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「きれいごと」の大衆化 ―「共生社会」から「協振社会」への道しるべー

私がMotivator構想を掲げたのが2023年3月。「当事者の声」を中心に、これからの障害者雇用を描いてみたいと思ったのがきっかけだ。そこで、私は、障害者雇用の最前線で活躍する人たちの声をもとに、「これからの障害者雇用」を感じ考え、言葉にしようと、昨年11月まで、「障害者雇用のここっておかしいよね?」をテーマに、様々な人たちと対話を重ね、その記録をnote(#1-10)に書き綴ってきた。福祉事業所の支援者、学校の先生、起業家、企業担当者だけでなく、なるべく多様な背景をもつ当事者の皆さんとも同じテーマでお話させて頂いた。残念ながら記事に出来なかった対話もあるが、たくさんの方が、「これからの障害者雇用」に想いを寄せて下さり、貴重な時間を割いて下さった。この場をお借りして御礼を述べたいと思う。

今回の記事では、これまでの対話企画で見えてきた障害者雇用の「目的地」について、対話記録を振り返り、整理しながらお伝え出来ればと思っている。そして、「きれいごとの大衆化」をテーマに、障害者雇用の「目的地」が描くこれからの社会の姿を想像しながら、目的地に至るまでの道のりを考えてみたいと思う。


対話から見えてきた障害者雇用の「目的地」とその「打ち手」

対話企画では、毎回同じ質問をさせて頂いた。まず語り手にとっての「障害者雇用のおかしいと感じるポイント」を教えて頂き、対話後半では「“おかしい”を超えた先にある障害者雇用の姿(目的地)」についてお話を伺った。皆さんとの対話で語られてきた言葉を紡いでみると、目的地をあらわす2つのキーワードが見えてきた。

「その人のままに活躍できる」・「障害を特別視しない」

である。「その人のまま」や「らしさ」を大切にしたいという想いは、表現の仕方は違えども、対話をご一緒した全ての人に共通した想いであったと感じている。また、障害者雇用は、法律によってルール化されているからこそ、社会や職場の中で障害のある人が特別視されやすい。「XXさんは、障害者雇用枠だから…」そんな言葉で片づけるのではなく、「“障害”の前に、まずは、その“人”を見て欲しい。」といった声も対話の中では生まれていた。

対話からあらわれた障害者雇用の「目的地」

それでは、障害を特別視せずに、その人のままに活躍する職場は、どうしたら実現できるのだろうか。対話企画では、その「目的地」に向けた解決策についてもお話を伺った。そこでの語りを振り返ると、インクルーシブな職場づくりに向けた揺るがぬ一手とも言える打ち手が浮かびあがってきた。

「日常的に人と人とがつながり、互いに協力する機会」

だ。「社内には障害のある人や、自社における障害者雇用の取り組みを知らない社員が多い」、だからこそ、まずは、経営層を含めた社内の様々なプレイヤーに「障害」を知ってもらう。もっと言えば、「障害」ではなく、その「人」を知り、一人ひとり異なる「ニーズ」があることを知れる場が必要だという声もあった。また、働く場だからこそ、同じ会社で働く仲間として、互いに協力して、仕事の成功を共有していく。まさに、仕事を通じて人と人とが繋がり、その間に生まれる共感が、まるで水面に落ちた雫の一滴のようにその輪を広げ、よりインクルーシブな職場が作られていくのだろう、といったご意見もあった。その雫の一滴が広がる様子を

「人と人との共振」(対話企画#8)

という言葉で表現して下さった対話はとても印象深いものだった。「共に振れる」体験は、その場にいる人たちが属性や立場を越えて、ともに考え、一歩を踏み出す姿につながるからだ。「共感」よりも動的で力強く、未来を描く上で大事なメッセージを頂いたと思っている。

対話内で語られた「目的地」への打ち手

そして、とりわけ当事者の方々を中心に語られた打ち手が、「ロールモデルの存在」だ。どんなロールモデルが必要かは、一人ひとりの置かれた状況によって異なるだろう。しかし、自分に似た環境で活躍する人の姿は励まされるし、勇気づけられる。私も、昨年、The Valuable500の創設者であるCaroline Caseyさんに出会って、Motivator構想を形にしていく粘り強さを与えられた。そして、今回、記事にすることは叶わなかったが、私が対話した知的障害のある人は、「将来的に管理職を目指して、今の職場をよりインクルーシブな場にしていきたい。」と前向きな気持ちにあふれていた。社会に根付く「知的障害者像」からはかけ離れた存在であり、これからキャリアを築いていく知的障害のある人たちにとって、ロールモデルの存在であったことは間違いないと思う。

