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【あの時の私へ】五月雨登校の息子を学校まで送迎しては、学びってなんだろうと疑問に思ってたこと。

「学校に行けない」と、息子が半年ほどは放課後だけ通ったりしばらく休んだ後で、少しずつ学校に通っていた頃の想い。

いや~。書きながら振り返ると、今も切なさが私の中にあるのですね。
この頃は、相当に私自身が疲れていたし、それに気付かなくなってた。自分より息子を優先していたように思ってたけれど、息子はもっと疲れていた。

やっぱり、自分の消耗をまずは癒すことが本当に大切で、自分で自分を認めてあげることを先にすると動けるようになるのだと思います。

寝る前に布団で声にだしてもいいから
「私、本当に毎日一生懸命頑張ってるよ」って言ってあげる。
怪しくてもいいんです笑。

当時は通える教科だけでも、学校に行く体験を積み重ねられたら何か変わるかもしれないと思っていました。
安全管理上、遅刻早退時は保護者の送迎が必要(このルールにもかなりやられてましたが苦笑)とのことで、学校にいつも送迎していた時期がありました。

あの時の自分に、今の私ならどんなメッセージを伝えるか。自分自身の振り返りとして、もし今似たような状況の方がいたら、読んでくれた方の共感と癒しになればいいなと思っています。

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【あの時の私へ】第4回「五月雨登校の息子を、学校まで送迎しては、学びってなんだろうと疑問に思ってたこと」

あの頃の息子は、毎日どう思っていたのだろう。

空が綺麗なこととか、食べることの楽しみとか、そういうことを感じられていたのかと思い出すと、感性をシャットダウンする事で頑張ることを一生懸命続けていたのかもしれない。

頑張っていたよね。やっぱり頑張りやさんなんだよね。まじめでがんばりやだから、一生懸命続けてたんだな。

五感で生を楽しむには、現実と少し距離をとって自分と向き合える心のゆとりが必要なんだと思う。

個性がとても豊かな子だから、学校の画一的な教育は合わないかもしれないけれど。調整や工夫をしてもらいながら、行ける範囲でもゆっくりと学校に通えるようになれば、成功体験の積み重ねになって、また少しずつ学校に通えるのではないか。

当時、私はそう思っていた。


習い事には通っていたし、休日遊びに行く元気は出てきていたから、活力がでてきたように見えた。

相談先で「そろそろ登校刺激を」というアドバイスもあり、不登校になってから初めて言葉にして学校に行く事を勧めた。その言葉に合わせて、息子はたぶんプレッシャーを感じて一生懸命頑張った。きっと溜めたエネルギーを使いながら、学校に通うことに挑戦していたのだと思う。

大変だったよね。

1時間でも学校に行った後は帰宅してリビングでぐったりと横になり、好きな習い事にも行けなくなった。きっと学校に通っては消耗するの繰り返しだったのだ。

「こんな気持ちで学校に行ったところで、授業中、ボーっと時間を過ぎるのをただ待っているだけかもしれない。勉強どころじゃなく、全部忘れてるかもしれない」と思った。

学ぶってなんだろう。人はどこで何をして学ぶんだろう。学校って何をする場所なんだろう。我慢とか合わせることも学ぶけれど、それが全てじゃないはずだ。

知りたいという想いは本当は欲望で、そういった湧き上がる想いを元にして、何かを吸収することを学びというんじゃないか。人から「学びなさい」と押し付けられて勉強することに、苦しさを感じるのだと気付けた息子のその感性は、実はとても豊かなのかもしれない。

毎日、学校に送迎していることは、本当に彼のためになっているのか自信がなかった。私自身の生活も、一日が送迎のために過ぎていったし、拘束されているように感じられてとても疲れていた。

当時の私は、よく不登校関連の本を読んでいたけれど、大抵の本には
「学校は無理して行かなくてもいい」
「まずは親が意識を変えるのがいい」と書いてあった。

情報は自分から探していけばたくさんあった。不登校をテーマにした本は、あまり売れているものではないけれど、素晴らしいもの、心に響くものもあった。本当に親身にその道筋を示してくれていると思えるものもあった。

