石渡紀美(イシワタキミ)

朗読詩人+いろいろ… の石渡紀美(イシワタ キミ)の詩、エッセイ、からだとこころと声に…

石渡紀美(イシワタキミ)

朗読詩人+いろいろ… の石渡紀美(イシワタ キミ)の詩、エッセイ、からだとこころと声に関する考察、本や映画のレビューなど。 ポエトリーリーディング、各種イベント企画します。 スタンドFMで「詩は世界に必要なんじゃないかなラジオ」という番組をやっています。

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最近の記事

処暑

暑さは続くが 旬は一瞬だ やられる前に喰らう 熟す 脂が乗る 機を逃せばすぐに腐る 腐る一歩手前がいちばん旨い 夏を追いかけ 追いつき 追い越しざま ぱくっと喰らう 短い旬の その間に 果てぬ間に 喰らい続けて 秋に突入する

    • ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験して書いた詩

      暗闇のなかで わたしはすぐにあきらめてしまう 音や におい 手に触れるもの 足裏から伝わってくるものが どんなに雄弁に私に世界を伝えてくれようとしても わたしはだんだん眠たくなり 感覚の扉を閉ざしてしまう 見つからない百円玉は 私があきらめてしまったから ノージーはあきらめない だから百円玉は見つかった 暗闇の時間がおわったとき 光がまぶしくて まぶしくて うれしくて、まぶしかった 私は圧倒された 目が見えるということに でもそれはノージーにはわからないんだなとおもった

      • インスピレーションと常識

        インスピレーションは創作に欠かせないものだ。なにもそれは創造をする人間に限ったことではない。たとえば子どもの誕生に際し、名付けは親に課せられた最大のクリエーションである。(子どもそのものは親の創造物ではないと思っている) この際、どんな親でもインスピレーションをたよりにする。それ以外には画数とかもあるだろうけど、親なりに「降りてきた・・・!」みたいな瞬間があるのだと思う。 しかし、インスピレーションだけでつけられた名前は危険で、キラキラネームなどはその代表といえるだろう。

        • たのしき農婦~ニンジンが採れたよ~

          畑を少々、やっております。 と書くと、自然と共に暮らしてるていねいな暮らし系の人かなと思われるかな? いや、全然~。 私の場合、「野菜を育てて収穫する」というのは正しくない。 正確には「土に野菜の種を蒔いて放置しておいたら、あわよくば育ってて、久々に畑に出かけたら、ちょうど採りどきだったのを発見」という狩猟スタイルの「畑やってる」なのです。 ほんと向いていないとは思う。 だが、細々とでも、やめる気はしない。 なぜなら、獲物、いや野菜を発見すると、楽しいから。 ところで、

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        • エッセイ
          23本
        • 駄日記
          8本
        • 詩の朗読音源
          10本
        • ポエトリー
          93本
        • NVC、聴く、聴かれること。
          3本
        • ホームスクーリング
          1本

        記事

          宇宙へ一直線

          ゼロはない 百はない パーセンテージはない あればあるだけ なくてもあるのだ 気づいていないだけ 気づかれていないだけ 天気予報じゃないのだ ある も ない も 否定し 肯定する その名は可能性 名前さえも拒絶する 扉はない 窓もない 柱さえも必要なく ただ空は晴れている

          老いては子に従ってマカロニえんぴつ。~結婚について、序章~

          基本的に、私は自分より若い世代にはかなわないと思っている。 子どもは言うまでもないが、今の若者は賢い。 私は50代だが、彼らは我々の世代の何倍も物事がわかっている。 相手のことを思いやる気持ちや共感力もおしなべて高い。 親のことを好きな率も高い気がする。 素直でもある。 自己肯定感が高いから、安心して自分のことを卑下できる。 だから、もう政治のこととか、この国のこれからのことは彼らに任せてしまえばいいのではないかとすら思う。 そんな若者だが、しかし、青春期には彼らがバカ

          老いては子に従ってマカロニえんぴつ。~結婚について、序章~

          ハローといえば、絶望と返す

          今度の日曜、マカロニえんぴつのライブに行く。 その前に「おばちゃんがマカロニえんぴつを聴くいくつかある理由を教えてやんよ!」というタイトルで文章を書きたかった。これは、主に息子についての気持ち悪い感情に関係がある文章になるはずだった。ところがここのところ、息子についての気持ち悪い感情がうすれてきている。なので、書くモチベーションが若干下がりつつあるが、一度は興味深いと思ったテーマなので、みこしを上げて書いてみようと思う。 息子がひとり暮らしを始めてもうすぐ8か月。彼のいない

          ハローといえば、絶望と返す

          岡田斗司夫を知らなかった頃に、岡田斗司夫の人生相談の回答を読んで感銘を受けて書いた文章

          *これは、2012年頃に書いた文章を加筆修正したものです。 *** 悩みのある人が人生相談にアクセスしてくる。それにしても、人は本当にいろんなことで悩む。 悩むとは、過去や未来にとらわれていて、「今」がおろそかになっている状態を言う。だけど、自分で文章化できている時点で、相談者もかなりいい線まできていて、最後のひと押しを回答者にしてもらいたいだけなのだとおもう。つまり、「今」自分がやるべきことをバシッと言ってくれることを回答者に求めるのだ。 朝日新聞土曜版beの「悩み