ここまで対話記録を振り返り、整理してきたが、改めて、障害者雇用の「目的地」を言語化してみると、下記のように表現できそうだ。

仕事を通じて異なるニーズをもつ人と人とがつながり、互いに協力する機会を大切にしながら、決して障害を特別視することなく、その人のままに活躍できる職場をつくること。

障害を特別視しない。人と人とがつながり協力し合う関係。この2つの言葉には、対話企画に参加して下さった皆さんの想いが詰まっていると感じている。そして、私がこれまで学びを頂いた職業人・当事者の皆さんの想いも代弁しているようにすら感じている。しかし、である。このように改めて「目的地」を言語化すると、「そんなこと出来るの?」とか、「まさに『きれいごと』のど真ん中!」といった声が社会のあちこちから聞こえてくる感覚もある。そこで、対話から生まれた「目的地」をより具体的に考え、世間一般の「きれいごと」を「きれいごと」で終わらせない社会の姿を考えてみようと思う。

「人と人とがつながること」・「互いに協力すること」とは?

対話の中では、「障害を特別視することなく、その人のままに活躍できる職場づくり」を目指すにあたって、「人と人とがつながること」、そして、「互いに協力すること」が1つの解決策として語られていた。では、「人と人とのつながり」とは、一体どのようなつながりを意味するのだろうか。

私が対話の中から感じた「人と人とのつながり」は、雇用主と労働者、支援者と被支援者、上司と部下といった力関係のあるつながりではなく、互いに気配りの出来る対等な関係性だった。アドラー研究で著名な岸見一郎氏(2023)の言葉を借りるならば、

困っている人がいれば、それが誰であるとか、また、誰かからの強制だったり義務感からでもなく、ただ助けたいと思うから助けるのが、人と人との真のつながりのあり方(p137)

岸見一郎(2023)「つながらない覚悟」PHP新書

であった。そして、互いに気配りが出来るようになるためには、私たちが、他者の立場に立つことで感じ考える共感体験が欠かせない。ささやかでも共感できるからこそ、人と人とのつながりが生まれ、私たちは他者に向けるまなざしを変化させていくことができる。そこにお互い様のこころが芽生え、対話の中でも語られていた「共振」する関係が生まれるのだと思う。そこで、「共振」する関係を社会学の視点から探索してみたところ、「resonance(レゾナンス:共鳴)」という概念にたどり着いた。

レゾナンスとは、主体と世界が、それぞれ“独自の声で語れる”とともに、互いの声に反応し、その声を取り入れていく関係様式である。(Cassegard, Malmqvist and Stahl 2023)

レゾナンス(共鳴)とは、誰かを支配したり、依存したりすることなく、自分の完全性を保った上で、他者に影響を与え、他者から影響を受ける、人と人とのつながりの仕方である。(岸見2023)

一読して理解できるような概念ではないかもしれない。しかし、私自身、文献を読み進めながら、不思議とおおらかな気持ちになっていった。なぜなら、レゾナンスは、人と人とがつながることや、違いへの理解を私たちに強要するような概念ではなく、むしろ、異なる経験やニーズをもつ人と人とが影響しあいながら、独立した個が響き合う緩やかなつながりに感じられたからだ。「響き合う」とは、決して他者の意見(他者との違い)や社会に“同調”することではなく、必ずしも“調和”することでもない(Cassegard, Malmqvist and Stahl 2023)。ましてや、初めから違いを排除して成り立つ関係でもない。人と人とが個々の差異を保ちながら、お互いが無関心にならず、互いの余白を分かち合い、気を配るイメージなのだ。

もし、このnoteを読んで下さっているあなたが、障害のある人と働いてみて、自分とは違う仕事の進め方や、仕事に対する考え方、感じ方を知り、これまでにない体験をしたとする。その感じ方や考え方が、あなたにとって、たとえ理解しがたいものであったとしても、相手を責めたり、理解できない自分を後ろめたく思ったりする必要もない。その違いを経験できたこと、それ自体がきっと人としての豊かさにつながるからだ。そして、それは、一緒に働いた障害のある人も同じである。よって、障害のある人と障害のない人を「分ける」環境を維持し続ければ、互いに響き合うことは難しく、私たちは限られた体験しか味わえない人生になる。

そして、お互いに気を配り、影響しあう関係性になれば、自ずと「互いに協力する」関係へと発展していくだろう。「いつもそばで一緒に働いているから…」であったり、「(XXさんがいないと)仕事が進まなくて困るから…」といったそれぞれの理由(事情)によって、お互いが「放っておけない存在」になる。それこそが、「仕事を通じて異なるニーズをもつ人と人とがつながり、互いに協力する機会」である。私は、このように障害のある人と障害のない人が響き合いながらフラットな関係のもとで、仕事の成功を分かち合う、もしくは、パーパスの実現に向けて力を合わせる姿を「協振」と呼びたい。互いに協力して振れる関係こそが、異なる経験の共有を可能にさせ、組織や社会をより豊かに強くしてくれる。そして、協振する関係性を築けたときにはじめて、障害を特別視せずに、その人のままに活躍できる職場づくりを実現していけると思うのだ。きっとその頃には、障害のある人と働くなんて「きれいごと」という社会の本音が、時代遅れのものになるだろう。

