【司馬遷】史上最悪の屈辱を受けても、絶望しなかった執念の歴史家
もしも今日、あなたの身の上に、
悔しくて憎らしくて
とうてい許せない出来事が
あったなら、
こんな人物の話を
読んでみるのはいかがでしょう。
世界中で最悪非道の屈辱を受け、
それでも屈しなかった人物。
古代中国の史家・司馬遷です。
その司馬遷の一生に触れるには、
戦後に活躍した作家の武田泰淳の
代表作『司馬遷』があります。
では、なぜ、司馬遷は
史上最悪の屈辱を、
皇帝の誤解によって、
無実の身の上ながら
我慢し続けたのでしょう?
もともと
歴史家であり、
天文家であり、
大旅行家である司馬遷は、
先祖代々、歴史の記録係でした。
高官です。
そんな司馬遷が
40代から開始していたのが、
『史記』という歴史書の
執筆と編纂でした。
あの横山光輝さんが
マンガにしてくれたおかげで、
日本人のおじさんで、
『史記』は有名な歴史本です。
司馬遷は、
ある時、あらぬ疑惑から、
時の皇帝によって、
「腐刑」に処せられました。
男性の曲部を全て、
切り落とされるという
最悪の刑を受けたのです。
何度もいいますが、
司馬遷の身は潔白です。
皇帝や周囲の誤解によるものです。
こんなに深い絶望があるでしょうか。
宮廷お抱えの歴史家が
このような刑を受けたなら、
自害をすることも
珍しくなかったと言います。
それを、司馬遷は
毎晩、唸り声をあげて、
痛みをこらえていたと言う。
しかし、司馬遷は、
自害とは別の道を選びました。
まだ始めたばかりの
歴史書『史記』を
完成させる道を選んだのです。
しかも、皇帝や宮廷の
客観的な記録です。
私情は一切はさめません。
曲部を切り落とされた人間が
痛みで唸りながら、
私情を禁じて、皇帝たちの業績を
書かねばなりません。
痛いのです。
体の奥側を焼き尽くすかのような。
しかも、時の皇帝の、
誤解によるものながら。
無実でありながら。
でも、もしかしたら、
こうも言えるかもしれません。
のたうつような痛みを、
厳正な歴史書を編纂するパワーに
転化していったのではないかしら?
痛みが酷ければ酷いほど、
その痛みを御するため、
徹底的な怒りのようなパワーが
司馬遷に宿っていたのではないか?
ただ、
曲部を切り取る「腐刑」が
どんなに痛いかは、
正直、想像すらできません。
それに切除後を治す薬などない時代。
まして、自分は身は潔白で、
皇帝の誤解によっていると
知りながら、となると、
その痛みは、史上最悪の
絶望だったにちがいありません。
次に私に、
史上最悪の屈辱がやってきても、
司馬遷のことを思えば、
自暴自棄にもならず、
弱音も吐かず、
自害しようともせず、
その怒りと恨みのぶんだけ、
まっすぐに生きてやろうと。
武田泰淳『司馬遷』中公文庫。
1000円プラス税。