「心を射抜く論文作法」志望理由書指南⑵


〈受験生Tくん答案〉
私は将来、小児科医として働きたいと思います。

〈受験生Оさん答案〉
私が医師を志したきっかけは、幼い頃から医師である父の姿を間近で見ていて、憧れを持ったことです。

 両者共、こちらが志望理由書の冒頭となっていましたが、例えばみなさんがタクシーに乗車した際、唐突に運転手が自分の身の上話を始めたなら、みなさんはどのような印象を抱くでしょうか。

 基本、理知的な文章は「遠くから始まる」と言われます。互いに承知している事柄を認め合うところから対話への参加を促すというのが、一般社会における会話の通例です。突然、核心的な内容を展開すると、相手が戸惑ってしまうことはもちろんのこと、それに、加えて、十分な説明の間合いを取らずに提示された独自の見解に、相手は違和感さえ抱きかねないのではないでしょうか。

 志望理由書をはじめとした小論文においても基本は同じです。冒頭から自身の想いを述べても、読み手の同意や共感を得ることは叶わないでしょう。書き出しは、自分の内面ではなく、誰もが認め得る周知の事実から始めます。そして、その周知の事実が、自身が医師を志すに至った契機でもある社会問題、殊に医歯薬系志望者の場合は、医療の現状の問題であることが好ましいでしょう。以下のような書き出しが、その凡例になります。

〈受験生Yくん答案〉
人間の生死と幸福の度合いを大きく左右する医学と医療。そこでは今後もより一層の発展・向上が宿命づけられている。

 加えて、Оさんの答案は内容と語彙面から、読み手(採点者)に書き手の幼さを印象付けます。まず、「きっかけ」は最低でも「契機」としたいところです。また、「憧れ」は「持つ」ものではなく、「抱く」ものです。

 内容面における問題は、家族の姿を自身の目標、理想形にしていることです。「尊敬する人は父です。」と堂々と言えるのは、小学校低学年まで。それ以降の年代では、血縁関係を超えて、社会の中で多くの出会いを経験していることが求められます。自身、あるいは肉親の担当医などであったなら、社会性が醸し出されるはずです。


〈受験生Tくん答案〉
以上より、恩校への入学を希望したいと思います。

〈受験生Оさん答案〉
以上の理由から、貴学を志願します。

 こちらは志望理由書の締め括りとして書かれたものですが、蛇足を通り越して不要な文です。そもそも志望理由書と銘打っている以上、読み手もそれを前提にして受け取るはずです。内容そのものが当該大学を志望する理由に相当するものであることに加えて、このような無駄な念押しをすることは、不毛であることを通り越し、書き手の印象を幼く見せがちなものになります。


 加えて、「貴校」「御校(Jくん答案の「恩校」は誤字)」などは、取って付けた不自然な敬語使いの印象を抱かせるばかりか、当該志望校への想いを稀釈化させてしまいます。この際、志望校の固有の名称を明確に記すべきでしょう。みなさん自身、「あなた」や「キミ」と代名詞で呼ばれるよりも、固有名詞で呼ばれた方が好印象を抱くのではないでしょうか。


 語彙面の向上に躍起になるあまり、不適切な言葉遣いや、語法上、問題が生じている答案も、志望理由書の初期段階に多く見られる傾向です。

<受験生Aさん答案〉
祖母のように⑵地域社会で暮らす人々に手を差し伸べ、⑴成果の還元を図ることにより、⑵社会文化の向上と⑶人類福祉の増進に、⑷ささやかながら寄与できればと切実に思います。


⑴何の「成果」であるのか不明。
⑵「文化」自体が社会的なものであるため、「社会」が不要。「地域」も同様。
⑶「福祉」は国や自治体単位で行われるものであるため、世界中の人々を一括した「人類」は不釣り合い。また、「増進」という言葉もあまり芳しくない。
⑷謙譲の精神の表明を目指した意図は分かるが、この後に「切実」な思いを提示することを阻害する。

 

 以上が語彙面の問題点ですが、医学部の志望理由書の締め括りですので、「文化の向上」や「福祉の増進」などは好ましくありません。「文化の向上」は経済界の担い手が目指すところのものであり、「福祉の増進」は厚労省、あるいは地方自治体を担う政治家が目指すべきものです。

