見出し画像

無視できない人工光と情報量

日本に一時帰国をすると、年々増えていく公共の場での情報と人工の光の量の『近さ』に驚きます(都内&近郊)。以前からもネオンや大きな看板はありましたが、今は、もっとそれらが近くにあるのです。

例えば、電車に乗ると、車内には手を伸ばせば届くような距離に、最新の画面にカラフルな映像が流れ続け、ニュースや何かの広告が常に流れています。停車駅などの情報も、常に視覚や聴覚に訴えてくる。

電車が駅に止まりドアが開く。一息つけるかと思いきや、ホームに大きな画面(たまたまそこの駅にあっただけか?)があり、明るい色をチカチカ光らせながら、宣伝だかお知らせだかを伝えてくる。

エレベーター内も同じく・・・。

とても便利だし、都会的な豊かさ、テクノロジーのすごさを実感します。
自然と情報源に意識が行き、脳に、五感に、情報がインプットされるように町全体が作られているようです。(実際、そうなのでしょうけど…)

個人個人に直に伝えたいメッセージがある?
人々を飽きさせないようにするため?

普段、移動は車か歩き、テレビは流しっぱなしにすることはなく、パソコン・携帯から自分の知りたい情報を探しに行くことが多い私の日常からしたら、日本に着くと、その勝手に入ってくる光と情報量に身体と心を慣らすことから始まります。

その環境にすぐに慣れてしまいますが、一歩引いて見てみると、少し異様な印象も受けます。それが日本の都市の集合意識に少なからず影響を与えるのではないか、とも思います。ー 実際、乗客の方々は各自の携帯に夢中で、車内の広告に気づいていないかもしれないけど。

どこの都市でも、同じような光景が当たり前だ思いますが、世界的に、自然に触れよう、ストレスをリセットできる『ヨガ』や、「マインドフル」に「今」を生きようという概念が広まっている現状は、年々増えていく(無視できない)人工光と情報量に関係しているのかも?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?