マイノリティーとして生きていくという決心

  こんにちは、十条です。先ほどは、私自身のASDの特性についてお話させていただきました。

 正直今でも生きづらさは変わりません。けれども、自分にその特性があるということを知って、じゃあこれからそれを持ちながらどう生きようかというところまできて、少し前に進めたかな、という感じですね。

 さて、この記事は先ほどの補足として挙げさせていただきますが、私自身はこのASDの特性は治らないというより、無理やり治そうとすると却って拒否反応が出てしまう為、これを持ちながらどう生きるかということを大事にしています。


◆ASDの特性を持ちながらどう生きていくのか

  これについてですが、特性については、残念ながら治らない、というよりもこれからもずっとついてくるものです。なので、それを治すというよりも、それを持ちながらもどうやって生きやすくなるか、どのように日々の生活を快適に過ごせるのかが大事です。

 それにはまず、私達のことを理解してくれる人を一人でも良いので見つけることが大事です。この理解者については、友人でも家族でも、カウンセラーさんでも他の支援者の方でも、何でも良いです。その方に心を開き、悩みを相談することで、その内容について理解のある方ですと、あまり衝突することなく、上手くやっていくことが出来、なおかつ周囲の人に対してどのように接したらよいのかアドバイスもしてくれることもあります。


 最初の頃は戸惑うかもしれませんが、あとから私達自身の行動や言葉を振り返ることが出来、あああのときはああしちゃったけど次からこうしようというように改善することも出来るようになります。無理やり社会に適応しなさいという強制ではなく、社会で生きていく為に必要なことなので、私達も自然とそれを受け入れられるのです。

 でも、仮にすぐに理解者を見つけられなかったとしても落ち込む必要もなければ、悲観する必要もありません。大事なのは、自分自身の気持ちにきちんと向き合い、否定しないことです。私達の理解者は、私達自身です。自分は、どんな場合であってもずっと生涯に渡って人生のパートナーですから、たとえ孤独に感じていたとしても、ちゃんと自分自身の気持ちを受け止めてくれるもう一人の自分がいれば、安心できます。

 これからも楽しいことばかりだけでなく、辛いことにも出会うことでしょう。でもその度に、自分自身を励ましてあげてください。上手くいかない中でも、ちゃんと日々を生きているのですから。それってすごく大事です。当たり前のようにも思えるけど、どんな時でも、たとえ冷たく強い風が向かいから吹いてこようがめげずにほんの一歩ずつでも歩いているのですから。


◆ASDの特性があっても、それは親のせいでも自分のせいでもない


 世代によっては、それは障害ではなく、親のしつけがなってないからだ、という方もいらっしゃることでしょう。実は、本田先生の本によると、昔は「冷蔵庫マザー説」というのがあって、それはどういうものかといいますと、母親が冷たいから子供が自閉症になるんだというものです。

 これによって当事者の母親達は社会的に孤立して大変苦しめられましたが、実はこれは母親達のせいでも私達自身のせいでもなく、脳の機能障害の一種です。なので、お母さんが子供に目を向けて話しかけたりして頑張っても、子供は目を合わせないか、なかなか言葉を発してくれないのです。

 ですから、お母さんがどんなに頑張っても治せるようなものでもなく、子供に無理をさせようとすればするほど、子供は拒絶反応を示し、お母さんもまた疲弊してしまうのです。


 そうならない為にも、まずは発達障害の特性を理解すること。次に、子供がその特性を持っていたことが分かった場合、どのように接するのが良いか、相談員等と話し合いつつ、じっくりと療育していくことが大事です。

 私自身についても、私がこうなったのはお母さんがだらしないからだと父がよく言っていました。でも私にASDの特性があると仮診断されて以降は、父はあまりそのことは言わなくなりました。他の当事者の方々も似たように、祖父母や父親(または母親)から、子供がこうなったのは母親(または父親)の教育が悪いからだと言われたという経験があるかもしれませんね。上の世代の方に特性理解をしていただくのは、なかなか大変です。これについては仕方ない面もありますけどね。


◆マイノリティーとして生きていく


 ASDの特性があろうとも私自身であることは変わりませんし、またそのせいでダメな人間であるとも思う必要はありません。大事なのは、障害か否かよりも、私達自身として生きるということです。

 でも、ASDの特性を持っている人は、社会的には少数派、いわゆるマイノリティーです。でも、たとえマジョリティーの人達に理解してもらえなくたって、私達が私達自身の特性を理解していれば、それで良いと思います。そして、私達自身だけでなく、他にもそのことに関心を示してくれたり、気を配ってくれたり、理解した上で接してくれる人達も出てくることでしょう。

 社会的に少数派だからといって決して自分自身を抑えつける必要はありません。自信を持つべきです。

 また、私達がマイノリティーだと自覚することで、その他のマイノリティーの人達(性同一障害やLGBT等)の悩みや苦しみにも共感できることでしょう。だからこそ、社会的少数派になることは、決して悪いことではないと思います。マジョリティーの人達と違うからこそ、同じようにマイノリティーの人達のことを理解し、かつ私達自身のアイデンティティーも自覚するようになります。

 だからこそ、自分自身を否定せず、受け入れていくことが大事なのです。


 人と違うことは、決して悪いことではありません。社会で上手に適応していくのももちろん大事です。でも、無理をする必要はありません。

 私達一人一人が、胸を張ってこの社会で生きて行けるように。


 


 

 

 

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