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名前、あるいは幸せな鶏

 私たち人間には、ほぼ全員に名前があります。(日本では、子どもが生まれると、二週間以内に名前をつけないといけないというきまりがあります。)

 名前は親からもらったものである必要はありません。自分でつけたものでも、人からつけてもらったものでも大丈夫です。

 名前には役割があります。名前をつけると、死んでも死ににくくなります。死んだ後も、お墓に名前を刻んでもらったり、後から生まれた子どもに死んだ人の名前が受け継がれたりします。そうやって、残された人たちの記憶にとどまり続けるという形で、名前のあるものは死ににくくなります。

 
 ところで、私たちの生は、無数の見えないいのちによって支えられています。無数の名前のないのちによって、支えられています。

 たとえば釜揚げしらす丼。あれらのしらすには名前がありません。ひとつの丼の中に何匹のしらすがいるか、数えた人はいるでしょうか。私は数えたことがありません。ましてや名前なんて。

 フライドチキンはどうでしょうか。もしくはコンビニのから揚げ。品種改良の成果で確実に太らされた鶏は、自分の体を支えるのもやっとです。せまい鶏舎の中に、数えきれないくらいの鶏が詰め込まれます。鶏が大きくなるにつれ、どんどん鶏舎はせまくなります。一羽として名前のついている鶏はいません。

 食べられるために育てられる鶏は、五十日しか生きることができません。中には五十日を待たずに、鶏舎の中で息絶える鶏もいます。お葬式もお墓もありません。

 一方、人間の子どもは死んで生まれてきても、名前をつける人がいます。

 いのちに重さがあるのなら、軽さもあるということになります。名前のないいのちは軽い。けれど、軽いからこそ殖えるいのちもあります。風に乗って飛んでいく、たんぽぽの綿毛。

 
 めぐみさんちのブロンディの話をしましょう。

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 ブロンディには名前がありました。ブロンディという名前は、マークさんがつけました。白いからブロンディ。ブロンディは強くて大きくて、かっこいい鶏だったとめぐみさんは言います。名前を呼ぶと、コッコッと寄ってきて、抱っこしても怖がらなかったそうです。

 ブロンディは名前のある鶏でした。先日、めぐみさんがみずから手にかけて、一生を終えました。雄鶏が増えすぎたので、雑種のブロンディをしめることにしたのです。

 ブロイラー種の鶏と比べて、ブロンディは幸せな鶏と言えるでしょうか。それは本人にしかわかりません。ですが、少なくともブロンディには最初から最後まで名前があり、ブロイラー種よりもずっと長生きし、頸動脈をかき切られる瞬間まで、大切に、清潔な鶏舎で育てられました。日の出ているうちは他の鶏と一緒に外で遊び、おからを発酵させた栄養満点のえさが与えられていました。

 今、めぐみさんの手元に、ブロンディの尾羽根が数本、残されています。石鹸で洗ってドライヤーで乾かしたので、ふっくらしています。ブロンディという名前と共に、ブロンディの羽根はめぐみさんの元に残り続けます。

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石渡紀美(イシワタキミ)
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