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『私の居た場所をあげる』

川べりの町 川崎市多摩区

生まれ育ったのは多摩川のすぐそばの町だった。川には大きな橋が掛かり、東京と川崎を繋いでいた。子供の頃、両親は私の態度が気に入らないと必ず言った。
「おまえは橋の下で拾った子だから。」
子供だった私はそれを言われる度に、何故か納得していた。ここは私の家じゃないのだ。だから居心地が悪いんだ。そして1人になりたい時は、いつも川に行き橋の下でここじゃない何処かを想像してた。時代は高度成長期、全てが高速で進んでいた。
中学入学の時、初めて戸籍を見てガッカリした。私は拾われた子ではなく、正真正銘この家の子だったのだ。なんか面白くない。どっちにせよ、ここは私の居場所じゃないことに変わりない。
今は彼岸に逝った親に言いたい。もうちょいマシな脅し文句はなかったのか。センスないったら……

多摩川の橋の下、川崎市側にて。対岸は狛江市。

海が見える町 真鶴町 Drive with Daddy

あ、この景色。ずっと昔に見たことがある。
坂道を港に向かって歩き、目の前に広がる海の風景を目にした時、不意に記憶の扉が開いた。
あの時、父親に連れられてこの坂を車で下って港まで行った。1960年代初め、父親はいち早くマイカーを手に入れ、週末ごとに子供を連れてドライブにいった。車はスバルのてんとう虫だった気がする。
戦争を経験した父親は富士重工業の車を生涯乗り続けた。それは少年飛行兵だった父親のこだわりだった。あの時、戦後は終わったってどの口が言ったのだろう。
ドライブが特に楽しいとは思っていなかったけれど、途中のドライブインで食べる食事はいつもの食卓とは違って洋風だったのが嬉しかった。
坂の途中から見える海と空、潮の香りと空気の匂い。それは天国に召された父親の思い出と重なると気づいたのは少し後のことだった。

凪の海。この景色を見るとホッとする様になった。

富士山が見える場所 中央線沿線或いは外苑前

東京在住で中央線中野駅より西に住んでいる人は、大概心当たりがあると思う。冬の朝、中央線の車窓から見える富士山に励まされ癒された経験。朝、通勤電車の窓から富士山を眺められたら、今日も一日何とか頑張れそうだって思えた。近年、高層ビルが郊外にも出来て必ずしも眺望は良くないけれど、そんなビルの合間に見える富士山のわかりやすいシルエットには癒される。
なだらかな稜線と山頂に雪をまとった姿は確かに美しい。
そう、富士山は雪をまとってこそなのだが、最近の温暖化の影響か様相が違ってきた。立冬過ぎても雪はまばらだったりすると心配になる。
雪を頂にまとった麗しい姿は浮世絵の中の、架空の景色になるのだろうか。

2017年の景色。国立競技場ができる前。
今は失われた景観である。

本屋がある町以外、住めない。杉並区阿佐ヶ谷

あろうことか、本屋の無い町に住むハメになりそうである。古本屋はあるが、普通の新刊本を扱う本屋は阿佐ヶ谷には一軒のみ。本屋は駅前にあり、夜遅くまで開いていて、仕事帰りでもゆっくり本を探すことが出来て重宝したが、2024年1月に閉店すると店頭に告知が貼られている。
本を探す時間はわがままでよかった。それは子供の頃から変わらない自分だけの贅沢な時間だった。
本屋に通い、書架の間を巡りながら背表紙を見てあれこれ想像する時間。
他のものは中々買って貰えなかったけれど、本だけは好きなものを買って貰えた。本の世界はいつだって自由だった。あの頃が少しだけ懐かしい。目で見て手でページをめくる行為、言葉に揺さぶられ、励まされ癒される読書経験。本を読んでいればそれで良かった。
気がつけばAmazonのヘビーユーザーになってしまった自分には、本屋がないからといって文句を言う資格はない。そもそも家の積読はどうするつもりか。
みんな、本屋さんに行ってる?