〈受験生Aさん答案 改善例〉
祖母のように近代文明の恩恵から見放された地方に暮らす人たちに、自ら手を差し伸べ、潤沢な医療を提供する。そして、その先に、真に豊かな未来が創製されることを、私は切に願う。

 
 また、初期段階で執筆された志望理由書には、医療に携わることが、単に憧れや目標の域に止まっているものも多く見られます。医療の現場の過酷さに認識が及ばないがゆえの幼い発想が、答案を透かして垣間見えます。医療というものの本質、根本を熟知し、揺るぎない覚悟と使命感をもって、志望理由を再構築しておきましょう。



 近年、病院を訪ねるも、医師のあまりにも無機質な対応に違和感を感じた人が多いと聞きます。近代化された最近の個人病院では医師と患者の間をPCデスクが遮る、つまり医師は患者の申告を聞き、それをPC入力し、処方箋をプリントアウトするという流れが一般的だと言います。昔の「お医者さん」の診察・治療はそれこそ「手当て」の言葉通り、まず患者の身体に触れ(触診)、聴診器を当てたものです。ヒーラーや気功師ではないものの、「お医者さん」に触れられることに、患者は妙に安心感を覚えたものです。

 もちろん日本の昔の「お医者様」観が医師を過度に神格化したがゆえに我が国の医療過誤問題の表象化を立ち遅れさせたことも否めません。事実、「医療過誤(ミス)」という言葉が一般に広まったのは1999年の横浜市立大病院で起きた事故(肺の手術患者と心臓の手術患者の取り違え)からです。2002年には慈恵会医大付属青戸病院で前立腺ガンの腹腔鏡(内視鏡)摘出手術を受けた患者が亡くなりました。高度先進医療の腹腔鏡手術であるにも関わらず、執刀した医師たちはキャリアも浅く(大学病院に多い)、しかも12時間にも及ぶ手術の渦中、業者を呼んで器具の説明を受けたり、マニュアルを見ながら執刀していたというのです。

 ここで確認しておきたいのは、医療事故と医療過誤(ミス)の違いです。端的に言えば、医療過誤は医療事故の一類型であり、医療過誤は医療事故に包括されます。一般に医療過誤とは人為的なミスによって発生した医療事故であり、医療従事者の注意や行動が違っていれば、「防ぐことのできた」医療事故なのです。先の例でいえば、横浜市立大病院の案件も、慈恵会大附属病院での事件も、医療過誤として後に訴訟で争われています。

 アメリカのある学者は日本国内の医療事故件数は260万件。内、死亡者数は26,000~40,000人という数字を弾き出しました。しかも、その9割近くが医師の知識・技術の不足に起因すると言います。アメリカの第三者機関の統計試算ですから鵜呑みにするわけにはいきませんが、これが事実だとすると、年間約30,000人の我が国の平均自殺者数を遥かに上回ることになります。本来、人を助けるはずの病院で人の命が奪われているとしたらとんでもないことです。宗教観の稀薄な私たち日本人は「バレなきゃいいや」的な狡猾さがあるということでもあるのでしょうか。

 昨今、公立病院の縮小や閉鎖に見られるように、最近の「お医者様」は拝金主義的傾向が強くなったとの指摘もあります。大病院ほどその傾向は顕著で、例えば初診料(全国平均5,000円)の他に選定医(特別な病院)療費の名目で慶應病院や国立がんセンターなどでは50,000円前後の上乗せが認められています。病院格差です。あるいはこんな数字も…。厚労省の統計によれば勤務医の平均月収は約120万円。個人病院が約146万円とのことです(開業医に至っては416万円)。確かに長時間に及ぶ手術、深夜の宿直等の激務や膨大な大学就学・研修期間の長さに支えられた特殊技能は特別なものとしても、決してその待遇は薄給と呼べるものではない、という指摘です。

 さらには医師国家試験の実情、大学の難易度に関わらず約8割前後の受験者が合格するという医療現場への入口のシステム自体を疑問視する声もあります。司法試験合格率の約5%という数字からすれば人の生死に直接、関与する医師の資格試験としては緩いと言わざるを得ない、という見解です。


