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【心の偏差値】優しさの偏差値より、嫌われる勇気?

心の偏差値。
そんな言葉があるらしい。
最近、なんとなく生きづらいのは、
心の偏差値を高めようとする
空気があるからだろうか…。

心のIQ的な意味に取るなら、
悪い印象になる。

でも、優しさや純粋さや
勇気や明るさ、謙虚さなどの
豊かさと受け取れば、
心の偏差値というメジャーも
悪くはない気がする。

優しさの偏差値っていうのも、
メジャー次第では
ありかもしれない。

優しさの偏差値。
うーむ、うーむ、
ちょっと使い方を間違うと
キレイごとになるかもしれない。

でも、自分を振り返るだけでも、
普段から相当、露骨なくらい
人に優しくしよう、
人に優しくできないなら
自分はだめな奴だ、
というような価値観で
自分を縛っている。

嫌われる勇気がないのだ。
情けないことに、
嫌われたくないという価値が
比重として非常に高い每日だ。
情けないなあ。

そういえば、
「嫌われる勇気」という
自己啓発本が、ここ何年も
ベストセラーになったままです。
私たちの多くが心の奥底で、
嫌われる勇気を持ちたいと
感じているからでしょうね。

それでいて、
そう簡単には身につかない。
だから厄介なんですね。

嫌われる勇気について、
最初から身についてる人は
クラスの人気者か、
クラスの一匹狼か。
自己啓発の本など、はなから
気にしない人たちだろう。

うむ。
そうか。
そうなんですね。

「嫌われる勇気」なんて
本や考え方を、そもそも、
気にしないメンタルこそが
タフで強いメンタルかもしれない。

「嫌われる勇気」という本を
真面目な心で、傍線を引き引き、 
読んでしまううちは、
嫌われたくない気持ちが
ずっと強いまんまに違いない。

読書というのは、
ある意味、逆説的な行為として
行われるのかあ。
皮肉というか、
ユーモラスというか。

もう十分に優しかったり、
十分に勇気があったら、
人は自己啓発を読書するだろうか?
人は自己啓発の記事を書くだろうか?

うーむ、
自分に対して大きな疑問を
投げかけただけで、 
今回は終わりになりそうだなあ。
やばい。
 
これは読者には優しくない記事だ(笑)。
本当は「書く」以上は
それなりの着地点をきちんと
用意するものなんでしょうけど。
今は久しぶりに迷子になってしまった。
「書く偏差値」は低いなあ。


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