「きれいごと」の大衆化

それでは、私たち一人ひとりが協振する関係を築き、これまでの社会の「きれいごと」をこれからの社会の「常識」へと進化させるために、いまどんな動きが求められているのだろうか。最後に考えていきたい。

私は、まず、人と人とがつながるための「きっかけ」を用意することが必要だと思っている。最近では、障害のある人が従事する業務も多様化し、社内カフェの営業や食品販売を介して、障害のある社員と一般社員の接点が生まれ、つながる機会も増えてきている。しかし、残念ながら障害のある社員と障害のない社員を「分ける」ことなく、仕事を通じて互いに「協振」しながら働く現場はまだ少ない。だからこそ、私は、人と人との違いから生まれる揺らぎの力を、自分自身の成長はもちろん、組織や社会の成長へつなげていこうと行動する人たちの「協振物語」を書き綴っていきたい。書き綴ることで、つながりの「きっかけ」を作っていきたいのだ。

「きれいごとの大衆化」とは、障害のある人と障害のない人が対等な関係性のもとで響き合いながら、同じ目的地に向けて力を合わせて進む物語を、一つでも多く社会の中で共有していくことだ。

一人ひとりが持っているとっておきの物語が、社会の中で頻度高く分かち合われるようになれば(=大衆化)、それが私たちの新たな「知」となり、一人ひとりの「記憶」のアップデートにつなげていける。
障害を特別視せずに、人と人とが協力しあいながら、その人のままに活躍できる職場づくりなんて「きれいごと」という「過去の記憶」から、人を特別視することなく、互いに協力しながら、その人らしく活躍することは当たり前という「新たな記憶」へ。

「新たな記憶」を持つ人たちが、一人でも多く社会や組織の中にいることで、職場のスタンダードも変化していくだろう。それは、かつて女性活躍が当たり前ではなかった時代から、今、当たり前に女性が働けるようになった時代の変化と同じである。私たちの記憶が1つ1つ塗り替えられることで、私たちの課題意識が変わり、社会や職場のルールが少しずつ変化していくのだ。

ただし、一人ひとりの「記憶」のアップデートと、それに伴う社会や組織の変化という連鎖反応を起こすためには、「きれいごと」を言い抜く人たちの声(「協振物語」の語り)が、社会のど真ん中で響く必要がある。残念ながら、資本主義社会の中では、「きれいごと」を言い抜く人たちの声は小さくなりやすい。しかし、経済成長に、技術革新も進み、みんなが豊かで便利になるという資本主義のストーリーを描ききれない今、耳を澄ませないと聞こえないような声にこそ、これからの社会づくりにおいて重要なメッセージが含まれていると思う。それこそが、立場や意見の違いを超えて人と人とが「協振」する社会の姿だからである。そのために、私は、これからも「きれいごと」を言い抜く人たちとの対話を続けて、一人ひとりの声を羅針盤にしながら、小さな声をより遠くへ届けられる拡声器としての役割を担っていきたい。それこそが、Motivator構想である。

「共生社会」から「協振社会」へ

そして、Motivator構想のもとで生まれた対話が起点となり、そこに集う皆さんと一緒に、多様なニーズを持つ人と人とが響き合いながら1つの仕事、組織、社会をともにつくる「協振社会」を生み出していきたい。共に生きるだけの社会(共生社会)を卒業し、人と人とが互いの存在から刺激を与えあい、互いの記憶をアップデートしていく瞬間を体験したいのだ。

「協振社会」での合言葉は、「何か困りごとはありますか?」だ。

みんなが困りごとを抱えているという前提に立てば、周りに無関心ではいられず、自然と気を配る。「それを聞いたら失礼かな…」とマジョリティ側が遠慮することも、「すみません、すみません」と障害のある人やその家族が頭を下げ続けることも、無駄なエネルギーになるくらい、優しくて強い社会である。そして、その人と人の間にうまれる協振のエネルギーが、資本主義社会の中において、社会をより良く進化させる原動力となり、物理的な豊かさではない、精神的な豊かさを私たちに与えてくれるのだと信じている。

参考文献:
岸見一郎(2023)「つながらない覚悟」PHP新書
Cassegard,C, Malmqvist,K and Stahl,C (2023)「Toward a resonant society –An interview with Hartmut Rosa-」Sociologisk Forskining, 60(2)177-195.

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