 今日の医療を取り巻く、このような現状の中で、大学側は医師を目指す者に、揺るぎなき倫理観念と、人に対する思いやりの深さや、困難に負けない強さを求めます。
 
〈類題1〉
8月のある晴れた日の午後。散歩中のあなたは路上で70~80歳くらいのお婆さんに市立病院までの道を尋ねられました。病院までの距離は約1.5km。若干の起伏があります。あなたは病院までの行き方を知っています。お婆さんに道順を教える会話を想定して150字程度で書きなさい。(参照:新潟大学 医学部)


 医学部入試の面接や小論文は人格審査。つまり医師として人の命を預かるに相応しい人間性を、人を思いやるやさしさと理性を持ち合わ
せているか否か、の査定です。他学部より高い難易度は、決して学科のみに限られたものでははないのです。

〈類題1 解答例〉
どこか調子がお悪いんですか(注1)。病院までは20分くらい掛かりますよ(注2)。お車を使われた方がいいかも知れません。僕らでもこの炎天下はキツい(注3)。もし歩いて行かれるのでしたら、ご一緒しましょうか(注4)。大丈夫ですよ。僕もついでがありますから(注5)。

注1:病院に行く目的の確認。お見舞いならまだしも本人の診療・治療が目的であるなら症状を懸念する。
注2:距離を時間に換算。高齢者には距離の実感が乏しい人も多い。
注3:気象条件とその身体的影響を考慮。
注4:行動力の発揮。
注5:相手を恐縮させないための気配り。


 どうでしょう。正に人格審査です。


 医療の現場では、常に多くの困難や、数え切れないほどの悲しみが行き交います。この壮絶な医療現場の日常を思い遣ることなく、単に世襲に従って、あるいは打算的な目論見から、将来展望を定める向きを、大学側は歓迎しないでしょう。医療の現場に携わる者には、揺るぎない理性と、強靭な精神、そして、何より患者の生と回復を心から願う熱い想いが求められます。これらが文面を通じて、あるいは口頭で表明されなければ、医療系大学の合格は、難しいものとならざるを得ません。

この点を踏まえつつ、次に上げる志望理由書を評価してみましょう。

<医学部志望理由書 A君執筆例>
 幼い頃から病弱なばかりか、注意力散漫だった私は、中学でバスケットボール部に入部してからも、幾度となくケガを繰り返して来た。右足首の剥離骨折。さらには左脚の靱帯損傷。高校でハンドボールに転向してからは、ヘルニアを患い、腰部を固定するコルセットが手放せない毎日だった。両親にして、「三人兄弟の中で、一番、手が掛かる」と嘆かせるほど、私は虚弱で、自分自身、そんな身体に嫌気が差していた。
 そんな私の支えは近所で整形外科を営む医師や、作業療法士だった。中学2年時の夏の大会の一週間前。私は、左足首靱帯損傷のダメージを抱えながら、試合に出たいという一念から練習に参加し、遂には歩行さえ困難なほどの状態に陥った。
 近所の担当医は「一瞬の青春の輝きのために、生涯、不自由な身体を抱えて生きることになってもいいのか!」と、無茶をする私を自分事のように本気で叱ってくれた。
 ハンドボール部員としての最後の試合が終わり、家路につく際、漠然と将来の進路について思いを馳せた時、私の脳裏に浮かんだのは、そんな「本気」の医師の姿だった。バスケットボール、ハンドボールと青春の多くを捧げて来た私のスポーツ生活の傍らには、いつも整形外科医療があった。いつも患者のことを第一に考える素晴らしき医師と共に。いつの日か、私もそうありたいと願う。単に職務としての医療を全うするだけではない、「本気」の医者に。


 どうでしょうか。残念ですが、表現と感情の盛り込みには目を見張るものがあるものの、これでは単に、自分のささやかな経験だけで将来展望を安易に定めている印象が拭い切れません。「志望理由」「志望動機」という言葉を額面通りに受け取れば、ひとりよがりな思い付きでも差し支えないように思えるかも知れませんが、それは大いなる間違いです。

 かつて「医は仁術」と言われました。「仁術」とは人助けの意味です。少なくとも、この人助けに、すなわち、社会に貢献するという広範な視野と、清らかで、且つ強靭な心構えが医療を目指す者には求められるのです。

