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【本との付き合い方】読書は恋にどこか似ている(笑)

好きな作家がみつかった時ほど
至福な時はない。

学生時代は濫読するから、
何人も見つかる。
最初は、宮本輝。
次に、太宰治。
小林秀雄。
開高健。
大江健三郎。
藤原新也。
村上春樹。
村上龍。

海外では、
レイモンドカーヴァー。
サリンジャー。
ヘミングウェイ。
ジョンアーヴィング。

そろそろ、
純文学に飽きてきて、
向田邦子。

向田邦子を知った辺りから、
だんだん、女性作家が好きになる。
吉本ばなな。
山田詠美。

その後は、社会人になる。
ちょっと読書量は減ってきますが、
まあ、それでも好きな作家は
現れてきます。

桐野夏生。
川上弘美。
鷺沢萠。
江國香織。
角田光代。
塩野夏生。
須賀敦子。

こうじて、
三浦しをん。
伊坂幸太郎。

上記の作家たちは
みな、好きになった瞬間は
まるで恋に似ている。
興奮するし、テンションはあがる。
1冊読んだら、もっと知りたくなる。
気がついたら、
大半の作品を読んでいる。

で、ここで、改めて振り返る。

今ではめったに読まなくなった
作家も多い。
恋はいつまでも続かないから?
でしょうか。

でも、だからといって、
彼女や彼たちの重要さは
変わる訳ではないんです。

あまりに好きになりすぎて、
裏も表も知りすぎて、
ちょっと今は距離をとりたいだけ?
な場合も多い。

向田邦子と開高健はその典型です。

向田さんの小説は、
奥ゆきがない。
それはそれで仕方がない。
とはいえ、
エッセイの構成や書き出しは
どれも名人わざだ。

開高健は、
「ほんとうのものを求め続けたい」
という純粋な欲求が
あまりに強い旅人だった。
彼の作品は全て、その途上で
みつけ、こしらえたものだろう。

ただし、それらには
小説らしい物語性やドラマチックさは
ほとんどないようだ。
だから、読んでいて、私小説に近い。
ある意味、開高流の私小説に思われる。

だからといって、開高の作品の
値打ちが下がるかというと
下がる訳ではないんですよね。

ただ、時々思うんです。

出会いばなに、
好きだな、と思って以降、
掘り下げるように、
開高健や向田邦子の他作品を
読み進まないで
やめていたなら、
好きなだけでいられたかもしれない。

でも、恋だって、
一度、いいなと思ったら、
もっと相手を知りたくなる。
それと同じように、
やはり、他作品を
あれこれ読み込まずには
いられないでしょう。

そうして、
ちょっと相手の裏や短所も
見えてしまう。

問題は、
恋と同じように、
裏や短所を知ってしまっても、
相手をまるごと、
理解し、愛せるかどうか?

誰かと出会うということには、
リアル恋愛も、
読書上の作家も、
違いはないのでしょうね…。

ただ、読書上の作家で、やっては
いけないことがあると思うんです。
読書という事柄の性格上、
作家という相手を、
むやみに尊敬し過ぎやすい、
むやみに鵜呑みにし過ぎやすい。

それをしてはいけない…と、
私は思うのですが、
これが私の読書上の作法でしょうか。

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