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動物のままで生きて、動物のままで死んでゆくこと

発言をするのなら、立ちなさいよ。
と、言われたので起立した。しゃんと。背筋を伸ばして両手は太ももの横。目線はあんまり得意じゃなかった宮長先生。還暦に近かった彼女は三角定規をブーメランみたく放って、やすやすと生徒たちの首を刈り取っていた。

彼女に「10ページから読め」と命じられたので、吐露するのかもしれない。もしくはもっと別のきっかけがあったのかも。なにか目に見えない情熱と衝突したのか。分からない。書くこと以外、どこにも道がない。かかないとわたしはいきられない。

とても鮮烈だったのは、初めて言葉を交わした瞬間ではない。彼女との初めての会話なんて覚えちゃいないが、たぶん「ともだちになろう」とかそんな感じだったのではないか。なんせ私たちは小学生で、たまたま家が近かっただけの間柄だったのだ。それが中学生になって付き合うことになり、少しただれたような趣味を共有しながら迂回路を直進した。

鮮烈だったのは、初めて文学の話をしたとき。小学生のころから彼女の机には本が山積みにされていた。ロッカーにも書籍がぎっしり詰まっていて、ジャンルはバラバラだったと思う。小説や散文、詩、楽譜、画集まであった。私がいま文章で仕事をしているのは彼女がきっかけだし、文学をやってるのもやっぱり彼女の影響だ。

彼女はピアノを習っていたし、絵を描くのも好きだった。だからまわりの子よりもほんのすこしおとなだった。でもすごく背が低くて、そのことがコンプレックスだった。と書くと、なまいきでアイデンティティが強い、すこし面倒な少女像を想像するかもしれない。それは半分正解で半分間違い。たしかに彼女はアイデンティティの塊だったが、とてもにこやかで、素直で、いつもたくさんの人間に囲まれていた。

次に鮮烈だったのは、バンドを組んで初めてライブをしたときだっただろう。中学2年生のときに私がバンドに誘った。初ライブは福岡市にあるearly believersというハコ。私たちは、地元の高校生イベントに呼ばれた。はじめてステージに立つのは誰だって緊張するもんだが、彼女は違った。いつもと変わらない様子で変わらずニコニコしていた。「よろしくお願いします」とスタッフや対バンと挨拶を交わし、いつものように観に来てくれた友達と歓談し、初めてのはずのリハーサルも慌てることなくこなした。

そのままステージに上がり、どうもと頭を下げて、音階が分からないくらいギターを歪ませて、ほとんど適当に弾いていたことを覚えている。ギターを両手で抱えて、ぺたりと床に座り込む。乱れた髪の隙間からじっと客を見ていたのではないか。私はドラムだったので、彼女の目線までは図れない。

いまだにあの曲をはっきりと覚えている。そのライブが好評で、他のバンドから主催のイベントに呼ばれるようになり、いつの間にやら大人に混じってライブをするようになった。何度かライブをして中学を卒業する。高校進学とともに私は隣県に引っ越した。彼女は音楽の専門学校に入学してギターと音響を学ぶ道を選んだ。

16歳になってもバンドは継続していた。九州を回るツアーを組み、音源をリリースした。148cmと小柄ながら、彼女はおそらくすべてのハコで最も存在感を発揮していたと思う。いつもロングワンピースを着てShoegazeのポーズをとり、肩の下あたりまで伸ばした髪を振り乱しながら殴るようにギターを弾いた。端的にいうなら「野性」だ。人間らしさがまるでない。なにも考えていない。音が鳴ったら反応して、うごく。はじめは木目調のレスポールだったが、いつかのライブでボディをステージに叩きつけて、何度もスニーカーで踏みつけたので、いっさい音が出なくなってしまった。それからはメイプルの木目がうつくしいテレキャスターを弾くようになったが、すぐに同じ理由で壊れてしまった。

とても生き生きとした日々だった。
各地のライブハウスで数人のお客さんがつくようになった。私が参加できないときは、サポートのドラマーが叩いてくれた。それが悔しくて学校を辞めて、バンドに専念しようかと考えはじめた。

また、そのころの彼女の詩はとてもおもしろかった。理系の人間をブルドーザーで轢き殺すとか、ひぐまに首輪をつけてもみじ狩りにいき、落ち葉をむしゃむしゃ食べるだとか、理性がある人間にはできないことが、動物にはあっさりできるんだよって言い続けていた。また、曲が完成するごとに絵を描いた。私は彼女の抽象画を観るのがとても好きで、毎度たのしみにしていたのを覚えている。

しかし楽しい日々は長くつづかなかった。16歳の終わりごろから、明るいユーモアは次第に暗くなっていき、ただ悲しい言葉を吐くようになる。ライブ中も客をにらみながら「ころす」と呟くことが多くなった。歌詞なんかすっ飛ばして、ただ「ころす」や「しね」などと連呼することもあった。曲とともに完成していたはずの絵は、すっかり描かなくなった。彼女はすこしずつ元気をなくしていった。ずいぶん痩せてしまった。

ある日、どうしてもお金が無く、風俗店で年齢をごまかしながら働いていることを暴露した。「それでも学校には通いたい」と言う彼女を私はどうしても止められなかった。高校を辞めて彼女のそばで働こうと決心し、両親に打ち明けると、泣きながら やめろ と言われた。

