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【看取り】父の最期を看取れたのは幸せでした。

私には、とびきりの自慢があります。
それは、40歳手前の時のこと。
長い間、闘病していた父の最期を
運良く看取れたことです。

東京から帰省した翌朝、
母と一緒に病院に行き、
父の病床に行きまして、
カーテン開けたり、
父に話しかけたり、
看護士さんと挨拶したり、
もう何年も続いていた、
ごく普通の1日のようでした。

いや、いつもより父の顔色は
良いのかな?くらいに思ってました。
「今日は気分、良さそうやなあ」
(もちろん、パーキンソン病の
重症だった父は話せなかったですが)

ところが、そんな話をした後。
酸素濃度が下がって、
脈拍数も緊迫して、
瞬く間に緊急事態になりました。

さっきまでのどかだった病室は
主治医と看護士さん数名が
しっかり父を囲んで厳戒態勢に!

でも、一年前から何度も
危篤で病院に呼び出されてきた
家族にとっては、
もしかしたら、また、今日も
父ちゃんはなんとなく乗り越え、
また静かな日がやってくるかな?

もう危篤に麻痺していた私と母は
まさか父がその日そのまま逝くとは
思っていませんでした。

それが、主治医や看護士が
どんどんシリアスになりました。
あれ?あれ?あれ?

母と私はちょっと父の顔を
真剣に見つめていきました。
父の顔色は穏やかなままでした。

一度だけ大きく息を吐きました。
ふわあって口元でした。
それを、霊魂が去る瞬間などと
いう都市伝説もありますが…。

それから数分後、
一年以上続いた父の闘病は終わり、
ゆっくり眠りにつきました。

時間にして50分くらいは
父の側にいて最期を看取れました。
これは私の最高の自慢です。
病床でほぼ一年いて、
何度も危篤になり、
その度に東京から和歌山に戻って
病院に駆けつけてきました。
それが、慌てて呼びつけられるでもなく
普通に病室に行って
話しかけたりしてるうちに
最期を見せてくれたんです。
父には、感謝しています。

親の看取りが怖いという
話もあるようですが、
家族で最期を看取れるなんて、
かなり確率的にも珍しいケース。

その日はよく晴れた空で
11月なのにまだ暖かい日差しが
窓から差し込んでました。

これは最高に幸福な瞬間だった
ように思えます。
決して、怖くはありませんでした。

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