けれど、その時の私には親が変わればいいという言葉は「さらに頑張れ」と言われているようでもあって、プレッシャーだった。

まずは自分を癒す事が必要だったんだと思う。

子どもに毎日、登校の気持ちを聞く事だって、それを学校に連絡することだって、正直やめたかった。

いつもお母さんは外の世界との窓口だったから、不登校をいう引け目を感じ、責められるような空気の中で、子どもにその「責めるもの」がいかないようにと頑張っていた。

「いつまでそうしてるの?」「親がどうにかしないと」という圧力の中で、まずは親としてこの現実の対応をするだけで、かなり消耗することだった。私の感情はどんどん麻痺して、私も彼と同じように気力を失っていたのだと思う。

不登校というラベルは結構強烈で、言葉のイメージが子どもや自分に貼り付けられた時から、そのラベルの貼られた自分をみて苦しくなっていた。世間のイメージに自分で飲まれてしまっていた。

人には言えない気持ちになって、どんどん孤独になっていた。

あの時、孤独を感じていた自分を抱きしめてあげたいし、今だって思い出しながら、「頑張ってたね」と言ってあげたい気持ちになる。

書きながらも、胸が苦しかったことを思い出す。

このままじゃ前にいけないけど、もう何もかもがわからないと思うなら、先のことを考えるより、まず今。今この瞬間を幸せにするために、自分が楽な方法にまずは一歩進んでいいのだと、あの時の私におすすめしたいよ。

それに罪悪感を持たなくていいんだよと。

まずは子どもと離れて自分の時間を持つこと。そして自分を大切にすること。自分を煩わせる連絡を「1週間お休みします」と言い残してからでもいいから、やめちゃうこと。それからじゃないと動けないのだと思った。

親が変わるなんてこと、考えるためにはこの現実対応から一回逃げたっていいのだ。まずは自分が辛くないように。一人旅に出たって、「ママ疲れたから学校の送迎したくない」と思ったって、それでも自分をまず大事にしていいのだ。

それでも世界は回ってるし、子どもは親に元気でいてほしいと思ってる。

私はあの頃1人旅に行った。1泊だったけど、綺麗なものを見て、ぼーっとして、蓋をしていた感性にそっと光をあててあげたら、少しだけ気持ちが軽くなった。


「親がまずは変わる」の前には、「親がまずは癒される」が大事だとつくづく思う。変わるための癒しを自分で自分に注いであげる。

子どもの状況は一人一人違う。何が原因かなんてわからないし、どうしたら幸せなのかも一人一人違う。

だけれど、一つ共通していると思うことがある。
親が癒されていれば、それは子どもに良い影響になる。だから、自分のためと思わずに子どものためにも、まずは親が癒される。

優しそうな人が集まっていると信じられる親の会に参加するとか。日記書くとか、noteに書くとか。

負の感情をアウトプットして、同じ経験をした人は意外と多いことを感じて欲しい。

今までやってきた頑張りを自分で褒めてあげてみて。
だって、もしこの記事に共感するくらい頑張っていたなら、これを読んでいるあなたも、私もすごく頑張っていたのだと思う。

ちゃんと体調や心を見つめて「学校に行けない」と休めた子どもを育ててるなんて、自分を大切に出来る子を育てているということなんだ。


なんて大切なことがわかっている、素晴らしい子を育てているのだろうね。

そこまで生んで育てたのはあなたなんだから。
だから、素晴らしい子育てをしてきているんだよ。

私は、今も不登校と言う言葉のイメージに飲まれてしまう時がある。
でもそのうち「ホームスクーリングで育ったのが、うちの子には合っていたから、その選択をしてとても幸せでしたよ」と胸を張って言える自分になりたい。

たぶん今も半分くらいはそう思っている。

学校に行くにしろ、行かないにしろ、一度フラットに子どもと先のことを見つめ直す元気を取り戻してから、改めて自分たちの選択をしたならば、それが前に進むということかもしれないよ。

まずはその元気を取り戻すためにお休みしてもいいんだと、今の私はあの時の私に伝えたいと思うよ。

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