高校に通い続ける代わりに、私は頻繁に彼女の家を訪れるようになった。といっても、高校の授業があったので土日だけ、週2日は彼女の一人暮らしの家に泊まるようになった。

なぜ元気をなくしてしまったのか。無理に詮索するのもよくない。私たちは黙って散歩をしたり、ギターを弾いたり、絵を描いたり、本を読んだり、映画を観たりと、ただの恋人の日常を謳歌していた。が、あのころ彼女はほとんど笑わなかった。私は小学生のころの溌剌とした顔を思い出して悲しくなった。いつの間にか私まで元気を失っていた。

そんなある日、彼女は「バンドをやめたい」とこぼした。「いまはバンドをしたくない」と。話を聞くと、泣きながらすべて教えてくれた。

曲がかけないこと。絵がどんどん下手くそになっていること。なにをしていてもつまらないこと。ひとりになると猛烈に悲しみが寄せてくること。だから数カ月前から、覚せい剤を常用していること。本当はもう、今すぐにでも死にたいこと。でもおそろしくて、結局生き延びていること。

はじめて知った事実ばかりだった。悲しみよりも先に驚きがやってきた。彼女は泣きながら「もうはやく死にたい、殺してほしい」と何度も叫んだ。このままではいけない。私はほとんど24時間、彼女に電話をかけるようになった。いよいよ高校に通うことを辞めようかと考えたのだ。

くすりが回っている状態の彼女は電話口で「逃げなきゃ、どこかに逃げなきゃいけない」という言葉を何度も漏らした。そのたびに私は、電車やバスで彼女の家に飛んでいき、彼女をなぐさめて覚せい剤をすべて捨てた。しかし彼女はまたすぐにくすりを仕入れてくる。ついに私は彼女とともに勤務している風俗店に押し入り、辞めさせてくれと必死に交渉した。そのお店は暴力団が経営していたが、どうにか退職できた。

これでようやく光明が見えたことを感じた。学校の卒業を間近に控えていた彼女は、福岡を離れて広島の学校に転入することを決めた。私は高校を辞めることを決めた。働きながら彼女と暮らすか、広島の高校に移るかを決め兼ねていた。どちらにせよ、広島に引っ越すことを腹中で決めていた。その日は「翌日にもう一度会おう」と約束して、私たちは互いの家に帰った。

しかし、彼女はその晩、自殺してしまった。

スクーターに乗って、軽トラと正面から衝突した。ひどくあっさり彼女は死んだ。事故かと思われたが、遺書が用意してあったので自死だと認定された。私はバンドメンバーから連絡をもらって病院に駆けつけたが、彼女は病室のベッドの上で、もうすっかり死んでいた。もうすっかり死んでいた。

明け方に病室を出ると、サラリーマンが普通に通勤していて、とても憎らしかった。なんでお前じゃなくて彼女だったんだ。理不尽なことを思いついた。

葬式では彼女を女手一本で育てたマリコさんが泣いていた。通夜にはバンド関係の知り合いがたくさん駆けつけた。遺品を整理していると、彼女が音楽の専門学校のほか、福岡美術学院にも通っていたことがわかった。どうやら美大を目指していたらしい。お金がなくなるのも、仕方がない。じゃあ風俗で働いていたのは? 覚せい剤を使ったのは? 仕方がないのか。音楽の専門学校に行ったのは? バンドを組んだのは? 仕方がないのか。私と付き合ったのは? 出会ったのは? 同じ年に生まれて、たまたま家が近かったのは? ぜんぶ仕方がないことなのだろうか?

2018年で、彼女が死んでから9年が経つ。
私だけがどんどん大人になる。置いてゆく。スマートフォンが、IoTが、AIができてネットが発達して、一度書き記せば後世までログが残るようになった。
その後、2人の恋人ができて別れてしまった。物書きになった。売れたいなんて気はなくなったが、新しいバンドを組んでステージに立ち続けている。

私は彼女が死んでから1年に一度はこうして、当時のことを書き残している。遺書として記しておきたい、また水原 恵梨奈という存在を、もっと多くの人に知ってもらいたい。これは自分勝手な発信である。エゴだ。でもそれでいい。なにも考えなくていい。理性を捨てろ。嘘はつくな。正直であれ。それが動物だ。本能だ。野性だ。描こうと思うな。歌おうと思うな。創ろうと思うな。分かることをやめろ。知ることをやめろ。守ることをやめろ。見ることを、聞くことを、しゃべることをやめろ。

2018.11.7 PM22:46
初冬、メイプル材のソファの上にて

#シュルレアリスム #シュルレアリスム文学 #小説 #随筆 #散文


動物のまち

あしたになれば
リンゴは噛みくだかれて
わたしは今夜
ひぐまのとなりで月を燃やした

あしたになれば
うたごえは忘れてしまって
わたしは今夜
ひぐまと一緒にもみじ狩りへ、ゆく

かき集められた、もみじのやまを
広場ではしゃいでる子どもたちを
ひぐまはすぐに、爪でひっかくの
あばれて、あそんで、なくしてしまおう

わたしは赤いもみじだけを
食べて 噛んで 飲んで わらう

#詩 #現代詩 #音楽

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