お気に入りの本屋は遠くの町にある
冒険研究所書店にて

神社がある町 あちこち

神社仏閣がことのほか気になるタイプである。朽ち果てそうな絵馬が掲げられていたりすると余計にありがたい気がする。
子供時代を過ごした町にも神社があった。縁日があると友人と連れ立って、金魚すくいに夢中になった。絶対に体に良くなさそうな食べ物も、子供にとっては魅力的で、怒られるとわかっていても舌を真っ赤にして帰った。
今住んでいるのは東京23区内だが関東大震災までは、東京郊外の農村地帯だった。かわうそが普通にいて、川を堰き止め洪水の原因にもなったらしい。百年ちょっと前の話である。
今では川は塞がれ暗渠になっているが、そこを辿っていくと神社にぶつかる。元々水源だったのだ。水という恵みに感謝し、大切にしてきたことがわかる。鎮守の森に囲まれた神社を参拝、手を合わせる。
「謙虚になれよ。」時折そんなお告げが降ってきたりする事もあったりなかったり……

心がザワザワすると参拝して手を合わせる。
生きていることに感謝し、笑顔でいられるよう願う。

魔法にかかった町 ニューヨーク、ニューヨーク

初めて行ったのは、離婚後。30代も半ばを過ぎ、ふいに人生をリセットしたくなり、アメリカに短期語学留学を決めた。当時ドル円レートは80-90円、貯金で3か月は滞在可能だった。
学校があるミシガン州アナーバーはのどかな学生街で、緑も多く、落ち着いた田舎町だった。最初のタームが終わり、次のタームまでの休みを利用してNY行きを決めた。
ひとりで旅行代理店に行きチケットを手配し、マンハッタンの友人宅にホームステイさせて貰った。久々に見る都会、渋滞する道路も懐かしいと思った。
見るものすべてが刺激的で騒々しく、時に猥雑で飽きることがなかった。楽しく数日を過ごし、学校に戻る日が来た。
ミシガンに戻るフライトは早朝だったため、イエローキャブに乗って、夜が明ける頃にマンハッタンを出発した。その朝、橋を渡る時に見たスカイラインの景色は息を呑むほど美しかった。町は目覚める前の静けさと夜の気配を残しながら、朝の活気を取り戻そうとしていた。
あの時、あの瞬間、NYの魔法にかかった。それは恋に近い感情だったかも知れない。
自由の女神は微笑んで言った。
「いつでも戻っていらっしゃい。待ってるから。」
「必ず戻る。誓ってもいい。」
それから年に一度、必ず戻る習慣は20年あまり続いた。

2017年、帰国前にホテルのルーフトップで。
雨上がりのマジックアワーの魔法。

猫がいる町 阿佐ヶ谷界隈

近所に顔馴染みの猫がいる。道ですれ違うとつい、猫なで声で私が擦り寄っていく。
たいがいの場合、顔馴染みゆえに引っ掻かれたりはしない。大人しく触らせてくれて、頭を撫でさせてくれる。時には向こうから声をかけられる事もある。
「久しぶりじゃん。元気だった?」
「ぼちぼちだわ。暑いのにそっちは毛皮が大変だねぇ。そろそろお家に帰ったら?」
「パトロールがまだ終わってないからね。」
「そっか、気をつけてね。変な人間についていったらダメだよ。」
「あんたこそ、ついうっかりしないようにね。」
時々、猫は鋭くこちらの状況を見抜く。実は着ぐるみじゃないかと疑ったりもする。
猫が自由に安全に外で過ごせる街は、人にとっても優しいはずである。
以前、夜道で猫に話しかけているサラリーマンがいた。よく見たらその猫は私の猫だった。
事情を伝えたら、彼は優しくうちのこを撫でながら言った。「毎晩、ここで会えるのが癒しなんです」やっぱり、猫にはお見通しなのだ。弱っている人に寄り添ってくる。「命はみんな同じなのよ。」

とても優しく親切な猫。姿が見えないと気になる…

最後に

私がこの世から去っても何もしなくていいけど、私が居た場所を思い出し、時に訪ねてみてほしい。
私が住んで、或いは訪れて、足が痛くなるまで歩き回ったり、ぼんやり空を見上げた町を体験してほしい。そして、もしその場所を気に入ってくれたらとても嬉しい。あと猫には優しくして、絶対に。
明るく閉じる癖がある自分を理解して、付き合ってくれたあなたに。
これは私なりの自己紹介。私の居た場所をあげるから、受け取って。

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