 話は横道に逸れるようですが、産業医科大学の過去の出題に、こんな問題がありました。

〈類題 2〉
脳梗塞で右半身不随に陥った免疫学者。それでも希望を抱き、強く生きようとする彼ですが「私の光は、どこに求めたらいいのだろう」と苦悩に苛まれます。絶望の闇からも、一筋の光を見つけようとしている人のために、医療従事者は何ができるか、あなたの考えを述べなさい。


 類似する問題、あるいは面接での問い掛けに「あなたの担当患者が亡くなりました。あなたは、その現実にどう向き合いますか」というものもあります。

 ここで試されていることは、医療に携わる者に相応しい感情値を持ち合わせているか否か、ということです。医師として求められる素養の第一は技術。次に広汎な知識と、それに基づいた的確、且つ、迅速な判断力ですが、これらは大学入学後に習得すべきものです。それ以前の入り口に立つ者に、大学側が求めるものは、人の生死を直視する者として十分な人間性が備わっているか否かなのです。

 先の質問の答えで言えば、「所詮、助からない患者の方が多いんですから、致し方ない」と考える無慈悲な者や、「残された家族の悲しみを思えば、何も言えませんし、何も手に付かないと思います」と、情緒的に過ぎる者が医師不適格の烙印を押されるのです。

 戦後75年強。安定した国情と潤沢な物資に囲まれた生活を日々、既得権の如く当たり前のものとして享受している私たちは、心身共に脆弱化しています。殊に感情面で言えば鈍化していると言って、差し支えないでしょう。

 一昔前は炎天下の校庭で長時間、直立不動の姿勢を強いられても、倒れる子はまずもっていなかったと言います。寒風摩擦と称して極寒に半裸で挑む、と今の世情からは信じられないようなことも日常茶飯、行われていました。そもそも車移動が当たり前でなく、今日のように電脳ネットワークが充実していなかった時代ですから、人はとにかく歩いた。そんな不便を強いられる時代においても、今日でいう精神病理を患う人も、他者との接触を厭い、自室に引き籠る人もいなかったのです。高度な文明ツールが介在しない分だけ、人は人とつながり合っていたのでしょう。

 人と人、さらには人間と自然の密接な関係と共生が当たり前の共同体的コミュニティの中で、人はかつて自然に、且つ、質素に暮らしていました、人と人とを媒介する道具などは数少ない単純な構造のものばかり。少なくともそれは、今日のように対人関係を隔てる高度に発達したものとは程遠いものだったでしょう。世の中の構造が単純明快。だからこそ、ストレスも少なかった。近代以前の私たちの祖先は今日の私たちよりずっと、健全、健康だったに相違ありません。

 それに較べて現代の私たちはどうでしょう。様々な近代ツールの利便性に甘んじ、人間としての本来的な能力をある面で急速に退化させて来たのではないでしょうか。あるいは高度に発達した先進機器の操作に気を取られ、自身の目で、自身の身体で見るべきもの、触れるべきものを、自ら遠ざけてしまっているのではないでしょうか。利便性に長けた環境は、その分だけ私たちを不自由にもする、という逆説がここにあります。

 移動手段はハイブリッド。ボタンひとつで快適給湯。調理もその後片付けも洗濯さえも、機械任せの安楽な生活。運動不足は明らかです。それに加えて過剰に摂取される富栄養化した食事が生活習慣病を引き起こす。

 心も然り、でしょう。近代以降、私たちは、家族をはじめとした人間関係のつながりを稀薄にして来ました。有機的な支えを喪い、渇いた「ココロ」は、驚くほど脆くなります。精神病理の始まりです。しかも精神疾患はそれのみで収束することは少なく、今や容易に肉体を蝕むまでに深刻で、多様なものと化しています。私たちは自らが望んだ進歩の裏のある面で、皮肉にも自らを苦しめる結果を招いたと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 だからと言って、今日の私たちの物質的な充足の度合いを「贅沢だ」、あるいは「無駄だ」と一面的に難じることも時代錯誤でしょうし、スローライフやヴィーガニズム(絶対菜食主義)に象徴されるように、時代に翻弄されない生活を全うできる余裕のある人もそう多くはないでしょう。少なくとも、私たちと時代(社会)は運命共同体。その潮流に身を任せる他ないのでしょう。そして、社会の発展に足並みをそろえる形で、私たちの嗜好と欲求の水準も上がり、それに見合うだけの多忙な労務生活に堪えることが課せられる自転車操業の中で。「ココロ」も身体も悲鳴を上げているのです。

