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人間はたいてい、負けず嫌いです…か!?

私は、負けず嫌いな人が苦手だった。
なんでも勝ち負けに持ち込む
その発想が苦手でした。
勝ったから良いって訳でないことも
人生、多々あるじゃないですか?

「負けるが勝ち」とはまた違う、
勝ち負けでは精査できない、
大事なことがあるのではないかしら。

目に見えること、
可視化可能な価値観は大切だけど、
目に見えないことも
同じくらい大事ということは
人生、20年30年も生きてれば、
分かるようになりますよね。

そうした意味では、
勝ちとか負けとか、
負けるが勝ちとか、
勝負の価値観を
持ってくるその精神が
そもそも、好きではなかったんです。

ところが、勝ち負けを 
自分は意識してなくても、
知らず知らず、
人間は負けず嫌いを
誰もが持っているのではないか?
ふと、そんな気がしてきたんです。

1日を生き残られるには、
自分の精神を満たし、
自分の身体を満たしていかなくては
ならないのでしょうね、、、
と気づいたからです。

今日の自分を生きるにも
明日の自分を生きるにも、
まずはお金がいる、食べ物もいる。
どんな仕事であれ、 
お金や食べ物を得るには、 
世の中でなんらかの仕事を
しなくてはなりません。 

たとえ、ホームレスに     
なったとしても、
やはり食べものを得るため、
なんらかの「仕事」をしていますね。
そうやって頑張ってるのは、
やはり、自分を生かせたいから。
負けず嫌いだからではないのか?

本を書く人が
負けず嫌いであろうことは
想像にかたくありません。 

でも、待てよ。
そこへ行くと、
本を読むという行為には、
負けず嫌いが必要だろうか?
いや、ないほうが、
読んでる本をより一層
理解できて行くんじゃないかしら?

でも、1年で何冊読んだとか、
競ったり、肩書きにしたり、
ごく一部の人は、
読書に「勝ち負け」という、 
非純粋な基準を持ち込んでいる。
(笑)
 
あ、それから、 
啓発的なビジネス書はだめだ、
あれは、
成功やら、仕事ができるやら、
トップになるだとか、
話上手になるとか、
そうした通俗な価値観で
読者を型に嵌めようとする。 
通俗な勝ち負けの世界の住人に
なってしまうんですね。
あくまで一部の方々ですが。

でも、ですよ。
大多数の本好きは、
もっと自由な心で、
もっと自由な世界や人を求めて
もっと自由に対話しながら、
読書をしているのではないかしら?

こうした読書には、
勝ち負けの価値観はない。
ないはず、です。
負けず嫌いの価値観は本来はない。

私はそこが読書最大の 
魅力だと考えてきました。

1日で読んだ冊数や、
1年で読んだ冊数に話が及ぶと、
その人はまだ通俗だなあ、
ホンモノの自由を知らないのかな、
と寂しくもあります。
 
究極的選択の話ですが、 
通俗だけど、現世的には
優秀なポイントを稼ぐ読書と、
現世ではデクノボウでも
人生の真実や幸せを知悉する読書。

どちらがいいでしょう?
両方ともという回答は無しならば?

迷いますよね。
うーん、どうだろう?
えー、どうだろうか?
 
今ではすっかり、
私も、定時で帰る人生を
骨子としているから(笑)、
読書は、
人間の真実や幸せについて
探求していたいな。

5年?前までは、
自分でいうのも恥ずかしながら、
バリバリの漫画編集者として
ワーカーホリック気味だった私が
よくもまあこんなに、
変われるもんですねえ。
定時で帰る主義オトコに…。

1年前までは、
左遷部署として定番の、
社史編纂部に回されたというのに。

社史編纂部に来ていること自体、
勝ち負けでいえば、
確実に「負け」でしょう。
私自身、配属当初は恥ずかしくて、
社内でも、漫画編集部の人や
文芸編集部の人には
大きなコンプレックスを抱いて、
もんもんとしていました。

なのに、1年が過ぎ、
気づいたら、今では夢中で
社史編纂の仕事をしています。
定時では帰りますが(笑)。

負けず嫌い、というより、 
人間が作り上げていく能力の
ポテンシャルについて
私はまだ全然知らなかったのです。
何ごとも、やりだすと面白い!

本はたいてい、面白い。
それと同じくらい、
本を編集するのもまた面白い。
これは名言?いや迷言(笑)。

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