[宇宙が応援してくれる時]ハワイからスピ話
人生のドラマのなかには、それは、それは数えきれないほどの登場人物がいますね。
私達に何かを教えるために現れては、いつの間にか目の前から姿を消していく人達、いますよね。
特に何かに対して試行錯誤している時、私にはガイドと呼ぶべき人が現れます。
もちろん、これは気づかないうちどなたにも経験があると思います。
看護師がまだ "看護婦さん" と呼ばれていた時代、私は日本でナースとして働いていました。若い看護学生の時から人の生死に関わり、感傷にひたる事も許されない忙殺の毎日。
燃え尽き症候群なんて言葉も流行ったけど、使命を感じてこなす業務には大きな達成感もあったし皆が、そんなふうに頑張っていました。
全ての病棟を経験して10年がたった頃、私はハワイに来ていました。
どうせなら、アメリカのライセンスも取ってナースをやってみたいと......。
まずは言葉の壁を克服するため、病院でボランティアをしようと思い電話帳で近くの医療センターを見つけました。
電話で話す事を英文で紙に書いてから...こんな調子だから、かなり躊躇しましたが勇気をだして電話をかけました。
そう、この初めの1歩の勇気が道を切り開くんですよー。(大袈裟だけど本当)
そうしたら、待っていました。ちゃんとお膳立てされて。宇宙が私の味方になって応援してくれる時です。
私と同じく日本でナースをしていた女性が、語学留学の合間にそこのセンターでボランティアをされていたのです。
さっそく、私もボランティアに加わり、おまけにその女性、Sさんから驚きの情報をもらえたのです。
当時、ハワイはナースが人手不足の為、州が外国人ナースの為に3ヶ月の看護全般レビュークラスを開いていました。そして、そのクラス終了時、ライセンス取得のテストを受けることができたのです。
しかも、このプログラムはなんと無料でした。Sさんに会わなければ、こんな貴重な情報を得ることはなかったでしょう。
数週間後、私とSさんはそのクラスに入るためのテストを受けに行きました。英語と看護の英文テストで、私はほとんど理解できず見事に落ちてしまいました。
それでも、頑張って再度挑戦。1期遅れてSさんと入れ替わりでクラスに入ることができました。その間、Sさんに言われた通り私が日本で勉強した看護の単位がアメリカで使えるかを査定業者に頼んだり、英語を勉強したり、やる事が山ほどありました。
レビュークラスは月曜から金曜、朝から夕方までの3ヶ月で結構キツかったです。クラスメート15人ほどの大半はフィリピン人で、あとはメキシコ人、韓国人。日本人は私1人でした。この時期、日本語を話す人は私のまわりには誰もいませんでした。
3ヶ月後、無事にプログラムを終えて、すぐにライセンスの試験の申し込みをしました。
そして、見事ナースの試験にパスしてライセンスを取る事ができました。
試験の為に医学用語を英語で覚えるのは大変ですが、看護実践に関する問題は、日本での10年の経験がとても役立ちました。それに加えて、多民族国家の人種や文化を通した看護についてはアメリカならではと感慨深いものがありました。
1期前に修了したSさんは、すぐに日本に帰られた為、その後1度も会えていません。
彼女は私の為、宇宙レベルのガイド役を立派に果たしてくださいました。
この後、宇宙は私におまけもくれました。
以前から応募していた米国永住権のグリーンカードが当選したのです。
勇気を出して初めの1歩、踏み出しませんか。そして、宇宙からの後押し感じてください。
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