 ここで確認しておきたいことは、医療を志す者としての覚悟です。医歯薬系志望者は大抵において「治った(「治した」ではありません)」、あるいは「助かった(これも「助けた」ではありません)」とハッピーエンド的な映像だけをイメージして志望を固めていないでしょうか。患者の数だけ苦痛があるとは承知してはいるはずです。医療従事者の日常が患者の非日常であることも。しかし、救い得ない命や完治し得ない身体の方が、ともすれば圧倒的に多く、数多の悲しみや苦しみに直に向き合う覚悟があるか、ということを大学側は真摯に問い掛けているのです。

 併せて、患者の苦しみを等身大で受け止める感受性の有無も。それは、「やさしさ」「思いやり」などという言葉があまりにも陳腐に思えるほどの鋭敏な。言葉にならない、あるいは、言葉を超えた想いなのではないでしょうか。死、あるいは、回復不能の障害に見舞われた人たちの想い。あるいは、それを受け止める周囲の人々。その重みを目の前にして、言葉はおよそ無力です。

 もちろん少しでも回復の可能性が期待される状況では、医療従事者は患者以前に希望に向かっていなければなりません。様々な療法を可能性のある限り、提案・推奨すべきです。また、医学は常に日進月歩。今日、治せない病が明日…は極論にせよ、来年、再来年、あるいは10年後には治療可能になることも否定できません。遺伝子組成にまで及んだ今日の医学(知恵)と医療(技術)は、いつの日か欠損した四肢、病んだ臓器、さらには切断された神経組織の再生と、以前であれば絵空事と一笑に付されたことをも可能にするかも知れないのです。そうです。

 医学は学問として前進を続け、医療はその知恵を最大限に生かして、現場で奮闘するのです。このような社会背景と医学・医療に課せられた使命を、是非とも頭の隅に入れておいて下さい。そうすることで初めて、将来、医学(研究)・医療(現場)に携わる者としての素養が与えられるのです。これらの点に留意しながら、志望理由書に欠かせない要素である、自身の目標、理想の医師像についてまとめておきましょう。


<理想の医師像 例>
 苦しみや哀しみが横溢するのは、病院の入口だけではない。
 今日、医学は不治の病のカテゴリーを有名無実化したかの如く、飛躍的な前進を遂げた。医学の最先端を担う者は今後、より一層の進歩を目指し、日々奮闘することが期待されている。しかし、生あるものに死が免れないことと同様、今日の先進医療を以てしても治し得ない病弊は、それでも数多く存在している。人智と医学を嘲笑うかのように。医療を志す私たちのこれからは、患者の救済や回復に歓喜する以上に失意に晒されることの方がずっと多いのだろう。
 救え得ない命、治し得ない身体。殊に意識と乖離し、意のままにならない身体や、その一部を欠損した者の苦しみは量り知れない。健常な生活が困難な中で精神的安定や経済的充足を得ることは不可能に近い。そんな哀しみや苦しみを前に掛けるべき言葉は見当たらない。ましてそれを日常のルーティンに埋めて事務的に対応するなど。白衣の矜持の分だけ自身を責める。聴診器を通して聞いた鼓動の数だけ哀しみに暮れる、そして「次こそは」、と誓う。より一層の技術と知の昇華を目指して。それが医療人ではないだろうか。
 等身大で患者の身体と心の痛みに寄り添う心身は日々、疲弊して行くことだろう。それでも苦しみ喘いでいる人たちが扉を開ける限り、共に痛みを分かち合う。そして何事に代えても命を繋ぐ。医療に携わる者の一日は、そんな覚悟と姿勢から始まる。そして、患者と共に明日を「創る」。
             解答例作成 現代文・小論文講師 松岡 拓美



