見出し画像

趣味とコーヒーの相性が抜群な理由①~歴史編~#11

いつもお読みいただきありがとうございます。ゆうちゃんです。
今回は、私の趣味であるコーヒーに焦点を当てて、趣味とコーヒーの相性の良さについてお伝えしていきます。その上で、コーヒーの歴史についても触れていきたいので、前編を歴史編、後編を解説編ということでお送りします。
私の自己紹介については1本目の記事で書かせていただいていますので、ご覧いただけると嬉しいです!


▽コーヒーの歴史をかいつまんで

コーヒーの話をしていきたいと思いますが、その前になんで人間がコーヒーを飲むようになったの?ということに触れます。 #トリビア
いわゆる諸説あり案件ですが、今もコーヒーの代表格であるエチオピアやモカが発祥の起源とされています。認証とかはなく言い伝え程度のものという認識でお願いします。
また、日本への伝来と日本人との相性の良さについても私見も交えお伝えしていきます。

〇エチオピア説


「修道士様、これは奇跡の実です! ヤギとこの僕に奇跡がおきました!」
興奮冷めやらぬ表情で話すヤギ飼いの少年、カルディ。手には、赤い実が奇跡を起こすと言われるものが握られています。アラビア半島とアフリカ大陸が交わる場所で、コーヒーの舞台が広がります。

ある晩、カルディは放し飼いのヤギたちが夜に元気に飛び跳ねているのに気付きます。
「何があったんだろう? どうしてこんなに元気なんだろう?」
興味津々で観察するうち、ヤギたちが赤い実を食べていることに気付きました。カルディも思わずその実を試し、すると驚きの効果が現れました。彼はその奇跡を修道士に報告するべく急いで向かいます。

修道士も赤い実を試し、その夜の祈りに打ち勝つ力を感じたのです。この奇跡の実は、修道士たちの間で「秘薬」として広まり、コーヒーの起源となることとなりました。こうして、カルディの発見が広がり、私たちが日常で楽しむコーヒーの神秘的な旅が始まったのです。

〇アラビア説


コーヒーの興味深い歴史は、イスラムの僧オマールが追放されたエピソードから始まります。オマールはオーザブ山で飢えと疲労に悩まされ、赤い実を見つけて口にしたことで驚くべき変化が訪れました。その実は美味しくはなかったが、飢えが癒え、疲れが一気に消え、気分も爽快になったのです。

一方で、オマールを追い出した領主の町では病気が蔓延り、人々が苦しんでいました。町の人々はオマールの祈りによって救われた経験を頼りに、オーザブ山に向かい、助けを求めました。オマールは町の悲痛な状況を知り、心からの祈りと赤い実の力で人々を救おうとしました。驚くことに、赤い実の煮汁を飲んだ人々は、オマールと同じくらい素早く回復し、町は再び生気に満ちました。

その後、この町はコーヒー豆の積み出し港として知られ、モカの名前も広まりました。感謝の意を表すため、オマールはモカの町の守護聖人と呼ばれるようになりました。コーヒーは偶然と奇跡、そして人間の知恵が結びついて生まれ、私たちの生活に深く根付いていくのです。この物語は、コーヒーがどれほど人々の心と体を癒し、結びつけてきたかを象徴しています。

遡ると他にもコーヒーの歴史と言われているものがいくつかありますが、代表格の2つを紹介しました。なんだか元気になる、眠気がなくなるという妙薬から始まり、次第に飲用へと変化していった歴史があります。焙煎して飲むようになったのは、ずいぶんと経ってからのことなんですね。では日本では?

〇日本のコーヒー文化

日本のコーヒーの歴史は、鎖国中の江戸時代から始まります。オランダ商人によって出島にもたらされたコーヒー豆は鎖国の最中に広まりましたが、当時の日本人にはなかなか受け入れられませんでした。きっとおいしくなかったのでしょうね…
開国後、文明開化の時代にコーヒー文化が少しずつ広がり、1888年には東京に初の喫茶店「可否茶館」がオープンしました。この店は鄭永慶(てい えいけい)さんというアメリカ留学経験のある方が海外のカフェをイメージして作ったとされています。

