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東京大学 二次記述 1984年


 詩人たちが自らをその詩作品を書きしるす筆跡には特異な運命の矛盾にあやつられている、個性的で無垢な美しさの芽生えがあると言えないだろうか。詩人たちがそれぞれの好みで、本能的に形や勢いを整えようとしたそれらの文字は、一方において、無意識的な文字自体の美しさの芽生えの状態のまま氷つこうとし、もう一方において、自らを手段として抹殺することにより言語そのものの美しさの証明にほかならぬ詩作品を、この世の中に残そうと試みているのである。
 詩人たちが自分の書きしるす筆跡は、こうした密かな矛盾を、不断に激しく生きている。そして、そのことを、ほとんど誰にも知られずに、そのまま消えて死んでいく。
 それは喩えて言うなら、地球の上に舞い落ちる、人間の言語活動の、最もはかなく美しい枯葉ではないだろうか。

(問)「地球の上に舞い落ちる、人間の言語活動の、最もはかなく美しい枯葉」とあるが、それはどういうことか、説明せよ。




 正しく、日本を代表する東京大学の問題です。まずは、『東大現代文でロジカルシンキングを鍛える』という錚々(そうそう)たるタイトルの参考書の解答と、そこに至るまでの講釈をご覧ください。

 「矛盾」のフレームワーク
 「矛盾」=「Aであり、かつ、Aでない」

(詩人たちがそれぞれの好みで、本能的に形や勢いを整えようとしたそれらの文字は、)
  かつ    自己目的化→目的(=Aではない)
一方において、無意識的な文字自体の美しさの芽生えの状態のまま氷つこうとし、
  かつ      手段(A)
もう一方において、自らを手段として抹殺することにより言語そのものの美しさの証明にほかならぬ詩作品を、この世の中に残そうと試みているのである。

 この第二文目を簡明にまとめると、「詩人の文字は、文字自体の美を目的(Aではない)とし、かつ、音声言語の美しさを証明する詩作品を残すための手段(A)となっている」となります。ここに「Aではない、かつ、Aである」という矛盾があります。これをこのまま解答していいかというとダメです。なぜなら、この「矛盾」した状態は「生きている」状態だからです。問題文には、「詩人たちが自分の書きしるす筆跡は、こうした密かな矛盾を、不断に激しく生きている」と書いてありました。解答しなければならないのは「死んでいく」状態です。であれば、この「生きている」状態であってはいけません。
 ということは「Aであり、かつ、Aでない」という矛盾した状態でなくなればよいのです。
 ここで、今一度、本文に立ち返ると、「自らを手段として抹殺する」という部分があり、死んでいくことが、「Aのみになっていく」ことがわかります。よって、解答も「AかつB(=Aでない)」の状態でなくなり、「Aのみ」になるとすればよいのです。

(解答)詩人の筆跡が、文字自体の美しさを目的とするのではなくなり、詩の韻律の美しさを保存するためだけの手段となってしまうこと。
                                                   『東大現代文でロジカルシンキングを鍛える』




 「美しい」という肯定的側面よりも。「枯葉」という比喩表現で示された否定的側面を重視した、本文の趣旨とは真逆のウエイトの解答になっています。

 加えて、「韻律の美しさを保存する」とは、どういうことでしょうか。本文の主題でもあり、傍線部の主体でもある「筆跡」は、書き言葉であって、「韻律(俳句・短歌などに見られる音数の決まりや、押韻などの効果)」は話し言葉において、はじめて派生するものです。しかもそれを「保存」? 肉声の会話を録音でもするのでしょうか。正に概念操作。現実に大いに反しています。

 この壮大なるタイトルの参考書の著者は、「変化のフレームワーク」なるものも説明していました。

「変化」のフレームワーク
「変化」=「Aでなかったものが、Aになる」「AだったものがAでなくなる」



 これは何を意味しているのでしょうか。「変化」は言葉そのままに、物事の状態が変わること以外の何ものでもないのではないでしょうか。フレームワークなどといった面倒なシステムめいた思考が必要でしょうか。

 「矛盾」のフレームワークなるものも同様です。「Aであり、かつ、Aでない」、とは、どういうことなのでしょうか。「矛盾」とは、単にA対Bの次元の異なる両者が併存している状態です。「急がば回れ」「有難迷惑」「公然の秘密」「石橋を叩いて渡る」などです。「矛盾」が「Aであり、かつ、Aでない」? どういうことなのでしょうか。「急がば回れ」の例で言えば、「急ぐ」ことと「回る」ことは、どちらもAなのでしょうか。これまた概念操作の典型です。現実的にあり得ないことを言葉だけで連ねる倒錯が、あるいは、思考も感情も麻痺した状態がここにあります。



