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約三年間続けたバイト先が急に閉店することになった話

今年の2月中旬、いつも通りバイト先に行った。
そして、「来月閉店するらしいですよ」と後輩に聞いた。
まさに「寝耳に水」だった。
水ではなく、熱湯ぐらいびっくりしたかもしれない。
そんな噂、1ミリも聞いたことなかったからだ。

売り上げも系列店の中ではダントツでいいはずだし、全国的に見てもうちのバイト先はそこそこ忙しい。
よく売り上げ更新をして、ご褒美のクーポン券もたまにもらっていた。
常連さんも多く、歴史も長い。
そんなうちが、なぜ??
頭の中で、はてながいっぱい浮かびながら、勤務に入った。

後輩の言ったとおり、しばらくして、たまに店舗に来る偉い人がお店に来て、1人ずつ「話がある」と呼ばれていった。
もちろん、閉店についての話だった。
理由は売り上げではないということだった。
お偉いさんの事情や土地の関係で泣く泣く、ということだった。

ショックと悲しみ、怒り、いろんな感情が渦巻いて、でもどうしようもなくて、仕事は妙に冷静に、淡々とこなした。
常に1センチくらい、宙に浮いているような気分だった。
気分が悪くて、結局その日は家に帰っても眠れなかった。

そのときは、怒りが一番大きかったかもしれない。
バイト先をなくす、という、経済的不安と精神的不安の、両方で首を絞められた。
なんというか、理不尽をめいっぱい頭にたたきつけられた気分だった。

生活費の確保にはほんとにお世話になっていた。
まかないもあり、ご飯も美味しくて困らなかった。
友達やパートさんともすごく仲が良くて、居心地がよかった。
接客も好きで、常連さんにもだいぶ顔を覚えてもらっていた。
ずっと続けていて、しんどかったことも楽しかったことも全部含めて、大事な場所だった。


大事な場所を、一瞬で、外からなにも知らない人たちに奪われる現実は、私にとって残酷なものだった。


それも関係ない。
どんなに愛着を持ってようと、働こうと、私はただの大学生で、ただの一アルバイトなのだ。
会社からしたら、使い捨てられるただの駒なのだ。

なんて理不尽な現実なんだろうと思った。
現実の厳しさで、身がちぎれてしまいそうな感覚だった。

それでも、夜は明けた。
毎日残酷に、日は過ぎていった。


前々から予定していて、結果的に、お店がある間に開催される最後の飲み会をした。
楽しくて、なんだか悲しくて。
でもみんなの笑顔が明るくて。
それを見たとき、「また集まりたい」と思った。
オールして、明け方の朝日を見たとき。
お店が無くなっても、離ればなれになっても、それでもまたみんなに会えるような気がした。


私は、それでも前に進んで生きなければならないと、そう思った。


今、私は系列店に移る書類の準備と、新しいアルバイト先を探している。
しんどくても、辛くても、受け入れて、前に進まなければならない。
そのために、いま出来ることは、すべてやりたいと思っている。





毎日のコーヒー代に。