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饒
2020年3月6日 02:46
踊れない身体を何十年も、持て余している。 悲哀と諦念と嫉妬が詰まった、血を抜くことすら許されない腐りかけの身体が残念で、すぐにでも手放したいと日々感じている。だから、というわけではないが強烈に身体性そのもの、あるいは身体という表象の可能性に惹かれてperformance theoryを専門に選択した。(と、今となっては思う) 動、の肉体/身体。静、の肉体/身体。 いずれも
2020年3月6日 02:08
"いい曲"とは、人の変化、変容、進化、進歩…を許容する曲だと考える。 "いい曲"は、演奏するたびに、あたかもその曲の演奏が開始された時点で"初めて演奏する身体が生成された"かのように、わたしたちに"生き直す"許可を与えてくれる。 入力と出力が同時に-しかも同出力で、とどのつまりグルーヴが発生しうる状況で-生成するその地点にそっと、曲のコアがあり、自身の身体と楽器という"器"を通じてそこ