読書感想文の面白さ

 最近、文章を書くことが以前と比べて格段に増えた。noteで反応をもらえることが嬉しいので書くことは苦になってはいない。むしろ毎日の楽しみになっている。
 さて、今回僕が伝えようと思うのは、読書感想文の面白さについてだ。
 読書感想文というと、学校の宿題、という印象が強く、あまり面白そうなイメージがない、という人も多いと思う。しかし、この読書感想文、というものの奥深さに僕は少しだけ気づいてしまった。このことに気づくのが随分遅れたな、と今では少し後悔している。
 読書感想文を書くとき、まず、何でもいいから、自分なりの一文で始めてみるというのが、とりあえずのやり方だと思う。例えば、「小学生にとって、職業のタネはどこに転がっているかわからないものだ」という一文で書き始めたとする。
 すると、当然、その一文と意味合いが合致するもともとの文章を、読んだ本から拾ってきて、貼り付けたり、自分なりの見方を示しながら、感想文を進めていくことになるのだが、そうやって書いてみると、かなりの高確率で、「あれ? こんな文章あったっけ?」と思うような文章が、本の中に見つかる。ここが一番面白いポイントだ。
 つまり、最初の一文、「小学生にとって、職業のタネはどこに転がっているかわからないものだ」とという文章と、半ば意味が反対だったり、変な感じにぶつかる文章が必ず見つかるのだ。
 どうしてこういうことが起きるのか?
 それは、最初に抱いた感想を持ってあらためて本を読むと、本が意味する内容が変わるからだ。本が別の顔を見せ始める、とも言える。
 本というのはのっぺらぼうの顔をしているわけじゃなくて、それがいい本であれば、必ず色々な起伏を持っている。この「起伏」というのが、最初に抱いた感想とぶつかる部分のこと、つまり読者に簡単に一言で要約させない部分のことなのである。
 つまり、読書感想文を書くという作業は、この、「書かれた文章の別の顔」を見るための作業である、という風にも言い換えられる。実はこれが真の意味で書物と対話する、ということに繋がっていくわけなのだが、とりあえず、僕の言いたいことは、読書感想文を書いてみると、新しい発見が必ずあるよ、ということだ。
 それはまだ見ぬ大地を探検することにも似ている。そうすることで、良い文章、というものの本当の意味がわかるだろう。

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