【公開日記】noteを書くのは、座禅のような修行かも?

noteを書く時、いつも
気にしてることは案外あります。
(1)正直者でいようと努める。
(2)カッコいい呼びかけはしない。
(3)新聞の論説文みたいにしない。
(4)つい上から目線になりやすいから
そうならないよう下から目線に努める。
(5)誰もがイエスとなる話は避ける。
できたら賛否両論になるよう、
賛否の中間地点のネタを探す。

これらはあくまで個人的な
モットーに過ぎませんが…。

でも、たまに思うんです。
こうしたことに気をつけて、
ぼくは何を守っているんだろう?
何を得てるんだろう?と。
正直、得はしてないんじゃないか。汗。

分かりやすい方が読む人は
食いつきやすいですよね?
成長しよう、
自分の価値を高めよう、
感謝をしよう、
自分を信じよう。
こうした話は耳ざわりが良くて、
どうせ誰か自己啓発好きな人が書く。
耳ざわり良い話が好きな人が書く。

タイトルを見た瞬間から
これは「良い話」だとわかる記事。
そんな話は人にものを教えたがる人が
毎日、色々と書いている。
私はそんな話を見ると、
あ?ズルい、卑怯だと思ってしまう。
伝えたいのは、みずみずしい人生の
躍動感だとしたら、
今やデフォルトになった言葉を
使うのは、言葉の使い手として
手を抜いてやしないか?
もっとオリジナルな言葉と方法で
自分や人生を語るべきではないか?

私にも多分に、立派な綺麗事を
言いたくなる傾向がある。
そうしてそんな傾向を深く恥じてる。
そうはなるまい、と。

ぼくの中にある、嫌いな自分は
数えたら、かなり多いですね(笑)。
自分が似た傾向を持ってるからこそ、
近親憎悪か、それが嫌いになる。

みんなに支持されたがる私、
何かを教えたがる私、
勇気があると思われたい私、
ユニークな考え方だと思われたい私。

私は毎日、色々な自分を戒めながら
引き出しや炬燵の中に隠し、
自分が許せる「私」だけを見せようと
あれこれ思案して書く。

でも、そうした頑張りは
スキ数とは反比例だったりする。

やはり、時代や空気に逆らわず、
誰もが支持しやすい話を
支持しやすい方向で書いた方が、
スキ数は多くなるような…。

そうして、次からは、
スキ数が多くなる話や方向に
しようと心が動いてしまう。

自分に甘いなあ(笑)。
人の評価に弱いなあ(笑)。

だから、毎日悩みは尽きません。
これはもしかしたら、
毎日、自分を鏡でチェックするような、
自分で自分を戒めるような?
もしかしたら座禅のような?
そんな結果につながってるかも
しれませんね。

紙の日記、誰にも見せない日記は
自分の書きたいように書いて
熱狂したり、酔ったりしたけど、
公開日記でもあるnoteでは
そうはいかないですね。

仏教の道に詳しい方から見たら
叱られるかもしれないけど、
noteを書くって、
本当に自分を吟味し抜く
修行のようなところが
あったりするような…?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?