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添えられた言葉


添えられた言葉は大きい。

先日の連休中、親友のお部屋探しに同行した時のこと。
親友は聴覚障がいがあり、私は必要であれば手話通訳をと思い、同行した。

親友は転勤が決まり、今月に入って土日にお部屋探しで内見を重ねていた。
でも、
不動産屋さんが、「お客様は聴覚障がいの方です」と、賃貸物件の管理会社に伝える度に、親友はことごとく申し込みを断られていた。

その断られる理由は、
『聴覚障がいの人だと、災害時や緊急時に対応しかねる』
ということだった。

親友はその理由に反発することなく、管理会社の言いうことはもっともかもしれないと、半ば納得しつつ、部屋の一つも借りることができない自分を情けなく思って落ち込んでいた。

客と不動産屋さんとの相性というのもあるかもしれないと、気持ちを切り替え、翌日、思いっきって別の不動産屋さんを訪ねてみた。

これまでの経緯を話して、お部屋探し再開。

同じ場面になった。
不動産屋さんが管理会社へ連絡する・・・。

すると、
同じ場面だけれども、大きく違った。

二つ目の不動産屋さんは、
「お客様は耳が不自由な方です。
ですが、一般企業にお勤めで、ゆっくり話してもらったり、声を文字に変換するアプリを使ったり、チャットや筆談などで会話されています。」と。

「耳が不自由な方です」の後に
言葉を添えてくれたのだった。
まるで、親友を後押ししてくれるかのような言葉を。

そのおかげで、管理会社の理解を得ることができ、内見やその後の諸々の手続きがスムーズに進んだ。

添えられた言葉は、
「聴こえなくても、あらゆる術で頑張ってる人なんだよ」と、相手に伝え、熱く応援してくれているように思えた。
その言葉が、
言葉を添えてくれた気持ちが、
親友も私も嬉しくて嬉しくて。

もしかしたら、
その不動産屋さんは、ノルマ達成のため、なんとか契約に繋げようと必死だったのかもしれない。
あるいは、
手話であれこれ話す私たちの様子を不憫に思ったのかもしれないし、
耳の不自由な親友を気の毒に思ってのことだったのかも・・・。
いや、
本当に応援してくれたのかもしれない。

私たちは、添えられた言葉がとてもありがたく、心に沁みたのだった。
そして、親友の安堵する表情に私も自分のことのように嬉しかった。

添える言葉の大切さ
添える気持ち
添えられた言葉の大きさを
しみじみ感じた。

不動産屋さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

親友は東京、私は神戸。
遠く離れていても、いつだって応援する。 
何かあったら必ず駆けつける。

親友が新天地で充実した日々を過ごせますようにと遠い空から祈る。




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