【文学】文学が発生する泉とは何か?

文学が発生しやすい
シチュエーションがある、らしい。
エッセイスト須賀敦子が 
川端康成に言われたアドバイスを
読んだ時にそう感じました。

須賀さんは、
20代でイタリアに渡り、
ミラノのキリスト教左翼活動の
一翼を担う小さな書店で働き、 
その経営者の一人と
幸せな結婚生活を送ってた。

それが、ある日突然、
イタリア人の夫が
病気で亡くなってしまう。
あまりに突然過ぎて、
須賀さんは立ち直れない。
あの夜、こんな話をしたかった、
あんな話もしたかった。
亡くなった夫に話したいことが
次々と心に湧いてくる。
須賀さんは毎日ずっと
そんな悔しさに
引き裂かれそうになる。

その頃、須賀さんは、
川端康成作品を
イタリア語に翻訳する
仕事をしていた。 
その縁で、ヨーロッパを
訪問してきた川端康成に
イタリアで会ったらしい。
川端康成がノーベル文学賞を
受けた後だろうか。
 
川端康成との会話の中、
須賀敦子は、最近、夫を亡くし、
話しておけば良かった話が
次から次から出てきて、
本当にやるせないと話した。

すると、川端康成は
須賀さんに、こう言ったんです。
その気持ちが文学です。
そこから文学が誕生するんです。

言われた須賀さんは
深く感銘をうけた、
そうエッセイに書いている。
いつも、言うべき時に、
言うべき相手に、
言うべき話をできた
試しがない私もそのエピソードには
深く感銘しました。
だから、文学が発生する場所に
合点がいったものでした。

人はいつも必ずしも、
言うべき話を言うべき相手に 
話せている訳ではない。
そのスレ違いが、
文学の発生する泉となるらしい。

須賀敦子が
日本でエッセイ集を出すのは、
それから、約10年後のことでした。

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