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難聴者よ、耳を貸せ

「ちゃんと聞こうとしていないお前が悪い、聞こえないふりはやめな。」

幼少期からそう言われて育ってきた。


私は生まれつき難聴だ。
1000gにも満たない身体で生まれ、今にも消えそうな命と引き換えに聴力を少しだけお空に返した。

あまりコミュニケーションをとれなかったからなのか、幼少期の記憶はあまりない。途切れ途切れになる音を抱えて私が見ていた世界はあまり良い景色には見えなかった。

「危ないから、それやっちゃダメだよ。」

どんなに優しい声で話しかけてくれても私にはその表情しか分からなかった。

なぜ、ダメなのか。
その説明すらも私には1mmも入らない。
だから、やってみなきゃ分からない性分だった。

記憶にないが、三輪車を漕いでマンションの階段から落っこちたことがあるらしい。
3歳のころ。
私の頭からはドクドクと血が止まらない。

すぐさま病院に行って縫った。
痛い経験をしたのに病院から帰ると再び三輪車に乗って階段にめがけて漕いだ。
たぶん、私はバカ。


こんなことがあったよ〜と昔のホームビデオをよく見せてくれるのだが、そこにいる私はよく笑っていた。
私が笑うとみんなも笑っていた。




私は笑うことを覚えた。

聞こえなくても、笑っていればその場をやり過ごせる。
何を言っているか分からなくても、とりあえず笑っておこう。

それが自分を守る術だった。

だから、私は笑うのが上手くなった。
何も面白くないのに一人だけ笑って浮いてしまうのはお決まりだった。


「なんで笑ってんの?」

と聞かれても分からないのでとりあえず笑った。

「キメえんだよ」

「アイツいつも笑っててキモくね?」

気づいたらクラスで浮いてた。


なんでや。
笑ってて嫌われるって。
なんでや。


今思えば、自分からコミュニケーションをとりに行かなかった自分が悪いなとは思っている。
当時、思春期真っ最中だった私は会話することが嫌だった。
家では理解してくれる家族がいるからこそ成り立つ会話も外の世界に出ればそんなものは通じなかった。

聞き返せば面倒臭がられ、声をかければ
「何言ってっか分かんねーよ」
と一蹴りされる。

中には丁寧に説明してくれる人もいた。
けれど、2割ほどと少なかった。

難聴ってだけでどれだけ損な人生を送ってきたか。
あなたは想像できない。





聞いてほしい。

頑張って覚えた英語の音読を難聴を理由に読ませてもらえず飛ばされる。
難聴を理由に音楽の成績1にされる。
教師に理由もなく顔面に輪ゴム飛ばされる。

こんな学生時代を送ってきたのだが、
休まず通い続けた俺は真面目にマジですごいと思う。

誰よりも痛みの分かる人間になれたと自負している。

難聴ってだけで簡単に生徒を仲間はずれにしてしまう幼稚な大人になりたくないとその時、強く思った。

大人が仲間外れをするなら、そりゃイジメがなくならないわな。


「あの子もあなたと同じ難聴でも頑張ってるよ」

よく親に口酸っぱく言われていた。
親にとっては勇気づけのつもりだったのだろう。


だけど、私の頭の中ではあの子と俺は違う。
一緒にしないでほしい。
自分だけを見てほしい。
そんなことでいっぱいだった。

環境が人を作るとは言うが、まさにその通りだった。


私は聞こえにくい割に発音がキレイだったので

「本当は聞こえてるんでしょ、聞こえないふりやめなよ」

よく誤解され、まともに会話をしてくれないことの方が多かった。


そんな日常を繰り返していると案の定、私は尖っていった。

小学校も中学校も荒れに荒れまくっていた。
よく一緒につるんでいたのは、2人の不良だった。

お互いにはみ出しものとして、意気投合して仲良くなった。
口を開けて大きな声で私に向かって話しかけてくれる。
それが何よりも嬉しかった。

笑うとナメられると気づいた私は笑うのをやめた。
感情をむき出しにする毎日を送っていた。

私の反抗期は長かった。

家族や友人にもたくさん迷惑をかけてしまったし、今では申し訳ないと思っている。
それ以上に私は自分を理解するのが苦しかった。



結局、聴こえるってなんなん?

あなたがどんなふうに日常で音を拾っているか、私には分かり得ない。

20歳まで補聴器を着用していたが、私にはうるさくて合わなかった。
聴覚過敏だということが判明した以来、もう着けていない。

おそらく、私は一生問い続ける。

知れるはずもない答えを求めて
聴こえるとはなんだろうか。
自分に合った答えをずっと探し続ける。


今の私は聞こえないことをどうしても自分のせいにしたくもないし、お腹を痛めてまで産んでくれた母のせいにもしたくない。
むしろ、産んでくれてありがとうと思っている。

しかし、買い物やお店に行くと注文など、やはり会話が必要になる。
会話は切っても切れないものだ。
最初は頑張って聞き取ろうとするが、その日によって聞こえ方は変わってくる。
ストレスや環境によって聞き取れる日、聞き取れない日とある。

