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世の中の不条理に動じないこと


#未来のためにできること

この世界では、自然界は生き物を愛で包み、愛が生き物全体に流れ込んでいますから、自然界に身を置き、自然界を意識している限り、気分良く過ごすことができます。

一方で、人間社会という世の中の現実を見ると、理不尽さが世の中を構築しているようで、この不条理にがんじがらめに縛られ、時には身動きができないほどの苦労をすることがあります。
自然界と人間社会は、どうしてこうまで違うのでしょう。


 
自然界は「分け与える」が基本であり、万物はお互いに分け与え、与えることによってできた空白部分には何かが入ってきます。そこには損得勘定のない世界があるのです。

人間社会ではそうはいきません。まずは自ずの利益を優先し、儲かることだけをします。利益優先が度を越している現在の社会構造に目を向けた時、何かが変だと誰しもが思いますが、ではどうすると問われれば、度が過ぎた便利さの中にみんな埋もれてしまいますね。


 
古代の叡智と現代の科学は今、交わりを持ち、科学が進歩して追いついてきたのですが、シャーマンやチャネラー、神道などで伝わっていた古のことが真実味を帯びてきました。世の中が目に見えないもので成り立っていることは今では多くの人が知っています。


世の中に不条理があると思えば、自分の世界にも不条理はあり、不条理がないと思えばないのです。考えてもいないことはないに等しく、意識に上がってこないことは現実世界にもないことになります。正面から不条理と格闘することはありません。

この世は、集合意識で成り立っている大きな社会構造という現実の中に、自分が頭で作り上げている小さな現実があり(現実の中の現実)、自分で考えて作り上げたその小さな世界を信じて、多くの人はその世界を真実として生きているのです。

それでは、この不条理に出会ったときにどうすれば良いのでしょうか。正面からその不条理にぶつからないことです。おかしいと思ったことには真っ向から勝負せず、無関心でいるのです。随分弱気ですねと言われそうですが、意識すればするほど、抗えば抗うほど、その不条理はその人の世界で大きくなっていくと言われていますよ。

それぞれの立ち位置で、できる範囲で不条理に無関心でいること。意識に上げないこと。そのうちに消えてなくなるかもしれません。水の流れに逆らえば疲れるだけです。自分の現実は自分で作り上げているのです。不条理さえも…


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