても。書かないといけないと思ったからだ。

その理由は、弱視の女の子のドラマが放映され、自分自身を見つめ直す機会が訪れたこと、そのタイミングで上記の同じ病気の女の子のニュースを目にしたこと、いろんなタイミングが重なって、わたしもちいさな一歩を踏み出さないといけないと思ったのだ。

オーディトリー・ニューロパシーのこと、ほとんど知られていないから。

正しく知っている人が増えれば、赤ちゃんの時に気づいてあげることができたら、適切な教育を受ける機会を得られる。

もしかしたら、大人であっても、なんだかよくわからないけど聞き取れないな、と悩み、辛い思いをしている人もいるかもしれない。

日本でまだわずかしか診断されていないこの病気。

わたしはこの診断名がついてからというものの、しょっちゅう検索にかけているけれど、情報量は多くない。

本日時点でGoogle検索で2410件…。診断名がついたころは何件だったのだろう。

他の病気をググればわかると思うが、ヒット数を比べてもとても少ないのだ。

情報をいくら調べてもわずかしか手に入らず。その病気の情報が少ないことは、とても孤独で不安になるものだ。

だけど、わたしは幸いに、同じ病気の人と知り合うことができた。それは大きな心の支え。

弱視として知り合った高校からの友人も、同じオーディトリー・ニューロパシーであったり、ネットで探してオーディトリー・ニューロパシーの会にも入ることが出来た。

それでも、わたしたちに出逢えずに、孤独で不安に思っている人たちもきっとたくさんいるはずだ。

今まさに、オーディトリー・ニューロパシーだと診断された子どもを持つ親御さんも、大人になってからわかった人も、きっと沢山検索するはずだ。調べるはずだ。

わたしは、専門家じゃないから、わたしに出逢えたところで大きく何かが分かるわけではない。

でも、仲間がいることは伝えられる。

こうやって、悩みながらも暮らしていることを伝えられる。

わたしは、検索し続ける理由に、医学的なことだけでなく、同じ病気の人の体験談を求めていた。

体験談をもっと読みたいと思って調べていた。

そして、何人かの体験談を読むことができて嬉しかった。

でも、一人ひとり職業も性別も全然違って。当たり前だけれど、わたしと似た境遇の人は少ない。

とくに、オーディトリー・ニューロパシーは難聴だけの人も多く、弱視もある人は決して多くはない。

だったら、ただのそこらへんにる主婦として、ただの子育て中のママとして、わたしも体験談を書こう。

検索しても検索しても、情報が見つからない孤独を知っているから。

検索したら、自分に似た境遇の仲間がひょいっと見つかるようになってほしい。

そんな場所にnoteは最適なのだ。

そんな想いがあったから、わたしは1年半noteを続けてこられた。

だから、わたしの周りの人がnoteに興味をもったら、

「ぜひやってみてよ!!」

と熱をこめてお誘いする。

誰かが経験したささいな出来事や考えが、誰かの心の支えになることもあると思うから。自分にとっては当たり前のことでも、誰かが必死に検索していることもある。

『弱視難聴 ママ 〇〇県〇〇市』
『弱視難聴 子育て』
『オーディトリー・ニューロパシー ママ』
『オーディトリー・ニューロパシー 治ってほしい』

どれだけ検索しただろうか。

検索数が増えればいいというわけではない。この病気で悩む人は少ない方がいいのだ。

でも、悩んだときに、検索したときに、孤独を感じる状況・不安を感じる状況は嫌なのだ。

だから、わたしはこれからも自分にできる発信を続ける。

24時間テレビに出るような人でもなければ、アスリートでもなければ、専門家でもない、平凡な主婦。それでも発信し続ける理由はこれなんだ。


より多くの人が、自分の経験をもっともっと発信してくれるようになったら、救われる人がいるはず。

そんな場として、noteはあり続けてほしい。






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リコ
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