夏の音
私の生家はとある細い川のすぐそばにあり、その川を隔てた向かい側に古びた日本家屋が一軒、ぽつんとあった。地図で見ればそれは隣家と言えるだろうが、その川を渡るための橋は家から300メートル先にあったので、普段からそれほど活発に交流があったわけではなかった。しかし、辺境の田舎の二階の部屋から見える景色というのは、私が幼いころから、ただその家一つであったので、物心ついた時から私はその家にそれなりの親しみを感じていた。
その家には老母が一人住んでいて、他に同居している者はなかった。晴れた日には外に出て庭の手入れをしたり、洗濯を干したりするのを私は部屋の窓からしばしばぼんやりと眺めていた。
老母は毎年夏になると決まって庭の欄干に風鈴を吊るした。私は始終部屋の窓を開けていたので、その風鈴の音は一夏中耳に入ってきた。梅雨時が明けた穏やかな晴天の日にそのチリンという音を聞いた時、私はいつも夏が来たのを感じるのだった。
3年前―――それは私が上京する前のことだが、とある8月の夜に窓の外から賑やかな笑い声が聞こえてきた。私は網戸を開け放して川の向かい側の家を眺めた。そこには、その老母の孫や親戚と思われる人々が集まって、何やら共にバーベキューをしているらしかった。私はその賑わいを、子供たちがバーベキューの残り火で手持ち花火をするときまでうっとりと眺めていた。老母に身寄りがあったことに驚きつつも、どこかほっとして、安心した気持ちになった。
夜が更けて、それら一家の小さな祭りが終わり、再び辺りに静寂の夜が訪れたころ、不意に例のチリンという音が鳴った。私はそこに、真の意味で夏を感じたのであった。
大学受験を機に上京をし、生家に帰るのは正月と、夏休みだけになった。今年の夏はバイトや課題の都合がうまくついて長めに帰省できることになった。そして8月の上旬に帰ってきた。いつも通りの田舎の景色に安堵しつつ、都会との差を痛感しながら帰宅し、二階の自室へと向かう。まず窓を開け放してそれから辺りを見回したが、相変わらず部屋はさっぱりとしていて、最小限度のものしか置いていなかった。部屋に籠って小1時間たったころ、私はとある違和感を感じた。違和感の正体はすぐに分かった。風鈴の音が聞こえないのだ。私は階下に急いで母親に尋ねた。
「4か月前に、亡くなったらしいわよ。」それだけだった。あまりにあっさりとしていたので驚いたが、それほど交流があったわけでもないのでそんなもんかと納得した。それでも何か心に引っかかるものを感じつつ、二階の自室に戻った。やはり、あのチリンという音が聞こえてこない。それは老母の不在であって、風鈴の不在であって、則ち夏の不在であった。合掌。夏が、一段と暑く感じられた。