見出し画像

文章はありのまま書け?いや文章はもったいぶって書け?

ありのままに書けばいい。
今はそんな態度が趨勢です。

20〜30年前までは、
もっと知的な文章が
読者に憧れられました。
まさか、あなたの思うままに
書きなさい、なんて時代が
来るとは時代も変わるものです。

これはネットの普及と
民主主義的であろうとする空気の
なせるワザです。
こんな言説ができて数年なのです。

でも、うそいっちゃあいけません。
人気の作家やクリエイターなら
いざ知らず、
誰が赤の他人の凡人の
ありのままを知りたいでしょう?

いや、作家でさえ、力のある人ほど、
文章が個性的です。

たとえば、川上未映子。
あのグニャングニャンした文章。
自分の頭の内部を外側に
プロジェクションマッピングみたいに
写し出そうとするエッセイ。
人生の謎に常に
問いかける哲学者のメガネを
愛用してる気がします。

メガネというと、
偏見とか、悪いニュアンスかしら。
言いたいのは、
ありのままではなく
人気のエッセイほど
何かしら創意工夫してるって
ことなんですが。。。

先日他界した瀬戸内寂聴さん。
若い時は夫の教え子と不倫して
スキャンダラスに生きて、
入信後は人生を極めた寂聴さんは
他人の悩みにも親身に
答える悟りのポジションを得ました。
いわば、悟りメガネを
愛用したんだと思うんです。

江國香織さんは、どうかしら。
オシャレで繊細でラブリーな
小説で人気ですが、
エッセイでも土台はそのまま。
言うなら、オシャレな繊細メガネを
愛用しているんです。
小説でもエッセイでも
それを外すことはめったにない。

西加奈子はちょっと厄介だ。
彼女はなるだけ余分なヨロイを
身にまとうまい、
ぶりっこになるまいと、
常にダサい?ざっくばらんな
自分の姿を書こうとする。
お風呂場にいるような自分を(笑)。
まあ、そんな人というキャラを
愛用しているんでしょう。

須賀敦子さん。
信仰と知性を信じた信念の人。
彼女はいうなれば、
信念の人というメガネを
愛用しましたね。

群ようこさんは
ドジさやおっちょこちょい、ゆるさ
というメガネを愛用してますね。

まあ「裸眼」でいる作家や
エッセイストなんて、
いないでしょうし、
いたら、きっとそれはまだ
売れていない方々でしょうか。

「ありのままに書けばいい」は
だから、やっぱりウソなんです。
この、誰とも繋がれる…ような
ネット民主主義が作る幻想です。

本当は、書くなら、
もったいぶって書け、です。

もったいぶることは
悪いことではありません。

実際、フォロワーが数千以上の
noterさんの記事を読むと、
良い意味で、もったいぶっています。
独特の空気で、
肝心な結論は冒頭に、
それからラストにしっかり書きながら、
読者を引き込もうとしてる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?