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「余白の分かち合い」が放つチカラ

今年最初の記事に「協振」という言葉を使って、障害者雇用の目的地とその目的地を包み込む社会の姿を描いた。思いもかけず、たくさんの反響を頂いて、その声から次なる活動を生み出す種も見つけることもできた。そんな私の思考が発散状態のタイミングに、「理念経営2.0」という本をご紹介頂いた。その方曰く、私が表現した「協振」と言う言葉が、Connecting Pointにとってのパーパスなのか、ビジョンなのか、ミッションなのか、はたまたバリューなのか、整理したら面白いのではないか?というアドバイスだった。たしかに、私の頭の中には、学生時代からこれまで抱いてきた長年の想いが、とっ散らかっているところがあって、昨年からnoteに想いを書き綴ることで、頭の中に広がる世界を整理してきた。だからこそ、今回もそのアドバイスをもとに、本を片手に思考を巡らせ、整理し、深めてみた。

Connecting Pointのビジョンは、「障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会の実現」である。これは、創業時から変わらずに抱き続けている、揺らがないビジョンである。前出の本によれば、ビジョンとは、「私たちは将来、どんな景色をつくりだしたいか?」という問いへの「解」と表現されていた。まさにConnecting Pointのビジョンは、私がこの目で見てみたい景色である。

では、「障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会」を実現できた時、Connecting Pointは次に何を目指していくのか、Connecting Pointは何のために存在しているのか?を考えることが、組織にとってのパーパスだという。Connecting Pointのパーパスとは何か。本を読み進めながら、私の心の中で紡がれた言葉が、

「人と人とが響き合うエネルギーで、社会に『想い』と『希望』を生み出す」

だった。まさに「協振」の結果として生まれるものを描いた世界観だ。

私は、福祉の道を歩んできたが、これまで福祉の対象と見なされてきた人は「社会福祉事業の恩恵を受ける人」というラベリングがされてきた。そして、そのラベリングをされた人たち自身が「想い」をつのらせ、「希望」を生み出すには、国からの支援はもちろん、誰かから寄せられる「善意」の存在が大きかったと思う。

昨年、私が見学に伺ったソニー創業者の井深大さんが設立された社会福祉法人も、井深さんの想い(善意)はもちろん、井深さんが生前に築かれた富によって生み出された実践であり、それが、当事者やそのご家族にとっての「希望」になったのだと思う。令和になった今も、障害のある子どもの未来を思って、グループホームを建設するための土地をNPO法人に寄付するなど、当事者家族が未来への「希望」を生み出す障害者福祉の実践は変わらずに残っている。

つまり、これまでの福祉は、特定の特性をもつ人たちの「善意」によって、まかなわれていたのかもしれない。特性の一つは、資本力であり、当事者性(家族や当事者)でもある。しかし、資本主義社会の進展とともに産業構造が変化し、その中で「生きずらさ」を感じるようになった人たちが、当事者性と資本の力によってしか希望を生み出せないとしたら、なんとも味気ない。そして、当事者性も資本力も乏しいConnecting Pointのような小さな法人には、社会の中に「想い」や「希望」すら生み出せない無力感に苛まれる。

これは考えすぎ、かもしれないけれど、そんな自分思考を続けながら、私は「協振」という言葉にいきつき、もっと身近に、誰もができる方法で、社会に「想い」と「希望」を生み出す方法を見つけたかった。

それが、「人と人との響きあい」であり、「人と人とが活かし、活かされる関係」である。

人と人とが語りあい、お互いの差異と余白を保ちながら響きあうからこそ、それぞれの中で未来へ向かう「想い」が生まれ、社会の「希望」に繋がっていくのだと思う。そして、その人と人との間に生み出されるエネルギーが、これからの脱成長主義の社会の中で、多くの人にとっての心の拠りどころになるではないかと思っている。

そして、福祉の対象となる人たちは、時代とともに広がり、この先、きっとほぼすべての人たちが何かしらの困り感を抱えるようになる。その前提に立てば、福祉の対象者は、ラベリングされてきた一部の人だけでなく、日本で暮らす「すべての人たち」になる。そうなったとき、福祉の担い手も、資本力のある一部の人たちだけ、とは限らないし、ある社会課題に当事者性を有する人たちだけ、にもなりえないと思う。言い換えれば、すべての人が当事者性を持つのかもしれない。

つまり、福祉の担い手も、もっと大衆化されていくのだ。日本という一つの社会で暮らす人たちが、それぞれの持っている「1日分の余白」を身近な人と分かち合ってくれるだけで、社会がより良い方向に進んでいくイメージだ。私は、その余白の分かち合いこそが、これからの「善意」の形であり、その人と人との間にこそ、本来の福祉の心が芽生えていくのではないかと思っている。そして、その新しい福祉の形を世に示し、人と人とが響き合うエネルギーで、社会に想いと希望を生み出すためにも、まずは「障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会」を実現していこうと思っている。

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