どうしても聞き取れない時は
「申し訳ないのですが、筆談でお願いしてもいいですか?」

とお願いすると大抵、心地よく筆談をしてくれる。

しかし、中にはマスクを外してくれない人もいれば小さな声で話す人もいる。

そういった時、私は3回ルールというものを実施している。

3回、3回だけお願いしよう、ジェスチャーも添えて。

「申し訳ないのですが、耳が不自由なので筆談でお願いします」

なりたくてなったわけでもない難聴が頭を下げてお願いしているのにも関わらず協力してくれない場合、不適切ではあるが私は声を荒げてしまう。

「あの!!!耳が聞こえないって言ってるんですけど、紙とかに書いてくれません?」

店員からすれば、嫌な客だ。
今でいうカスタマーハラスメントに該当してしまうのだろうか。

それでもいい。

それ以上に入ってこない言葉の方が私は嫌だ。
契約書とかそういう大事な時もだが、はいはいと流しては後で大惨事になりかねない。


詐欺師にとって聞こえない人はカモだ。
だからこそ、そういったものは自分で防止しなければならない。

騙す方が悪いというが、騙される方も責任があると私は思っている。

渋々、紙に書く店員を見た私はもうそのお店に行くことはない。

聞こえないということは他者の助けが必要になってくる。
それはもちろん当たり前ではないし、感謝をしなければならない。

しかし、中にはそういった弱みに漬け込んで騙す人もいる。

ただでさえ私たち難聴者は情弱だ。

視覚で情報を補う以外に健聴者以上の知識や経験は必要だと思う。
それには相当たる努力も必要だとも思っている。

自分とは違う異質なものに健聴者は区別をつけたがる。
一概にとは言えないが、大半はそうであると感じる。
もし、間違っているのであれば私の見ている世界はまだまだ狭いのかもしれない。

弱者は弱者のコミニュティが出来上がり群れて過ごすことによって安心する心理が働く。
だって、理解者が近くにいるだけで何の否定もないし、コミュニケーションの壁もないから楽なのだ。

気持ちは分かる。
私もコミュニケーションの壁の無さが嬉しくて、そういうコミュニティにどっぷり浸かっていた時期はあった。

だけど、弱者のコミュニティとなると世界が狭い。
ありもしない与太話があちらこちらに飛んでるし、こちらは初めましてなのに相手は知ってるとか。
語弊を恐れずに言うと人間性が低いし、上下関係がゆるゆる過ぎる。

コミュニケーションの壁がないことで距離感がバグっているから、大体みんなフレンドリー。
それがどうも私には合わなかった。

もうその空間がしんどくて、1人フラフラしている状態である。





ここからは炎上覚悟でお話をさせてもらいたい。

四体満足の聴覚障害者年金を真面目に廃止してほしい。

知り合いにソフトバンクとかトヨタとか働いてる人いるけど、年収に上乗せで+100万とか真面目にいらないと思っている。

病気とかそういった類は省く。

お金もらうじゃん?自動車税も全額免除じゃん?
すげーよ、この国って思う。

一見、障がい福祉に恵まれた国だと思うかもしれないが、国からかわいそうだからお金あげるよーって見下されてるの、まだ気づかない感じだろうか。
援助ではなく、憐れみに私は見える。

24時間テレビの『お涙ちょうだい番組』と同じに見えて虫唾が走る。

我々は感動の道具として見られていることに気づいている人は少ない。

手話を広げることに躍起になっているが、その前にそういうとこ気付いてほしい。

そんな調子では、いつになっても健聴者と同じ土俵には立てない。

対等になれる、もしくは超えられる時代は永遠に来ない。



なぜ、この思考に至ったのか。

チャレンジャーな聴覚障害者が少ないと思ったから。

中には仕事をしないで年金だけで遊んで暮らしている人もいる。

すごくもったいないなと思うし、腹立たしい。
一昔前、それは差別もひどく、まともな仕事も就けなかった人もたくさんいた。

だけど、今は違う。
先人たちがもがき苦しみながら、作り上げてきたからこそ格差の少ない時代になった。

デジタル発展化して情報保障も強化され、学べる機会も非常に増えた。
ひとりで海外旅行にも行ける。
手話通訳を介して電話もできるようになった。

これ以上、何を望むものか。
とてもありがたい時代だと思っている。


だからこそ、それに加速度を増したい。


私たちは耳に障がいがあるだけでそれ以外は至って健康だ。

つまり、四体満足。

今の時代で名を轟かせている聴覚障がい者はどれだけいるだろうか。

私はちっとも思い浮かばない。

これまでの歴史の中で名を残した聴覚障がい者といえば、「ベートヴェン」と「ヘレンケラー」が思いつく。

『できっこない』『無謀だ』

そんな言葉が今よりも強く使われたあの時代で偉業を成し遂げられたのだから、今の時代にできないわけがないと思っている。



タダで貰えるお金は魔力だ。
いや、麻薬だと言ってもいいだろう。

ハングリー精神を失くす怪物だ。
あなたの夢を諦めさせるためにお金を渡す。


かくいう私は年金をもらえない立場にある。
障害等級が低いから。
むしろ、もらえなくて良かったと思っている。

でなければ、noteもやっていなければブログもやっていない。
自分で何かを生み出すという行為すらしていなかったかもしれない。

年金もらって遊んで暮らしている人を横目に反骨精神で私を奮い立たせる。




私はカメになりたい

ウサギとカメなら私はカメだ。
カメは遅い。

でも、最終的に勝負に勝つ。

初速は遅いが、大目に見てほしい。

欠けている、それだけで私は燃える。
ないものを埋めるんじゃない、溢れさせたい。
あの手この手を使って、あなたより遥か遠くに私は行く。

「あいつだからできたんだ」

じゃなくて

「あいつでもできたんだ」

そんなロールモデルな存在に私はなりたい。


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