【日韓】ハングル教室で味わった私の8月15日体験!?

わたしの8月15日の思い出です。

大学時代、
私は将来、日本語教師になるため、
ハングルの文法を知りたくて、
夏休みに、
東京外語大学の
夏期オープンキャンパス
ハングル語講座に参加しました。

集まったのは、
元国語の先生、
韓国への赴任を夢みる商社マン、
韓国語を身につけたい新聞記者、
それから私みたいな学生たち。
30人近くはいました。

7月下旬から、
毎日、授業がスタート。

教えてくれたのは、
外語大学教授で、
NHKハングル講座の初代の
先生でもあった梅田先生。

あと、わざわざ韓国から
この教室のために来てくれた 
ソウル大学の教授でした。
小柄で50代のかわいい女性で、
生徒から慕われました。

朝の10時から夕方4時まで、
毎日、ハングルの
発音、和訳、作文、会話など
授業は毎日あり、ハードでした。

ところが、
8月15日が近づいたある日、
帰りがけのホームルームで
梅田先生から、
15日はお休みにさせてくれますか、と
言われました。たしか、突然でした。
知らされた生徒側はびっくりでした。

びっくりした、ということは、
最初の段階ではまだ
決まってなかったんでしょう。
参加要項にも書いてなかった。

韓国人の先生は、
「15日は、韓国では
日本に対する戦勝記念日といい、
お祝いする記念日なんです」
その時は水曜日でした。

「この日に、日本人の皆さんに
韓国人の私がハングルを教える、
ということが、どうしても、、、、」
そう、チャーミングな先生は
すまなさそうに目を伏せたのを、
今もよく覚えています。

今から30年前の話です。
戦後47年めの話です。 
戦争中は、
先生はまだ少女だったでしょう。
生々しい体験があったのか?
辛い体験があったのかしら?

生徒側は、みな韓国朝鮮に
興味こそあれ、
反韓な人などいません。
できるなら、
教室はやってほしいし、
先生の当時の戦争の記憶を
聞かせてもらえたら?
そんな関心もありましたが、 
憎み合っていた日本人、韓国人が、
同じ日に、向き合いながら、
ハングルを勉強するのは、
あの先生にとっては、
メンタル的にどうしても
うまく咀嚼?納得?することが
できなかったのでしょう。

生徒側も、その場では、
あまり深い質問もすることなく
帰りました。みんなの中に
不思議なモヤモヤが残りました。

この話を思い出すと、
体験者が語り部になり、
戦争中の話をするのが
どれだけ辛いか、
どれだけ痛いかがちょっと
イメージができます。

今は韓国ドラマや韓国音楽に
若い日本人は釘付けです。

8月15日は特別だからと、
日本人は韓国ドラマを
観ないようにしたり、
また逆に、韓国人が日本マンガを
観ないようにするなんて
もう、ないでしょうね。

あの時のハングルの先生は
まだご存命かな?
ご存命なら、今の日韓をどう感じるか?
きっと喜んでくれるかなあ?

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