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あ、世界が変わり始めてるという感覚

我が家にあの世界を変えた文明が来たのは1995年。
絶対に間違えない、Windows95だったからだ。

最初は何をするものかイマイチ分からなかった。
インターネットをしたのはWindows95が来てからしばらく経っていたと思う。

それまではタイピングのゲームとかキティちゃんと田舎に行って遊ぶゲームや算数戦士という親が好みそうなゲームを与えられた。
我が家はテレビゲーム関連は一切禁止でいつも友人が羨ましかったので、そりゃニンテンドー64のがいいけどゲームを我が家でできる日が来るなんて!と天にも昇る思いだった。


父としてはこれからタイピングさせといたほうが将来事務仕事の戦力に有利だろうから幼い内から与えたほうがいいと考えたのだろう。


その5年後、中学の終わりころには親に内緒でネットを通じてものを売っていた。
その2年後にはまだアフリエイトということは理解してなかったけど完全にそれで親より稼いでいた。


今はネットで個人商店のようになり、また自分でつくったものを遠方に住む人に届けている。


親はパソコンで新しいことを吸収していけばいいと思っていただろう。
ただし親である自分の理解できる範囲の中で。

好奇心の塊が思春期に世界とつなぐインターネットに出会って『親の望む範囲の中で』なんて無理だ。


まだダイアルアップの時期。
今ならスマホを放り投げたくなるほど待たされる『ピーーーーガガガガ…』という音。

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その名の通り電話線なのでネットに繋げば電話ができない。
携帯電話もネットし放題携帯(当時auだったのでWIN)が出るのは2003年頃。

10年近く金銭面のコストと繋がりの遅さが付き纏っていた。(毎月携帯代は画像見たり掲示板見たりするだけで5万超えたりしてた…ごめんお母さん…これをパケ死と言うよ!)


インターネットの黎明期を思春期で迎えて今日までこれたことがとても楽しかった。

画面の向こうが楽し過ぎてネカフェがまだない頃本屋さんで15分100円でネットできるところに自転車で通いつめてたな。

今思えばなんて危ういんだと。黎明期だから許された部分がたくさんあるように思う。


一昨年発売されたお金2.0という本にこんな記述があった。

『人間はすでに生まれた時にあるテクノロジーを自然な世界の一部だと感じる。

15歳から35歳の間に開発されたテクノロジーは新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは自然に反するものと感じられる』

私の世界を変えたインターネットはもはや娘には当然なものだろう。そしてこの先なくなることもきっとない。

次は私があの頃の父親になる番なんだ。

彼女が思春期を迎える頃現れるテクノロジーをどれだけ楽しめるのか、思春期なら手放しで楽しめたのに今はほんの少しだけ足がすくんでしまいそうな気もする。


願わくばそれが私にとってのインターネットのように彼女を激しく没頭させて、人生を切り拓く武器になってくれたらいいな。

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