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ニジボックスとリクルートを卒業:感謝の気持ちと新しい挑戦

こんにちは、丸山潤です。
突然ですが、この2023年3月末をもってニジボックスの執行役員を退任し、6月末でリクルートも卒業することになりましたので、ここにご報告させてください。
ニジボックスは、この4月で社員が300名近い人数となります。前期に比べて100人ほど増え、売上も前期に比べ6億から7億円ほど増えていて絶好調のタイミング。今後もニジボックスには顧問として関わっていく予定ではありますが、なぜ今このタイミングでニジボックスを卒業することになったのかというお話と、今後さらに成長していくであろうニジボックスの今後についてお話していきますので、ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。

出向社員として、ニジボックスの事業責任者として経営へ(2015年〜)

まずは簡単に、これまでのニジボックスと僕の歴史を振り返ってみたいと思います。
ニジボックスは、2013年の時点で既に黒字化していましたが、当時は今とは異なり、ソーシャルゲーム事業を主軸とした会社でした。しかし、徐々にソーシャルゲーム事業の業績が悪化し、「これは厳しいのでは?」ということで、2015年4月に現在のUIUXデザイン事業につながるオンラインサービス開発事業部(現サービスプロデュース事業)が新たに発足します。僕は、その立ち上げを任されることとなり、初代事業部長に任命されました。
僕自身はリクルートからの出向社員という立場だったので、実はこの時、メインの業務はリクルートの新規事業開発室でした。そのため、ニジボックスに全リソースを割くことはできず、リクルートからも「そのうちニジボックスからは離れ、リクルートに戻ってくるように」と言われていました。
正直なことを言ってしまうと、当時の僕はニジボックスで新しい事業を立ち上げたものの、複雑な気持ちで仕事をしていたのを覚えています。それに加え、僕自身はそれまで営業経験があった訳ではないので、自分にできるんだろうかと不安な気持ちもありました。それでも、自分にできるやり方があるのではないかと、模索し続ける日々を過ごしていたように思います。

リクルート共創という新たな試みへの挑戦(2017年〜)

そのような状況が変わったのは、2017年のことです。
この年、ニジボックスが分社化した当時から代表を務めていた麻生が退任しました。そして、ゲーム事業部とデジタルマーケティング事業部を閉じ、オンラインサービス開発事業部だけを残していこうという経営方針が決定しました。言ってしまえば、僕は自分が立ち上げた事業部を拡大し、ゲーム事業部とデジタルマーケティング事業部を潰す立場だった訳です。
この時からオンラインサービス開発事業部(現サービスプロデュース事業)は、UXをメインとしたリクルート以外の外販案件と、リクルートの制作案件を請け負うリクルート共創の2方向で進めていく新たな試みが始まりました。今となっては、この2方向がオンラインサービス開発事業部の指針となっているニジボックスですが、なぜこの時にリクルート共創という考えになったのかということをお話しますね。
当時ニジボックスは7期目くらいでしたが、UX事業が例え順調だとしても「果たしてニジボックスはリクルートのグループ会社として、価値のある存在なのだろうか?」という疑問がありました。リクルートに価値を提供できるかできないかでこの会社の存続は決まっていく。そう考え、リクルート共創という取り組みが生まれました。とはいえ、リクルートと共創するだけではリクルートの新規事業として分社化した会社である意味がないともいえます。そこで、グループ外のクライアントから新規事業も含めたUX案件を行う外販案件を加えた2つの方向性で事業を拡大していくことにしました。
一般的なスタートアップ企業であれば、そもそもグループ会社との共創を考慮することもないと思います。ですが、ニジボックスはリクルートという大企業の100%子会社として誕生した経緯からこのような戦略をとることにした訳です。

卒業するまでに達成しようと決めた三つの目標

2017年、いつかはリクルートに戻る出向社員という立場でしたが、僕はニジボックスという会社を経営していく上での目標を三つ決めました。

一つ目は、UX事業とリクルート共創、どちらも成長し続けられる状態にすること。例え僕がニジボックスを辞めたとしても、業績が伸び続ける事業にしたいと思いました。

二つ目は、2015年までの経営を圧倒的に超える業績を出すこと。これは、自分が立ち上げたもの以外の事業を潰したことの責任もあり、同じくらいの売上では意味がないと思ったからです。

三つ目は、ニジボックスの認知度を上げること。2015年頃までのニジボックスは、外から見ると「何をやっている会社なのかわからない」と思われていたと思います。そのイメージを払拭して、「ニジボックスといえば、UXの会社だよね」と思われるようにしようと思いました。

