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【生きる】どんなにデクノボウになっても生きていていい?

うつ病で、
劣等感の塊で、  
自信ゼロで、
それでも人は生きていけるの?

若い頃から、
自分は「まとも」でない事は
わかってました。
「なんか変」らしい自覚。

ただ、自分にはきっと隠れた
一芸が何かあるといった、
思い込みがどこかにありました。

だから、現実世界では、
自律神経失調症であれ、
モテない君であれ、
車の運転も、
口笛もパソコンも運動も
何もできないデクノボウでも、
どうにか、生きて来られました。

さらに、ここ10年近く、
うつ病と付き合いながら、
どんどんできない事が増えてきた。

こうなると、
さっさと自分にはできない事を、
全部、認めて受け止めるのが、
理想かもしれない。
あきらめの境地(笑)。

でも、人の心はそんなに
簡単には行かないらしい。

自分がデクノボウだと
認め切るのは
崖っぷちから降りるような
心細さが…。

自分のことをやはりどこかで
肯定してあげなくては、
自分がペシャンコに押し潰される。

でも、病気になり、
仕事から離れ、不安が募る一方。

「それでもお前は生きてていいんだ」
そう言葉にしなくても
私と一緒にいて、
楽しそうに話してる彼らに感謝。

そうした友人や先輩の存在は
案外、実にデっカい。

自分では何もできない
デクノボウになっても、
まだ私を生きさせてくれるのは、
自分ではない、
周りの人々の力なんですね。

これは理屈ぬきに思います。
人はそんなに簡単に
啓発書や啓蒙家の言葉通りには
生きられない。

どんな高名な心理カウンセラーより
そばにいる家族や知人や先輩の存在。

ああ、そうかあ。
私にできること、見つけました。

どんなに私がデクノボウでも、
周りにいる誰かに、
声をかけることはできます。

だから、
自分では自分に何もしてやれなくても、
生きていていいのかな。

誰かに声をかけるくらいの
ことはできるのだから。

たとえ、私がどんなに
デクノボウであったとしても。

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