          岡田斗司夫を知らなかった頃に、岡田斗司夫の人生相談の回答を読んで感銘を受けて書いた文章

          名前、あるいは幸せな鶏

           私たち人間には、ほぼ全員に名前があります。(日本では、子どもが生まれると、二週間以内に名前をつけないといけないというきまりがあります。)  名前は親からもらったものである必要はありません。自分でつけたものでも、人からつけてもらったものでも大丈夫です。  名前には役割があります。名前をつけると、死んでも死ににくくなります。死んだ後も、お墓に名前を刻んでもらったり、後から生まれた子どもに死んだ人の名前が受け継がれたりします。そうやって、残された人たちの記憶にとどまり続けると

          名前、あるいは幸せな鶏

          【朗読】夏

          夏は、暑くていいと思います。 危険な暑さ、危険な暑さとアナウンサーは繰り返しますが、 なにをそんなにおそれているのでしょうか。 私たちには汗をかくからだがあり、 梅干しがあり、 流し素麺があります。 お中元代わりに、夏の詩を贈ります。

          【韓国語訳】뻗은 손끝에 伸ばした手の先に

          뻗은 손끝에 뻗은 손끝에 거기에 큰 손이 있어서 나 자신을 감싸주고 지켜주는 손이 있어서 아무 말도 없이 믿을 수 있다는 점에서 어른은 아이를 당할 수 없다. 거기에 손이 없으면 울고 외치고 항의한다 요구한다 나는 사랑받기 마땅한 존재라고 큰 소리로 호소한다 그것은 티비 속의 웃음을 뿌리며 춤추고 노래하는 이들과는 전혀 다른 모습이다 이 나라에서는 아이가 아이로 있을 수 있는 시간이 나날이 줄어 들고 있다 아이가 아이

          【韓国語訳】뻗은 손끝에 伸ばした手の先に

          無愛想だが話好きな店主のいる本屋

          いい店は、だいたい大通りから一本か二本、裏に入ったところにあると、一時期、わたしはかたく信じていた。街へ行くたびに細い道へ、狭い道の方へと足は向かった。 当時のSは、駅の周辺に大通りがなく、街全体が路地でできているような街だった。つまりわざわざ裏に回らなくてもおもしろい店に出会える、ということだ。子どもが生まれて引っ越すまでは、近くに住んでいたこともあり、よく通った。 その本屋は、Sの裏通りの古着屋さんの角を曲がったどんづまり手前のビルの二階にあった。店に入ると、ぎょろ

          無愛想だが話好きな店主のいる本屋

          【カバー朗読】向坂くじらさん「宇宙文化人類学"ハイバル"に関する記述より」

          カバー朗読第3弾は、向坂くじらさんの作品です。 この詩は初めて聴いたときから、とても好きでした。聴いた、と書いたのは、初めてこの詩を知ったのは、詩の朗読の競技会(ポエトリースラム)でだったからです。 人が詩と出会うとき、ほとんどの場合は活字として出会うと思います。それに対して、声としての詩と出会える機会は少ないでしょう。 どちらがいいという話ではないのですが、「また会いたい」と思うとき、手がかりになるのが記憶に残った声だけ、というのはひどくロマンチックです。 ロマンチックに読めたかどうかはともかく、今回、向坂くじらの世界をこうして読めて、幸せなのでした。 *** 向坂くじらさんホームページはこちら。 https://kotopa.com/

          【カバー朗読】向坂くじらさん「宇宙文化人類学"ハイバル"に関する記述より」

          【カバー朗読】向坂くじらさん「宇宙文化人類学"ハイバル"に関する記述より」

          【カバー朗読】カワグチタケシさん「無題」

          詩の朗読を続ける中で知り合う人たちとの交流は、長い人だともう20年以上のつきあいになる人もいます。 カワグチタケシさんもそのひとりです。 カワグチタケシさんの初期の詩を朗読させていただきました。 今回、詩を自分の声にたぐりよせることで、新たな風景が見られたのはうれしい発見でした。 聴いてくださる方にはどんな風景が浮かぶか、浮かぶといいな、と思っています。

          【カバー朗読】カワグチタケシさん「無題」

          【カバー朗読】カワグチタケシさん「無題」

          【韓国語訳】사이타마는 어느 쪽입니까? さいたまはどっちですか

          以前、noteで英訳を載せた「さいたまはどっちですか」という詩があります。 友人の息子くんのエピソードをそのまま詩にさせてもらった作品なのですが、このたび、韓国在住の友人による韓国語訳も紹介したいと思います。 息子くんももう中2。顔を合わせることはほとんどなくなりましたが、私の中では、今でもこの詩の彼が、今の彼の中に息づいています。 さて韓国語訳です。私は韓国語はさっぱりなので、うまく伝わるかわかりません。韓国語が分かる方、どうぞ感想など教えていただけるとうれしいです。

          【韓国語訳】사이타마는 어느 쪽입니까? さいたまはどっちですか

          【カバー朗読】平山昇さん「50才になったら詩人になりたい」

          2022年1月の朗読会にて披露した、平山昇さんの詩「50才になったら詩人になりたい」のカバー朗読です。 平山さんが48歳の時に書いた詩だそうです。 私が20代の頃に知ったこの詩と再会したのは、私が48歳のとき。 そしてこの朗読をした私は50歳になっていました。 人生あるがまま。 詩は書けるがまま。 JAZZ喫茶「映画館」に流れる時計のチクタク音とご一緒に、お楽しみください。

          【カバー朗読】平山昇さん「50才になったら詩人になりたい」

          【カバー朗読】平山昇さん「50才になったら詩人になりたい」