 自身の理想像、目標のイメージが定まったなら、次は志望理由書を多角的に執筆するケースに応用してみましょう。志望理由だけでなく、入学後の抱負や、卒業後の指針まで詳細(800~1,000字)に論述することが求められる高知大学医学部総合選抜型(旧AO)入試答案例です。正直、ネタが尽きて、書き切れない、といったところが多くの受験生の本音ではないでしょうか。医師という職務に関する詳細だけでなく、人間と社会の有り様に視野を拡げなければ、この論述ボリュームに耐えきれないでしょう。

 志望理由に関して、自身の人間的部分に関する執筆内容が固まって来たなら、次はそこに、志望大学側に寄せる賛辞、すなわち志望大学の建学の精神や歴史・伝統への称賛を加えて行きましょう。

《高知大学 志望理由》
 人生の指針を見定め始めたのは高校入学の頃。風邪をこじらせた私に聴診器を当て、いくつかの問診。症状を見極め、処方箋にペンを走らせるその姿に憧れを抱いた。そこには商魂も打算もなく、純粋に患者である私の日常の回復のためにのみ全てが尽くされる。人間の生活は利便性と贅を極め、必要不可欠とは程遠い、単に労力を惜しむためだけに他者が介在するというサービス業、あるいは隙間産業が様々な領域で重用される時代。しかし、その眼差しは人としての私に真正面から向けられる。身体に直に触れ、生活の最大の成立要件である健康回復と維持に懸命に寄与する。私はそんな仕事に大いなる魅力を感じた。
 漠然とした動機から訪れた高知大学医学部のキャンパスは決して多くを語らなかった。しかし、そこには私が抱いていたステレオタイプな医師のイメージを払拭する熱気と活気が溢れていた。併せて医者という職務の重さを引き受ける覚悟も。叡智と技術に秀でた者こそ素晴らしい医者足り得る、との私の生半可な思い込みは見事に粉砕されたのである。
本当の地域医療は、地域の生活事情を知ることから始まるのではなく、まずその土地に「生きる」ことに始まる。そんな地域医療のあるべき姿と、医者という仕事に求められる大切なものを、高知大学は私に鮮烈なまでに知らしめてくれたのである。
 高知大学に吹く黒潮の逞しさにも似た風に導かれたのは決して偶然ではないと思う。ここになら地域医療の「これから」を指し示す標がある。予感ではない。私は大いなる確信を持って。高知大学の門を潜りたいと思う。


《高知大学 入学後の抱負》
 科学の発展はめざましく、それに比例するかの如く人間の生活も驚異的な速度で多様化を続けている。医学の世界も同様に専門分化され、日進月歩の速さで高度化し可能性を拡大しつつあると聞く。都市部においてはカルテの電子化に代表される医療ネットワークの充実で患者個々の症状に合わせたオーダーメイドな処置が迅速になされるようにもなりつつある。しかし、このような高度化した医療インフラから取り残された地域では、事情が大きく異なる。
 全国規模の合理化が推し進められる中、地方行政は以前にも増して苦渋を強いられる。交通網の整備はその見返りとしての収益を第一義に都市部に偏重し、地方の人々の声は届かない。唯一の救いである情報ネットワークもそのツールの操作性は地方で暮らす単身高齢者に決して馴染み易いものではないだろう。必然として衣食住を支える数少ない公的・私的機関とそこに携わる人々に求められる役割は大きくならざるを得ない。
 私たちは六年間の就学期間で医師としての資質を鍛えるべく様々な学びを求められる。その上で自らの目指す各診療科の専門領域へと沈潜してゆく。しかし地域医療を志す者にとっての基礎履修項目は単に通過点としての机上の学習に終わらない。内科・外科・皮膚科・産婦人科・精神科、果ては薬学・看護に至るまで、その知識は現場での実践を可能にする生きた知識であることが求められるのではないだろうか。のみならず、それらを支える人間力をも併せて鍛えることが地域医療を志す者には必要なのではないだろうか。
 高知大学で私が学ぶ六年間は、全てが現場に繋がっている。否、そればかりかテキストの1ページが、あるいはノートに残した些細な記録が、全て患者である人々の身体に繋がっている。そんな重さを忘れることなく学ぶ。私はこれこそが、命の最前線に立つ仕事を目指す者に欠かせない要件であると確信している。