僕がニジボックスにいる間に最低限、この三つの目標を達成したい。そして、ニジボックスをメンバーが心から働きやすいと思える、最高の会社にしたい。
出向社員である僕が本気でそう思ったのは、それまで多くのメンバーとの別れがあり、そのようなことはもう二度と繰り返したくないと心に誓ったからです。ニジボックスは、創業当初の2011年から2013年頃の間に事業撤退や別れを経験し、僕自身も目の前で社員に泣かれてしまったことが何度もあります。2016年頃からは、社員の最終面接も僕がほぼ任されていたので、自分が採用した社員にそのようなつらい経験は絶対にさせたくないという思いがさらに強くなり、その意志が今日までの原動力になっていたように思います。

ニジボックス卒業を決めた理由

卒業を決めた一番大きな理由は、前の項目でお話した目標を全て達成することができたからです。僕はリクルートからの出向社員なので、いつかは引き際を考えないといけないなと思っていたので、良いタイミングが来たと思っています。
みなさんもご存じかもしれませんが、リクルートグループの文化や風土として、社長や役員がどんどん変わっていく傾向があります。それでもリクルートは常にボトムアップ文化で、進化し続けています。僕自身も、経営ボードが変わることにあまり悪いイメージを持っていません。むしろ経営層が変わっていくことによって、新しい考え方や経営方針に変わり、会社として成長し続けていくのではないでしょうか。同じ人が何十年も居座るよりも、リレーのようにバトンタッチしていき、若い人も経営ボードに加えるべきではないかとも思います。
振り返れば、僕がニジボックスの経営ボードに加わったのは33歳の時でした。今回、僕が退任した後の経営ボードには30代前半のメンバーが入ることも決まっています。

ニジボックスの未来とメンバーに伝えたいこと

2年後のニジボックスは、500名を超えるような大きな会社になっているだろうし、10年後は社員数が1000名を超える大企業になっているかもしれません。
そのような、目下急成長中のニジボックスのミッション、ビジョン、バリューの中には「変化の主体者になる」という言葉があります。悪く言ってしまうと、これまでニジボックスは新しい事業を作っては潰す、ということをやってきた会社ではあるのですが、その分変化に耐えてきた会社であるとも言えます。
今はUX事業が安定していますが、正直に言うと10年後はまたやり方が変わっているかもしれないし、時代に求められるものも変わっているのだろうなとも思います。そう考えた時に、いつも思い出すのは、2017年にニジボックスの社長を退任した麻生の言葉です。
麻生はニジボックス立ち上げの時から会社を引っ張り、事業の先導をとってきました。麻生が退任するとなった時は、「この先誰が会社を引っ張っていくのだろうか」と不安になったのですが、その時に彼が「卒業する側になった時に、今とは全然違うニジボックスになっていてほしい。そうなった時、OBとしてうれしく思う」と言いました。変わらないニジボックスよりも、変わっていくニジボックスの方がうれしいと。麻生からその言葉を聞いた時は、「なんで今?」と思ってしまった自分もいたのですが、その時の言葉があったからこそ、今の僕があるのだなと。
ニジボックスのメンバーに伝えたいのは、僕がいなくなって不安になるのではなく、変化の主体者となり、新しいニジボックスを作っていってほしいということです。今後OBになる立場として、心からそう思っています。

自分自身が挑戦を続け、挑戦する人を応援します

リクルートに入社する前の僕は、Webデザイナーやフロントエンドエンジニアとして仕事をしており、どちらかといえば作り手側の人間で、あまり誰かとコミュニケーションを積極的にとるタイプではありませんでした。もちろん、事業を立ち上げるような人間ではなかったし、イノベーションを起こすようなタイプの人間ではありませんでした。
そんな僕がリクルートに入社してからさまざまなチャンスをもらい、気づけばニジボックスの役員となり、ほぼほぼ会社全体の経営や事業を任される立場にまでなりました。リクルートに入る前の20代の自分と今の自分を比べた時に、その違いに自分でも驚いてしまうほどです。このようなチャンスをくれたリクルートとニジボックスには、感謝の思いでいっぱいです。これまで本当に、本当に、ありがとうございました。
今後の話になりますが、前述した通りニジボックスには顧問としてこれからも関わっていく予定です。それ以外にも、会社の立ち上げを支援したり、スタートアップのUXや経営に関する顧問をしたり、投資家としても活動したり、マルチに活動していきたいと思います。場合によっては、起業することになるかもしれません。
当初の予定通り、ニジボックスを卒業したらリクルートに戻るという選択肢もありましたが、そうしなかったのはこれまでリクルートやニジボックスを卒業していった多くの先輩方が独立したり、起業したりするのを見てきたからだと思います。大企業で安定した生活を送るのではなく、歳を重ねても挑戦し続ける自分でありたい。自分が主体者ではなくても、挑戦する人を応援する立場でいたい。これは、リクルートやニジボックスで10年以上の時間を過ごしたからこそ、そう思えるようになったのだと感じています。
まだこの先の詳細は自分でも見えていませんが、いろいろなことにチャレンジし、これまでの経験を活かしてチャレンジする人を応援していけたらと思っています。長文にお付き合いいただきありがとうございました。これからも、ニジボックスと丸山潤をどうぞよろしくお願いします。


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