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我慢をやめるとき

特に日本人は、我慢を美徳とするところがありますよね。これは儒教の教えからだと思うので、韓国や他のアジアの国の人も、似たような感覚を持っているのではと思います。

君主、親、目上の人を敬う、恩、義理、礼儀、しきたりなどを大切にするなどの考えが、儒教です。

とても良い思想だと思います。
日本人が礼儀正しく、思いやりがある人種だと言わせしめる根本的な思想だと思うし、日本人として誇りを持てる価値観だと思っています。

しかし!このせいで、いったいどれだけの人が、自分に必要以上の我慢を課しているのか?と思うと、どこかで歪みが出てしまったのでは、と思うのです。

我慢という言葉を調べていたら、こんな文章に出会いました。

『我慢:一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという忍耐」という意味でつかわれていますが,本来は,仏教の言葉で,『強い自己意識から起こす慢心(おごり高ぶる心)』のことだそうです。 この我慢とは,「七慢」と 呼ばれる仏教用語の1つだともありました。

https://kunimi.fcs.ed.jp

他人と比べて、自分を誇ったり、過剰評価する心を「慢」という。
我慢とは、「強い自己意識から起こすおごり高ぶる心」なんだそうです。

我慢って、被害者意識も少し入っている場合もあると思うのですが、結局は、自己意識(自分の存在を認めてほしいという意識)が強いからなのか〜と思いました。

その自己意識を ー

外側に表現すること=自慢
内側に押し戻すこと=我慢

なんだそうです。

それって、他人を傷つけるか、自分を傷つけるかの違いであって、結局は似たようなエネルギーなわけです。

他人を傷つけると、その人が目の前で反応をしてくれる。。。泣く、怒る、拗ねる、逃げる、喧嘩になる etc. ので、表面化しやすい(場合が多い)ですが、自分で自分を傷つけていると、それが内側だとなかなか表面に出てくるのに時間がかかります。

その結果、体調が悪い、病気になった、どこそこが痛い・・・など身体から何かしらのサインが出てくる。

やはり、心と身体、そして病は繋がっているのです。

この「我慢」という感情を無視するというより、日本人にはあまりにも当たり前すぎて、存在すら感じられず、麻痺している人が多いと思います。

それが正しい我慢か、強すぎる自己意識からの我慢なのか?
自分に問いかける必要がありそうですね。

☆ 「我慢」という言葉を聞いて、何か心に響くことはありませんか?☆

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