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仔猫を拾って1週間と少し暮らした話

猛ダッシュで帰ってきたのか、その人の髪は逆立っていた。
帰ってきたら家にもう猫がいる。
それを「いいな」としいちゃんは言っていた。

しいちゃんと私は、車に仔猫と新しい飼い主になる彼女を乗せて、埼玉から東京まで猫を譲渡しにきていたのだった。
すでに夜で、届けたらすぐ帰るつもりではあった。彼女がお茶を出してくれて、しいちゃんはしばし猫と遊んだ。

そのうちに新しい飼い主の旦那さんの方が帰ってきて、猫と対面した。
彼は一度、埼玉まで猫に会いに来てくれていた。そのときすでに猫は彼の膝に乗って、彼の腕枕で昼寝をした。

自転車通勤なのか、髪が天を向いている。とっても急いで帰ってきてくれたことがわかった。
彼は、猫のためにねこじゃらしの玩具を買ってきていた。猫の上からびよんびよんと吊るすと、猫が反応して飛び上がってじゃれる、という代物だ。
そんな玩具をカバンの中にしまって、猫が待つ家へと急いでいた彼のことを、私たち以外、誰も知らない。

きっと猫はこの人たちに愛されて、幸せに暮らすだろう。
「あんたはどこにいってもだいじょうぶ」
数日前、しいちゃんが猫に向けて書いたと思われる手紙の結びにはそう書いてあった。しいちゃんにあの手紙を読んでしまったことは言っていない。あの手紙はどうしたのだろう。

もう22時を回っていたので、さすがにそろそろおいとますることにした。猫の新しい家のドアを閉めた途端、さっき笑顔で猫にさよならできたしいちゃんは泣き始めた。涙はほとばしった。二人で駐車場の隅で、しばらく泣いた。

これでよかったのか、そうでないのか、わからなくなった。帰りは下道で、ゆっくり帰った。

*
今回、ペットを飼うことについてあらためて考えた。ペットを飼うとは、人間の癒しというエゴのために生き物を蹂躙することであり、本来自分で食べ物を手に入れることのできる生き物の力と権利を奪い、人間に依存させることだ。

人間がいなくては生きていかれない生き物をつくることが、なぜ罪でないのだろう。罪だろ。

それでも、その生き物と人間との間に生まれた感情は「愛」と呼んでいい。しかもペットには見返りを求めたりしない。ペットの方はなおさらだ。無償の愛だ。人間同士のそれよりも短期間でたやすく無償の愛が生まれる。これはすごいことだと思う。

かつて、私にも愛した生き物があった。
今の娘と同じ小3の頃、私は白文鳥を飼いたいといって、飼い始めた。初めから手乗りの成鳥を買ってもらった。毎日世話をし、室内にいるときはほとんどの時間を鳥かごから出して一緒に遊んだ。名前はチュチュと名づけた。

それから1か月後、巨大アミューズメントパークがオープン、私は母と弟と一日かけて遊びに行った。さすがに文鳥はお留守番。父が家に残った。

その日の夕方、帰宅すると、私は真っ先に鳥かごに向かった。手を入れるとすぐに乗ってくる鳥がなぜかおびえて鳥かごの中を飛び回っている。せまい鳥かごの壁に何度もぶつかり、あきらかに様子がおかしい。

「チュチュじゃない」
背中を戦慄が走った。

白文鳥は名前の通り、真っ白な文鳥だ。個体差は多少あるが、他の桜文鳥などに比べて、見た目では区別がつきにくい。逃げまどうその文鳥がチュチュではないと確信したのは、その日の朝まで手乗りだった文鳥が一日で手乗りでなくなるはずがないと思ったからだ。

私は父を問い詰めた。留守番中、父がチュチュを出してやろうとかごを開けたら、飛び出して、そのままガラスに激突してして死んでしまったという。庭に出るとすでにお墓があり、割りばしが墓標代わりに土に挿してあった。
「ごめんね。パパ」
と父の字で書いてあった。(そんな墓標、見たことある?)

その後、焦った父は鳥屋へ行き、白文鳥を買ってきてかごに入れた。このとき手乗り文鳥を買っていたら、彼の完全犯罪は成立していたかもしれない。(庭にお墓作ってる時点で、彼の相当の混乱ぶりがみられるが)が、新しい文鳥は手乗りではなかった。

父の告白を聞いて私は大いに泣いた。父を責めたし、とにかく悲しかった。ディズニーランドなんか行かなきゃよかったと思った。(その後、私のディズニーランドの印象があまりよくないのは、このときの思い出が原因だ)

初めは謝っていたが、父もそのうち逆ギレしてきて、家の中は騒然とした。その場に弟もいたと思うが、何をしていたのか、まったく覚えていない。私の記憶にあるのは、そのとき母が放った言葉だ。母は父に言った。

「紀美が初めて愛した生き物だったのよ」

私はチュチュを愛していたのか。
と思ったことを覚えている。
その夜は夕飯を食べた記憶がない。

*
猫を譲渡する1週間とちょっと前、車で家に帰ってくると、母屋に向かって走り去る仔猫をみつけた。そのまま縁の下に入り込んでしまい、なかなか警戒心を解かなかったが、しいちゃんは見事に手なずけ、寒くなり始めた季節だったこともあり、とうとう家に上げてしまった。思えばこの判断が間違いだった、といえば間違いだったかもしれない。

猫はどんどん家になじんで、とうとう夜は布団で寝るまでになった。猫は賢くて、排泄物で家の中を汚すことはほとんどなかった。

しいちゃん以外の家族(しいちゃん父、しいちゃん兄)にも、猫は確実に癒しをもたらし、初めから「飼わない」と言い続けていた私は悪役もいいところだったが、どうしても飼うと言えなかった。家には文鳥がいたし、猫を飼うという責任は私には重すぎた。

だったら初めからほうっとおけばよかったのに、と誰もが言うだろう。実際、何人もに「もう飼っちゃいなよ」と言われた。「これは飼うパターンだな」とも。

運のいい猫だった。夏に鶏が死んでしまったのだが、もし庭に鶏がいたら猫を保護するなんて論外だった。今、文鳥のつがいを奥の部屋に置いているが、もしヒナが生まれていたら、さすがにしいちゃんでも猫を家に上げることはしなかったろう。

拾って数日後、飼いたい人を募ったところ、早々と知人が手を挙げてくれた。猫を保護するのも初めてなら、譲渡するのも初めてだったので、猫に詳しい複数の知り合いに相談して、慎重に進めた。猫はものではないから、と、一度会いに来てもらって、さらにいよいよ譲渡するときは、車で彼らの家まで送る役まで買ってでた。家から2時間近くかけて、猫をキャリーに入れて、バスや電車で移動するのは、猫がかわいそうだと思ったからだ。

譲渡する日が近づくにつれ、しいちゃんは元気がなくなっていった。私まで心が重くなった。
それでももう9歳になるので、飼えないことも理解してくれている。たった1週間と少しだったけれど、猫を飼う経験ができて、しいちゃんにも私にも家族にもよかった。

しいちゃんは仔猫に名前をつけていた。私は私で、目の周りが隈取りのように焦げ茶色をしているから「かぶき」と呼んでいた。今、猫はまったく別の名前をもらっている。

しいちゃんとたまに猫のことを思い出して話をするとき、私はもうかぶきとは言わない。しいちゃんが呼んでいた名前で猫のことを呼ぶ。

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