見出し画像

【居場所さがし?】自分はにせもの!?

「自分のことをどこかでずっと
にせものだと思っている。」

今日、この文章に出会った時、
「ああ、私の仲間がここにいた!」
と私は嬉しくなりました(笑)。

いつ頃からだろう?
東京に来たあたりだろうか?
私も自分がにせものだと、
ずっと思って生きてるんです。

冒頭に挙げたのは、
新進作家・くどうれいんの
エッセイ集『うたうおばけ』の
あとがきにありました。

周りには、
本をいっぱい読んでる人が
本当にたくさんいる。
それから、頭が本当にいい人が
たくさんいることに圧倒される。

そんな中で生きていると、
自分はにせものだと
思ってしまうのだそう。

にせもの…。
ほんものではない…。
つまり、にせもの。

私も大学時代、
小林秀雄を読むサークルに
ちょっと在籍しましたが、
そこにいると、
本当に本をいっぱい読み、
的確な読み方をしてる先輩がいて、
自分ごときは、読書家とは
絶対に言えないと痛感させられた。

社会に出てからも、
なりゆきから、漫画の編集を
職業にしましたが、
ちっとも漫画は読んでいないし、
作家さんに有益なアドバイスなど
できるわけでもなく、
でも、なんとか目の前の
プロットやネームに、いつも
なにがしかのコメントを求められ、
つくづく「にせもののくせに…」
と泣きそうになりながら
コメントをしぼり出してました。

今だって、
こうして、noteで
記事なんか書きながら、
でも、読書量も、読書力も
私より進んだ人たちに圧倒され、
やはり、私は文学系noterとしては
にせものでしかなく、
と毎日ひーこらひーこら言いながら、
記事を書いているばかり。

私がにせものではなく、
ほんものになれるのは、
どんな時なんだろう?
どんな活動の時なんだろう?

テレビドラマ『孤独のグルメ』の
冒頭のプロローグみたいに、
食べものを食べている時だけは、
にせものにもならない。
ただひたすら、
ハフハフと食べている時は
どうしてだか、
自分はにせもの感から
解放されている。

読書してる時はどうだろう?
読書してる時は、
うまくいってる時は、
さすがに、にせもの感は
出てこないですね。

ただ、難しい本や
相性がわるい本にうんざり
している時は、だんだん
自分に自信が無くなりますね。
そうなると、また、
にせもの感が湧いてくるの
だろうか?

にせもの感は、
ある意味、居場所さがしという
青臭いテーマに似ているのかな。
54歳にもなって、
居場所さがしとは、、、(汗)。

今日はでも、
実力もあるほんものの作家ですら、
自信がなくて自分をにせものだと
感じる人がいると知り、
ちょっぴり嬉しくなりました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集