見出し画像

春のカケラを壊さぬよう、私達は真綿でぬくもりをそっと包んでいた。

やっと、3月になった。
とはいえ、東北の春はまだまだ遠い。日中でもコートの隙間にびゅうびゅうと北風が容赦なく入り込んでくる。
そんなに簡単に暖かくしてはやらないぞ。と言われているようだ。
南のほうでは、気の早い桜が咲き始めたという。まるで違う星の話をされているみたい。

小学生に入学した頃、国語の教科書を開くと「にゅうがくしき」というタイトルの絵が印刷されていた。
校舎と校庭と、ランドセルを背負った生徒たち。校門の近くには、薄紅色の花が咲き乱れていた。
母に、これはなんの花か?と尋ねると、桜だと言う。

不思議だった。

青森の入学式の頃には、桜は咲かない。雪だって、まだところどころ残っている。コートを着たい気持ちを我慢して、母が用意してくれた入学式用のスーツに袖を通して気合を入れた記憶がある。

「入学式には、桜は咲かないよねえ?」

と、母に言うと、

「南のほうでは、4月に桜が咲くのよ」

と言う。

なんてこった。

なんだかとても損をしているじゃないか。
南のほうでは、桜が「おめでとう」と言ってくれるのに、青森ではお祝いしてくれない。

そんな気持ちになったものだった。

北国ゆえ、桜の開花を待つ気持ちは、南の地方の人たちより強い。
強いんじゃないかな。強いと思うよ、たぶん、きっと。

一度だけ家族揃って、お花見に出かけたことがる。私が幼稚園に入った頃だったか。
変わり者の父は、滅多に家族を喜ばせない人だった。(笑)
人混みとか人前に出るのが、異常なほど苦手な父は、家族を連れてどこかへ出かけるような人ではなかった。
仙台生まれの母が、転勤族の父と結婚し、誰一人知人のいない土地へと点々と動くことは、不安だらけだったに違いない。なのに、父は引っ越しの準備や手伝いは何もせず、すべて母にまかせきり。休みの日も家事や子供の面倒を一切せず、ひとり釣りに出かけるような人だった。

そんな父がお花見ツアーに行こうと決めたのだ。
こんなことがあるのだろうか。これは罠か、はたまた最後の夢か。
子供ながらに不安な気持ちで当日を迎えた記憶がある。
いつ、この旅行が父の機嫌ひとつでだめになるか分からないからである。

バスに揺られて着いた先は、満開の桜を従えた弘前城だった。
そこには、幸せを絵に描いたような家族達が、まさにこの世の春を謳歌していた。
長い長い我慢の冬を乗り越え、やっと来た暖かい風の中、手足をそっと伸ばしている。

桜が咲く場所は、そこだけ特別に明るい。

まるで春の使者のように「たった今、天から舞い降りてきました」と言いたげに咲き誇る。

天国があるなら、きっとこんな場所なのだろう。

桜を見ると、いつもそう思う。何故、この世界に来てしまったのか。
天国にいたらラクだったのに。
そもそも、今、「家族」と言われている男の人、女の人、ちょっと年上の女の子。は、本当は誰なんだろう。父、母、姉と言われているからそう思って生きているけど、これは仕組まれたゲームなんじゃないか?誰かが「カット~!」と言えば「お疲れ様でした!」と「家族ゲーム」は終了するんじゃないか。

そんな罪深いことを本気で考えていた。
幼稚園児で。いや、もっともっと前、物心ついたあたりから。

お花見は滞りなく終了した。父はお酒を飲むこともなく、機嫌が悪くなることもなく、とても従順な使用人のようにツアコンの人の指示に従っていた。

帰りのバスの中、
私と同じような年齢の子供たちは疲れてしまい、皆、眠ってしまった。
乗り物の中でも緊張してしまう私は、バスの中で眠ったことがない。
姉もそうだった。

え?寝ている。姉でさえ眠っている。

日常と全く違う華々しい一日を過ごしたせいか、ふたつ違いの姉も母の肩にもたれて眠ってしまった。母はなんだか嬉しそうに、自分のカーディガンを脱ぎ姉の肩にそっと掛けてやった。
白の上品なウール地に、ピンクや薄紫色の花が沢山刺繍された一張羅だ。

こういう場合、子供は眠るほうが理想的なんだろうか。

またしてもいやらしい知恵が働いてしまった幼稚園児は、ここで眠らないといけない気がした。明るい家族の明るいバス旅行の帰り道では、子供は眠るのだ。

もちろん、まったく眠くない。

眠くないけど、寝たふりをすることにした。下手な脚本家が用意したみたいに、理想の家族の日曜日を演出して。

母は小さな声で「子供たち、眠ってしまいましたね」と父に話しかけていた。

そんなに静かに話さなくてもいいよ。どうせ眠ってないし。

そう思った私の肩に、不意に何かがはらりと掛けられた。


父の上着だった。

おそらく前日、母が慌ててタンスの奥から引っ張り出したのだろう。
かすかに防虫剤の匂いがした。滅多にスーツを着ない父の、滅多にないやさしさ。

やっぱり、これは夢なんだろう。

目を覚ましたら、夢でした。と思うのがいやで、そのまま眠ったふりを続けることにしよう。

バスの中は、とてもとても静かだった。

やっと訪れた春のぬくもりを壊さぬように、暖かい車内で誰もが無口だった。

どうか、このぬくもりが夢でありませんように。
どうか、このまま穏やかな日々が続きますように。

北風に再び追いかけられぬよう、それぞれが真綿で春のカケラをそっと抱きしめているような静かな午後だった。

※この思い出を書いた訳じゃないのだけど、2003年あたりに門倉有希さんに書いた曲があります。うまく再生できるかな。

門倉有希さん「桜のそら」
作曲 金範修さん
作詞 佐藤純子

https://www.uta-net.com/movie/88399/

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?