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武器はプリッツ、あたし旧知のライバルと相対す

味気のない冗談はヨシテくだせぇ、と回る毒回らない毒を妙々繰り返して、いま、橋の上。座禅を組んで阿蘇の風景を眺めている。窮地に陥ったので、墓参りをして、キャンキャン吠える犬を撫でながら、噛まれながら、日比谷に落ち着いたのは昨日のこと。中途半端だが、味わえないあの、バランスのいい味とか、キャッツの舞を見た後の前時代的な焦燥感とか、全て持って帰って、寝るばかりである。ぐー。

轟音は紛れながら、諤々いってる声だけが、たいそう面倒でやりきれん。死ぬまで死ぬし、生きるまで生きるのだから、あなた。生きている理由なんてないはずだ。無心でぽちゃっと量産する、モンゴルじみたエスプレッソを興味関心があるうちについばんどけ。先代に謝れ。いなくても、なにもしてなくても、お前はとにかく先代に謝れ。臥薪嘗胆の精神をぶっ壊して、適当に前向いてるだけでいい。生きるのだから。ざっくばらんにね。生き続けるのだからそれでいいのだ。エンガチョの調子が良くて、本当に血管が切れて、たまらんほど、あぶる。ガソリン魂だ。切れ長の目で見てんじゃあない。札幌の耳で聴いてんじゃあない。

ドーベルマンちっくな、小さいエクボをもってしても、まだ春は遠いか。車屋は来たか。情けはかけたか。ちょっとまだ、それすら判別がつかない使用人のように、ぬくぬくの毛布にくるまっているのである。

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