《高知大学 卒業後の抱負》
 子供の頃、病院に行くのが嫌だった。消毒液の匂い、金属製の器機、殊に注射針が腕に突き刺さる瞬間はいつも目を閉じ、歯を食いしばって堪えた。その反面、病院に行くと必ず治してくれるという信頼感めいたものを子供ながらに抱いていたことも事実である。白衣の紳士に触診されるとそこから悪いものがすっと抜かれていくような気がしていた。
 近代以前の医者は患者宅への往診が当たり前だったと聞く。予想される症状に対処し得る器具と薬剤を自ら重いバッグに詰めて。しかし今日でも、躍動する最先端医療の裏で昔ながらの「お医者さん」を求める地域も多いのではないだろうか。介護士、あるいはヘルパーと高齢者を取り巻く環境は以前に較べ、格段に向上したかのように見える。しかし実情は制度だけで賄えるほど簡単ではないだろう。市立病院までの移動に使うタクシー、あるいはその際の付き添いのヘルパーも民間企業が介在すれば当然そこに対価の発生を伴う。そしてそれを補う公的年金の額は充分と言うには程遠いであろう。日本古来の村落共同体的繋がりを商業的に代替するほどには地方とそこに暮らす人々の懐は暖くない。
 文明化の恩恵から遠く見放された片田舎。そこにも様々な営みがある。生も、そして死もある。それら全てを引き受けてくれる医師への期待が、こんな時代にも、確実にある。それに応えるべき技術と知力、そして覚悟を併せ持つ医者を私は目指す。
 命は尊い。そしてその命が紡いだ文化と歴史も私達は後世に伝えねばならない。人が何かを成し遂げようとする時に心と身体の健康は何よりも優先されるべき要件である。そんな人々の健康を守る一助となれるなら、誰かの笑顔を取り戻す契機になれるなら、これほど嬉しいことはない。いつの日か子供の頃に抱いたあの無条件の安心感を様々な人々に抱いてもらえるように。そして、そのひとりひとりを生涯忘れないように。
            解答例作成 現代文・小論文講師  松岡 拓美

 


 基本的なことですが、小論文の究極は読み手の感動の喚起にあります。同様に、面接においても大切なことは十全に知識を網羅して質問にスムーズに答えることではありません。あなた自身の人柄が短い時間の質疑応答の中にも露呈する、その瞬間を面接審査担当者は狙い澄まして審査するのです。予想される問題に事前に台本的なものを用意し、立て板に水の如く澱みなく答えるというのはナンセンスです。およそみなさんが用意した台本は下手な役者の棒読み台詞的に話の抑揚を失わせ、非人間的な応対をさせるでしょうし、また、台本に頼り過ぎるがゆえに、予想外の質問に対する反射神経を鈍くさせるでしょう。人間、あらゆる疑問、発問に即答できるほど聡明ではありません。詰まりながら、考えながら、で構わないのです。そこに相手への誠意と懸命さが窺えるなら。

 


 そして、この相手に対する誠実さと懸命さは面接における応答、自己表現ばかりでなく、他者理解の、そしてコミュニケーション科目としての現代文の根底でもあるのです。やさしさに欠ける人、利己心に浸かっている人は自己肯定を大前提としますので、誰かの想いを等身大で受け止めることができません。同様に、ストレスに圧し潰されている人の感覚は麻痺し、自ら殻に閉じこるため、他者理解の余裕がありません。自身の健全さの上に抱かれる相手への思いやりが、他者理解の大前提なのです。

 


 勉強を必要以上に特別視し、修行僧の苦行の如く忍耐を前提とした人間性の欠片もない営みだと勘違いしている人がいますが、大いに損をしていないでしょうか。勉強は自己練磨。知の裾野を拡げ、感性を豊かにする人間性向上の営みなのです。素晴らしく充実する時間ではないでしょうか。面接も自己表現の貴重な機会。今の時代、目上の、しかも赤の他人に堂々と自慢話を聞いてもらえることなんてそうはないでしょう。面接はそれが歓迎される場なのです。しかもタダで。存分に出会いと今日まで生かされて来た幸いを喜びながら、その充実した時間を過すべきではないでしょうか。考えてもみて下さい。仕事も義務的にルーティン化した慣れから黙々とこなすだけでは、顧客も自らをも満足させることはできないでしょう。一生懸命と一心不乱は、少し違います。人は如何なる場所にいても、その意味と価値を見失うほど鈍感になってはならないのではないでしょうか。

