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難聴のぼくが文字を書く理由

なぜ、ぼくはこんなにも文字が書くのが好きなのだろう。

ふと思ったのでここに書き留めたいと思う。

ぼくは生まれつき難聴です。
未熟児で生まれたからなのか聴力を少しだけお空に返しました。

小学校、中学校と兄ふたりを追いかけて
聴こえる学校に通いました。

テレビの音や高い音、電車のアナウンスや女性の声が無音に等しい世界で耳で聴くことと声を使って話すことが当たり前の世界に15年間いました。

家族はぼく以外、聴こえるので当たり前のように
口話を使って会話をしています。

ぼくは口の形を読み取って言葉を理解します。
いわば、読唇術というものです。

例えば、ガラスに向かい合って音は聞こえないけど
相手の話す言葉が分かる。

テレビのニュースとかドラマなどの話してる内容が
完璧ではないけど、多少理解することができます。

周りから見ればスゴイことなのかもしれない。

だけど、ぼくにはとても大変なことなのです。

朝起きた瞬間に全力で走る。
朝ごはん、支度、学校や仕事、そして帰って寝るまで全速力で駆け抜けて1日が終わる。
そんな感覚なのです。

フルに体力と頭をとても使うのです。
日々疲労が溜まる一方、目にもダメージが大きくなります。

もう少し分かりやすい例えをしましょう。

あなたは日本人です。
日本語しか分かりません。

そんなあなたが1人だけ外国の地にいる。

周りの人は何を言ってるのか分からないし、
自分の伝えたいことも上手に伝えられない。
聞き返すと「もういいや」という素振りをされる。

マスクつけられるとほぼ無音です。
音はわかるけど、言葉はわからない。

ぼくがいる世界はそんな世界です。



ぼくの耳は時間をかけて慣れていけば音を判断、
言葉の把握をすることができます。

バイクの音や車の音、男性の声は分かる。

でも、どうしても機械音、女性の声は聴こえなくて
音楽の授業や女性と話すことが苦手でした。

思春期のぼくは、兄ふたりのようにモテたいと思っていても話すことがままならなかったので、
友達を作るのでとてもヘタでした。

ヘタだったので、友達が友達にちょっかいを出して
仲良くなるという光景を見てそのまま真似をしていました。

すると、だんだん嫌われていってしまったのです。
ちょっかいを出す以前にコミニュケーションを取るということが分からなかったのです。


母は

「人から物を借りる時は貸してって言うんだよ」

と何回も教えていた。

今だに笑い話のように話します。



そんな時に転機が訪れます。

ぼくは手話に出会いました。

今まで見えなかった言葉というものが
手を伝い、知らなかった言葉が
どんどん分かるようになったのです。

15歳の時でした。

ぼくは自分の耳のことをより深く
自分が理解してあげないといけないと思い、
聴こえない人が集まる学校
ろう学校に転校することにしました。

それからというもの
これまでの鬱憤を晴らすかのように
手を使って会話をするようになりました。

指文字を1時間で覚え、
手話をたったの3ヶ月で覚えたことはちょっとした自慢です。

とにかく目にみえる言葉が嬉しかったのを覚えています。

ぼくにとって聴こえないことって
見えないことと同じだと思うのです。

ノイズ音だけが耳の周りを駆け巡り
輪という輪に入れない。
常に孤独を感じていました。


語弊を恐れずに言うと
見えない人が光を感じれないのなら
ぼくは希望を感じれなかった。


なんで分かってくれないんだ!
その思いだけが先走って、
周りに迷惑をかけてしまうことも
しばしばありました。

今、思えば幼稚だったなと思うばかりです。


手を使って会話をしていくうちに
言葉というものに魅力を感じたのです。

あなたが何気なく使っている言葉は
ぼくにとってはついこの間知ったと同じくらい新鮮だったのです。

言葉を知らなかったぼくは言葉に渇望するようになります。

喉が渇くように圧倒的にぼくには言葉が足りなかった。
足りなすぎた。

1日5冊の本を読み漁ったり、
何時間もの友達とディベートしたりして
とにかく遅れを取り戻したかった。

周りの友達が優しかったこともあり、
高校時代ではとても充実した学校生活を送ることができました。


言葉を好きになったぼくは
自分の武器とはなにか?を考え始めます。

ぼくは好きな言葉を武器にしたかった。
だけど、世の中にはものすごい言葉の使い手たちがいる。

勝つ気はありませんが負けるつもりもなかったので、
ぼくだけが勝負できる唯一の武器を持ちたいと思っていました。


そしたら、あったのです。

それも身近なところに。

それはぼくの耳でした。

ぼくの耳は気まぐれで都合のいい耳です。

ぼくにとって厄介なやつだけど
難聴がぼくの武器でした。

人より聞こえない分
目で得る情報は誰よりも敏感です。

敏感だからこそ、言葉を第二の刃として
振るうことができるのでは?と思ったのです。

培った長年の視覚情報で誰にも気づかない着眼点に
ぼくが気づけたとしたら、それは紛れもない難聴のおかげだと思うのです。

相手が見ている景色を想像して書くのが好きです。

難聴うんぬんの前にぼくはただ言葉を書くのが好きなのです。
言葉に渇望したあの日から。

だけど、これだけは言いたい。

難聴じゃなかったら
きっと文字なんか見ぬ知らずをしていたと思う。

情報発信をするという勇気なんか持てなかったと思う。

挑戦なんてもってのほかだ。

難聴はぼくをハングリーにさせた。

辛いことも苦しかったこともたくさんあったけど、
難聴は神様からのギフトだと思う。
難聴で良かったと心から思っている。

苦手だった音楽も今ではどっぷりハマり、
趣味として作詞作曲をするほど。
機会があればnoteの世界にも披露したいと思う。

これが難聴のぼくが文字を書く理由です。

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