7.灘の男酒をつくりだす宮水の謎
西宮市の今津郷・西宮郷、神戸市の魚崎郷・御影郷・西郷の地域は灘五郷と呼ばれ、日本最大の清酒酒造地帯で日本酒生産量の1/4のシェアを占めているといいます。灘の酒は「男酒」「灘の生一本」と呼ばれ淡麗な風味と後味の切れの良さが特徴。それにはとても狭いエリアでしか汲み上げることができない「宮水」が関係しています。その宮水についてできるだけわかりやすくその謎に迫りたいと思います。
灘五郷の酒蔵の井戸がここに集中
上のエリアが現在の宮水地帯です。宮水の名前は西宮の水なのでその名がついたと言われますが、地図内にある酒蔵のなかで、白鷹、白鹿、日本盛、喜一、灘自慢は西宮郷、大関は今津郷、櫻正宗、松竹梅(宝酒造)は魚崎郷、菊正宗は御影郷、沢の鶴は西郷になります。灘五郷すべての酒造りの水がこのエリアから汲み上げられているのです。ではなぜこれだけ多くの酒蔵が宮水を使うのでしょうか。
宮水が発見されたのは江戸時代末頃。それまで各酒蔵は、それぞれの地域に湧く六甲山系の地下水を使っていました。宮水を発見した一人とされる櫻正宗の六代目山邑太左衛門は、西宮と魚崎に酒蔵を持っていましたが、西宮の水を使った方が良質な酒ができることに気付き、天保11年(1840)に西宮の水を魚崎に運んで仕込んだところ、西宮の蔵と同様の良質な酒ができました。この酒は江戸でも大評判となり、原因は仕込水にあることが分かると、灘の各酒造家は競って西宮に井戸を求め、仕込水として宮水を使うようになったのです。
なぜ、西宮の井戸水で良質な酒が作れるのでしょうか?
宮水の成分は、他の地域の水よりもリン、カリウム、カルシウムが多く、鉄分が極めて少なくて塩分を適度に含みます。リンやカリウム、その他10種類あまりの微量元素があいまって酵母の増殖を促進する働きがあるようです。また鉄は酒の色や香りを悪くするため、鉄が極めて少ないことなど様々な条件が揃っているのが宮水なのです。
宮水の絶妙な成分含有量は古代の地形が関係しています。
弥生時代から古墳時代にかけて西宮市の中心地は入海だったと考えられています。夙川丘陵からは夙川が排出する土砂が潮流などによって集められ砂州(砂嘴)が形成されました。この地形は天然の港として海岸線に沿って集落が営まれます。古墳時代にはヤマト政権にとっても重要な港になりました。日本書紀にも記される務古水門はこの場所だと考えられています。この浅海の底に堆積した貝殻を含む粘土や細砂層の上に、六甲山系の花崗岩が風化したマサ土などの砂礫が堆積し、その上に表土があります。つまり、表土の下の砂礫層が、六甲山からの地下水を蓄える帯水層であり、そこを複数の伏流水が流れ、なぜかこのピンポイントの場所で汲み上げた水で酒をつくると美味しくなるのです。まさに奇跡の水といえるかもしれません。
危機を乗り越えた宮水地帯
宮水地帯の井戸の水面は地表からわずか2〜3mのところにあり、海水面とほどんど変わりません。そのため宮水地帯は何度か危機を迎えました。第1の危機は明治末から大正時代に行われた西宮港修築工事。この工事で塩素が増えて第一次宮水地帯の水が使えなくなりました。第2の危機は昭和9年の室戸台風。高潮で宮水地帯が浸水し第二次宮水地帯の水も使えなくなりました。その後、太平洋戦争の空襲で宮水地帯を含む西宮市全域が焦土と化し、地下も汚染されて宮水の命は絶たれたと思われましたが、調査の結果、帯水層の地質は汚染されていないことがわかったのです。
ところで、ここから沢の鶴がある西郷の酒蔵までは約11kmもあります。トラックやタンクローリーがなかった時代にどのようにして運んだのでしょうか。そんな疑問を解き明かしてくれるものが「沢の鶴資料館」にありました。
宮水地帯の上流域は西宮市という大都市で、今後も街は開発はされていくでしょう。宮水はそんな大都市の地下2〜3メートルの帯水層を流れる伏流水です。その水が枯渇や水質悪化をすることなくこの先もずっと残ってほしい。この脆弱で奇跡的な環境をいつまで守り続けるためにも、もっと広く宮水の環境を知ってもらうことが大切かもしれませんね。タモリさん、待ってますよ。
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