 志望理由書は教科領域やカリキュラム的なものへの子供染みた興味、関心を綴るものでは、断じてありません。その意味で、「~に興味がある」なども志望理由書における禁句の一例です。見据えるべきはもっと先です。自身の望む学部、学科に相当する社会現実の矛盾や問題を捉え、それを改善しようとする熱き使命感の表明、すなわち職業に相当する未来への指針の公表なのです。

 



 少し矛先を変えて、教育学部の志望理由書の雛型も見てみましょう。ここまで確認して来た通り、「私は子供が好きで~」と、自身の興味・関心を根幹に据えた志望理由書では、正に子供そのものの烙印を押されかねません。教育の意義を、必要性を、現代社会が抱える問題と共に、詳細に、且つ、シビアに捉えて書くのです。


〈教育学部 志望理由書例〉
 教育は未来への架橋。明日を創る。
学校は子供たちの生活の大部分を占めるワンダーランドでありながら、一方で自身の至りなさに直面する過酷な修練の場でもある。人間は生まれながらの態においては劣悪で魯鈍な存在であり、そこに教育の必然性があったはずである。教育は本来的に耳に痛く、心に辛いものであったのではないか。
 誰もが夢を抱く。そしてその夢を誰もが叶えられるかの如く、平等主義が闊歩する。そして、物質的のみならず、精神的にも権利意識が肥大化した親の庇護が及び、矯正と成長の前提である反省、そしてその機会を産み出す他者との衝突や挫折の経験は教室からも、「暖かい」家庭の団欒からも排除される。人も、モノも心地良さを第一に。短絡、偏狭、どこ吹く風。面倒なことには「ごきげんよう」、と。
 未成年の「未」は未来の、可能性の意味である以前に、未熟の「未」でもある。間違えるのが子供であり、過ちを犯すのが子供である。人間讃歌が法の世界に馴染まないのと同じくらい、価値相対主義は本来の教育に似つかわしくない。ゴール寸前で皆で仲良く手を繋いでテープを切ることは既に「かけっこ」でも何でもない。
 理性と優しさを持ち得る点で、人間は慈しむべき存在である。しかし、人は勝ち負けの中でしか自らの存在意義を自認し得ない残酷な存在でもある。人間の負の面に向き合うことにこそ教育の本義があることを私たちは再確認すべきではないだろうか。叱ること、嫌われることから始まる教育を今一度、取り戻す。きっとそこからしか、やさしさの覚醒は図れないであろうから。
             解答例作成 現代文・小論文講師  松岡 拓美






 余談になりますが、ストレスは自身のアドバンテージに対する感謝を忘れた傲慢から発します。五体満足、両親健在、そこそこの経済状況…と恵まれた環境下にありながら、少しばかり思い通りにならない状況にストレスを抱く。それはある意味、贅沢病です。鬱屈したココロじゃ勉強どころじゃないでしょう。冷やかなココロで握った寿司は不味いでしょう。義務的に焼いたパンは人を微笑ませないでしょう。それでも知識を詰め込みさえすれば…ですって?いいえ。そんなことの前に、学ぶことの意義を考えるべきではないでしょうか。多くの受験生の人たちは勉強のやり方などではなく、それ以前の姿勢の部分で躓いているようです。勉強は生きることそのものの一環であり、心を殺して励む苦行の如き機械的な営みなどでは、決してありません。



 医療の現場では、常に多くの困難や、数え切れないほどの悲しみが行き交います。この壮絶な医療現場の日常を思い遣ることなく、単に世襲に従って、あるいは打算的な目論見から、将来展望を定める向きを、大学側は歓迎しないでしょう。医療の現場に携わる者には、揺るぎない理性と、強靭な精神、そして、何より患者の生と回復を心から願う熱い想いが求められます。これらが文面を通じて、あるいは口頭で表明されなければ、医療系大学の合格は、難しいものとならざるを得ません。それも当人の素の部分として。受験や受験勉強ごときをストレスとする身勝手な、あるいは子供染みた感覚では、この域に至ることは叶いません。強くなりましょう。崇高なる未来展望(理想)を抱いて。

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