明治時代、コーヒーの普及に影響を及ぼしたのは可否茶館だけではなく、珈琲の愛好家が集う「パンの会」の存在も大きかったのです。そのメンバーは石川啄木北原白秋高村光太郎ら明治時代の歌人や詩人。日本橋のカフェで毎月集い、コーヒーや談義を楽しんだとか。そして一般にもコーヒーが浸透し、大衆化が進んでいきました。

第二次世界大戦でコーヒーの輸入が途絶えるものの、1950年に再開され、1960年にはコーヒー豆の輸入が全面自由化されました。上島珈琲が世界で初めて缶コーヒーを発売するなど、コーヒーは人々の生活に馴染み、日本のコーヒー文化が築かれていきました。1969年には上島珈琲が缶コーヒーを発売。翌年の大阪万博で缶コーヒー文化に火を付けました。

〇ハンドドリップは日本人に合う

コーヒーを淹れると言われてまず頭に浮かぶのは、ハンドドリップではないでしょうか?コーヒー屋さんでバリスタ(コーヒーを淹れるプロ)がポットからコーヒーの粉にお湯を注ぎ入れるあの姿です。
ハンドドリップは、1908年にドイツに住むメリタ・ベンツ夫人によって発明されたペーパードリップシステムが始まりです。それまではネルフィルターや金属製フィルターで手入れが面倒くさく、紙でやってしまおうとお子さんのノートを千切ってやったんだとか。 #なんとも大胆な
国内では、1958年にカリタが国内で初めてペーパーフィルターとドリッパーを製造し、日本にレギュラーコーヒー文化を広めました。

実際にコーヒーを淹れる工程はこんな感じです。

  1. お湯を沸かす

  2. 豆を挽く

  3. ドリッパーにペーパーフィルターをセットしてコーヒー粉を入れる

  4. ポットから優しく湯を注ぐ(蒸らし→数回に分けて円を描きながら注ぐ)

  5. コーヒーカップに移し入れる

コーヒー粉にお湯を注ぐと粉が膨らみ湯気とともに香りが立ち上ってきます。その香りはコーヒーの種類によって異なり、入れるたびにその違いを楽しんだり、香りに心が安らいだりします。淹れている人がいちばんいいポジションで香りをかぐことができます。また、部屋にも香りが広がっていき、家族もよい香りに包まれていきます。
いくつかある工程の中でも、粉に湯を注ぐところが何より日本人との相性が良いと感じています。その理由としては、日本人のこだわり気質の文化が根付いている点が挙げられます。こだわり気質は言わずもがなですが、ものづくりにおいてもその他様々なことにおいても90点から91点、92点…と玄人にしか分からないアップデートを突き詰めてやっていく志向性がありますよね。コーヒーを淹れて飲むということに関しても、様々な淹れ方・温度・挽目などに違いを出して、コーヒーの味がどのように変化していくのかを探求してきました。その恩恵を今の私は授かってはいますが、一定のラインを超えるともはや違いが分かりません(笑)

禅とは、精神を統一して真理を追究するという意味のサンスクリット語を音訳した「禅那」(ぜんな)の略で、坐禅修行をする禅宗をさす言葉です。こちらを参照しました。

日本では鎌倉時代以降に本格的に伝わったようです。水墨画や茶道などはこの禅から生まれていった日本の文化だとか。
心を落ち着かせて自分と向き合い、無駄なものは省いて本当に必要なことを見極めていくという禅の教えは、コーヒーを淹れているときの感覚にも通ずるところがあります。お湯を優しく注ぎ、ぶれないように集中しているあの瞬間は、余計な思考が一切省かれて今この瞬間に集中することができます。 #フロー体験
普段生活をしていると、家事の段取りや仕事のことなどあらゆることを思考していますが、暮らしの中で何も考えない時間があることで頭が少し休まり、リラックスした気持ちで次の行動に移ることができます。私自身もコーヒーを淹れて飲むことが趣味として続けられているのは、この心の安らぎを得られるからです。実際に、コーヒーを淹れて最初のひとくちを飲んで一息ついたところで満足してしまい、その後コーヒーが残ってしまうこともよくあります(苦笑)

以上、長くなってしまいましたがコーヒーの歴史をかいつまんでお伝えしてきました。趣味とコーヒーの相性が良い理由については、最後にちょっと触れていますが、次の記事に分けさせていただきます。解説編もぜひお読みください。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは発信者としての学びのために使わせていただきます!