尖れなかった、少年時代のはなし。
今回は、大人になっていく間に消極的な性格になっていく日本人、その原因はどこからきているのかという短いお話です。
僕がアルゼンチンでサッカー選手をしている時、「もっとシュート打てよ。」、「ミスは俺たちがカバーするから。」なんてことを良くチームメイトから言われていました。僕だってチャンスと思えばパスをせずに強引にシュートまで持って行ったり、ガンガンスライディングをしたりしてみたかった。尖った個性を出そうとしても、なんだか中途半端な感じだった。
何故なんだろうと、今考えてみると。長年の間に培われ、身体に染み付いた日本人的な「和を尊ぶ」考え方が邪魔をして、自分の為に動く事が苦手になっていたのかもしれない。
ここで、僕の長男の例を取り上げてみましょう。
僕の仕事の関係から保育園を4カ所通っていて、アルゼンチンの現地保育園にも1年ほど登園しました。日本語がまったく通じなくても、動じずスペイン語風日本語で話しかける彼を頼もしく、そしてうらやましく思っていました。
帰国後、日本の小学校に通い始めます。
近所で、友達と鬼ごっこで遊んでいると、鬼にタッチされても構わず知らんぷりして逃げる長男。それを見ていた近所のお母さんたちに「タッチされたでしょ。鬼交代だよ。仲良くルールを守って遊ぼうね」と注意される。授業参観、体育の授業で先生の集合に1人ゆっくりと集まってくると。みんなと合わせるように走ってこいと注意される・・
彼の場合、ルールより好奇心がアッサリ勝ってしまうタイプだったので、低学年の頃に数回、校長室に招待されることもありました。そこで、ルールを守ること、人に迷惑をかけない事、危ない事をしない事、を繰り返し説かれるわけです。それはまるで、尖ったものをまあるくするような作業に似ています。そして6年生になる頃には、注意されることが面倒くさくなり、うまく周りと合わせられるようになりました。相変わらずのマイペースですが、年齢も上がって落ち着いた雰囲気になり、低学年までのような破天荒さは影を潜めるようになったのです。
学校で上手くやっていくための術として、周りと自分を合わせるようになった彼ですが、大人になり社会に出るようになると、今度は積極的になれだったり、人と違うアイディアを出せ、個性を出せと求められる。サッカーでも個が足りないなんてよく言いますよね。でも、子供時代に打たれた杭を、大人になったから、さぁ存分に出しなさい、と言われたって無理でしょう?
扱いやすい子供にしておきながら、今度は積極性が足りないだの、個性が大事だのと言う。まあるい子供が尖った大人になる例は少ないのではないでしょうか。子供時代に尖っていた個性を尊重して、正しい尖り方に導いてあげるのが大人の役目だと、僕は思います。
一人はみんなの為に、ではなく、君は君の為に大きくなれ。それでいいと思います。
。。。と書きながら、長男に「勉強しろ!」と叫んでしまった、たった今を反省中。。。
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無双ArgentinaC.F.は、アルゼンチンリーグに挑戦し、2026年2部昇格を目指しています。
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