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【ミステリー作家】宮部みゆきと東野圭吾の決定的は違いは?

東野圭吾と宮部みゆきは
生まれもデビューも
2年しか離れていないんですね。

二人とも、いわば、
平成を駆けぬけた天才ミステリー作家。

東野圭吾は 
1958年生まれ。
1985年作家デビュー。

宮部みゆきは
1960年生まれ。
1987年作家デビュー。

平成元年は
1989年だから、
二人は平成作家と呼ぶには  
ちょっと難しいかしら。

でも、デビューしてから後の
大活躍は明らかに平成時代だ。
平成のヒット作には
いつも二人の作品が入ってる。

また、二人は、
ご本人たちはともかく、
周囲の編集者や解説者、
またファンの間では、
よきライバルとされてきた。

宮部みゆきは、
1987年、
ラノベの先駆け?的な
少年探偵団的な
「我らが隣人の犯罪」でデビュー。
ここから、
時代小説と並行する形で、
『魔術はささやく』
『龍は眠る』 
『火車』
『理由』と、
現代的な犯罪ミステリーを
一気に書いて、
人気作家の名を欲しいままにした。

そして、平成最大の名作の一つ
『模倣犯』で、宮部さんの
現代犯罪ミステリーは
ひとつのピークに達する。

私の周りでも、
ミステリー好きな人で、
『模倣犯』を読んでない、
なんて人は見たことがない。

後に宮部さんのインタビューで
あんなに残酷でサイコパスな
殺人犯、悪人を書くのは、
もうしばらくはしたくない、
そんな趣旨の話を言っていました。
よほど疲れた様子でした。

確かに、詩人のような感性で
デビューした宮部さんが、
何十人もの女性を平気で、
誘拐し拉致し殺人する犯罪者を
造形していくのは、
忍び難い痛みを伴ったに違いない。
 
この『模倣犯』が
刊行されたのが2001年。

そのあとは、
宮部みゆきは
杉村二郎シリーズを
2003年に始めている。

こちらは
「ちいさな」ミステリーばかり。
一見、デビューした
「我らが隣人の犯罪」と
なんだか似てるような、
ささやかな出来事をめぐる作品。

でも、杉村二郎シリーズには
もう『模倣犯』みたいな
社会に切り込むような
犯罪者や事件を取り扱いたくはない、
という静かな佇まいを感じます。

だからでしょうか?
今は宮部みゆきさんは
時代小説で、
切なくも儚い哀しみを
書いておられる。
時代小説には、
殺人鬼は出てこないし、
殺人にものっぴきならない動機が
あるから、書いていても、
心がすさんだりしないんでしょう。
時代小説という舞台が
うってつけなんですね。

作品が作家を作る、
とはいうけれど、
『模倣犯』によって
宮部みゆきは挑発的な
現代ミステリーを書かなくなった。

どれだけ、サイコパスを書くのが、
人に大きな苦痛と集中力を
必要とさせたか、、、、?

これに反して、
東野圭吾は、
『卒業』
『悪意』
『宿命』
『変身』
『手紙』
『秘密』などで人気作家に
駆け上がりました。

絶妙なキャラ作りで、
宮部さんとよく似た成長を遂げつつ、
途中からは、宮部さんとは
正反対の特性で、
キャラクターシリーズ
「加賀刑事」「ガリレオ」で、
最強の人気コンテンツを生み出し、
また、基本的には理系大学出身らしい
トリックをカギとする作品を
数多く書いてきました。

『模倣犯』のような文系的な作品を
東野圭吾が書いてたとしたら
それは『白夜行』や『殺人の門』を
さらに敷衍する形だったでしょうか。

でも、東野圭吾は、
鬼畜な殺人鬼の心理を、
いまだ、ど真ん中で掘り下げて
書くことはしていない。 

あくまで様々なトリックや意匠で、
傑作を制作してる。
理系的というベキか(笑)

平成時代の後期になっても
東野圭吾がずっと
ベストセラーを書いていられるのは、
そんな多様性にあるのかもしれない。

宮部みゆきさんも、
ガリレオばりのキャラクターを
作品で作っていたら
平成後期になっても
現代的な犯罪ミステリーを
書いていられたのかなあ、と
たまに思うことがあるんですが。

いや、これは意味のないイフかな。

宮部みゆきと東野圭吾。
文系と理系。
詩人とトリック作者。

ただ、共通していることがあります。

二人とも、デビュー時代は、
文章も分かりやすく、
「小説はあまり…」みたいな人をも
たくさん虜にできた
元祖だったってことでしょうね。
30数年前は、二人は
けっこう、そこゆえに馬鹿に
されたんですが、
30年続けたら、さすがに
誰も、東野圭吾は文学じゃないね?
なんて言わなくなってますものね。

続けたものがちって事かしら?

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