 真相をお話しします。まずは、人間をイメージして下さい。ここには、手書きの文字に対して、相反する見方を有する人間が二者、存在しています。A筆者を含め、他者は肉筆の筆跡を「美しい」と、A味わい深いものと感じています。確かに、手書きの文字には、その人のA個性や、想いの丈が表現されることでしょう。しかし、書道家と違い、それを書いている当の本人であるB詩人にとって手書きの文字は、作品を書き記すためのB手段に、つまり、道端で踏みしめられる「枯葉」と同様、取るに足りないものなのです。これが、本文で言うところの「矛盾」の正体です。

(解答)書いた⑤当人にとって、記録のための④手段に過ぎない手書きの文字は、③他からすれば、その人の②個性や②心の揺らぎを表象する①味わい深いものであるということ。



 記述式問題において求められる内容(評価基準)は、大半が単語レベルに集約されます。そして、その数は、世の多くの受験生が思っている以上に多く、平均して、四~五ポイントの採点基準が用意されています。また、そのポイント毎に定められといる配点も、単語によって、それぞれ異なっています。これは記述式問題の常識なのですが、これを認知している予備講師は、ごく少数のようです。



 
 詩人たちが自分の詩作品を書きしるすときの筆跡は、もちろん、その芸術化を目ざしてはいない。ごく少数の例外はあるかもしれないが、自ら書きしるすその文字のありように心を労するほど、詩人たちは閑(ひま)ではない。その眼は、文字ではなく、言語の組み合わせを、その関係の精妙な美しさを、探したり確かめたりすることに集中しているのである。

(問)「その関係の精妙な美しさ」とあるが、それはどういうことか。説明せよ。

 先の文章に先行した部分で、設けられていた問題です。これに対する件の参考書の著者が作成した解答は、以下のようなものでした。

(解答)音声言語の組み合わせによって生じる詩の韻律の美しさ。

             『東大現代文でロジカルシンキングを鍛える』




 「文字」の対極概念を、「音声」とする短絡による誤りです。そもそも短歌・俳句は別として、一般的な詩(近代詩)に韻律はあまり盛り込まれません。確かに文語定型詩に限らず、歌の世界の詩のように、「もう君を返さない、離さない、離したくない〜」と意識的に韻を踏むこともありますが、それは音楽の世界など、例外的なことです。そして、彼(著者)は言います。全体集合が「言語」として、「文字」集合の補集合は何か? それは「韻律」である、と。さらに彼は不可解なベン図(「文字」とその補集合)を書いて力説するのです。問題はここにあります。


 真相をお話しします。詩人が言葉において最も大切にするものを、単に思い起こせば良いのです。詩人が最も大切にする言葉の属性(言葉に付随するもの)は「韻律」ではなく、意味です。比喩表現、省略表現などは、その際たるものでしょう。言葉の意味の相乗効果を極限まで高めたものです。「彼はタバコの吸殻分、待ち続けた。」と、タバコの吸殻がたくさん貯まるほど長い間、という説明を省略するところに文学的表現の美しさがあるのです。これらは韻律などではなく、言葉の意味を最大限、活用した表現です。

 本当の解答は、以下のようになります。ポイントは「美しさ」。言葉の意味自体、見えないものです。しかし、比喩表現を筆頭に、それを精妙に組み合わせることで、読み手に鮮烈な情景を印象づけるのです。「ダイヤモンドダストのような粉雪」とすると、「粉雪」という単なる小粒の雪の大きさを超えて、きらめきや美しさまでを鮮明に描き出せる。これが、言葉によって作り出される「美しさ」なのです。

(解答)言葉の①意味の②相乗で描き得る、③情景の④鮮やかさ。



 何より大切なポイントは、筆跡の美しさにこだわらない詩人が大切にするものが、言葉の「意味」であるという点です。正に現実感覚です。

「論理」? 思考の組み合わせであり、それは私たちの日常の、当たり前の営みにおいて、ごく普通に成り立つものです。「明日は雨が降るようだ。傘を持っていこう。」。これ、論理です。「推論(前提)→因果関係→行動決定(帰結)」、と論理学の世界では小難しいものとして、重用されるのでしょうが、そんな高尚な言葉を当てるまでもなく、何らかの考えや事実に基づいて、次の考えが引き出されたなら、それは「論理」なのです。学問は私たちの日常に、特別な名称と規則を持ち込むことで、逆に私たちにとって、ごく当たり前な身近なものを、却って見え辛くしてしまう面もあるのです。少なくとも誰もが、思い付きや気分は別として、何らの論理的思考を普段から行っています。また、生活言語を用いた国語(現代文)という科目に、「論理」などという大袈裟な構えは、必要ありません。大切なことは、人として真っ当な感覚と感情を失わないことだけなのです。


現代文・小論文講師  松岡拓美


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