junko_hara

Writer/Coordinator 還暦目前にして芸術を学ぼう!と思いつき、京都芸術…

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Writer/Coordinator 還暦目前にして芸術を学ぼう!と思いつき、京都芸術大学通信課程に入学。2019年3月に芸術教養学科卒業。ライティングを学びつつ、2022年東京藝術大学履修証明プログラム応募、2023年に無事修了。「自分を使い切る」を模索中です。

最近の記事

日々是妄想:時の流れに逆らってもねぇ…

“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし” 方丈記より引用 ほぼ40年ぶりに当時のアンファンテリブルに会った。おしゃれでやんちゃで、どこかトンガってた時代があったことを思い出した。 時間はある意味では残酷である。その実態も仕組みもわかっているようでわからない。緩慢に進むかと思えば、疾走する様に飛び去ったりもする。それもひとえに私の感覚の問題でしか

    • 日々是妄想: 学んだから気付けたことがある

      「建築十書」どこかで見たけど何だったっけ? 真鶴でのトークイベントの最中に出てきた著書に聞き覚えがあった…そう、大学で苦労して学んだアレ、 『芸術理論古典文献アンソロジー西洋編』だった。 京都芸術大学在学中に必死のパッチで受講した芸術理論…なんせ必修だったから逃げようがなかった。 散々な成績ではあったけど単位は取得した。 あまりにも手間がかかる課題で、電子書籍というわけにいかず、分厚いテキストを購入。今でも本棚に東洋編と共に積んである。 因みにレポートでは著者名を間違って

      • 日々是妄想: センスはエビデンスに基づく

        なんとなくじゃ通用しないし、それじゃ弱い。センスが良いとはどういうことか。そこにリベラルアーツが必要不可欠と最近では思えるようになった。 遅いけど、成長ってことにしておこう。 さてお天気が良いので東京駅から有楽町抜けて銀座まで歩く。左膝が微妙だけど… 目的地1: 安井仲治-僕の大切な写真@ステーションギャラリー 戦前の神戸は知らないけれど、どこか日本人離れした感性を感じる。海外からの情報を取り入れ、自分なりに実践して解釈して消化することができた人だと思う。繊細だけど、ベー

        • 日々是妄想:正しいは怪しい…

          中々たどり着けない夢をみた。 飛行機に乗るため空港に行こうとしているのに、何故かいつものように交通機関が使えず… 必死にあちこち乗り継いで、友人に助けて貰ってもたどり着けない… あと少しなのに届かない夢… 夢から覚めても、焦る気持ちが残る理不尽… 先月末、演劇のWSに初めて参加した。 俳優じゃない人限定!ワークショップ「人生の理不尽を演じてみませんか?」 ファシリテーターは岩井秀人さん(作家・演出家・プロデューサー) https://ware.mobi/members/i

        日々是妄想:時の流れに逆らってもねぇ…

          2024年1月 新年雑感

          2024年元旦、66歳になった。 久々に大晦日からひとりで過ごし、二日酔いもなく😆めでたく元旦の朝を迎えられた。それ普通かも知れないけど😅 元旦の朝、晴れ渡って雲ひとつない空のなんと清々しいことか。近所の神社の参拝を待つ行列を横目で見て通り過ぎ、散歩した。まさにI’m feeling goodな朝だった。 散歩から戻り、ささやかな正月のお膳を用意する。 一年に一度しか食べない伊達巻は、近所の蒲鉾屋さんのもの。決して安くないけど、良い素材で丁寧に作ってることが分かる逸品。以

          2024年1月 新年雑感

          『私の居た場所をあげる』

          川べりの町 川崎市多摩区 生まれ育ったのは多摩川のすぐそばの町だった。川には大きな橋が掛かり、東京と川崎を繋いでいた。子供の頃、両親は私の態度が気に入らないと必ず言った。 「おまえは橋の下で拾った子だから。」 子供だった私はそれを言われる度に、何故か納得していた。ここは私の家じゃないのだ。だから居心地が悪いんだ。そして1人になりたい時は、いつも川に行き橋の下でここじゃない何処かを想像してた。時代は高度成長期、全てが高速で進んでいた。 中学入学の時、初めて戸籍を見てガッカリし

          『私の居た場所をあげる』

          日々是妄想: ファーレ立川に行ってみた。

          アートトの講義で取り上げた作品と内容が気になって、立川でフィールドワークした。 行ったのは月曜日の昼過ぎ、はっきり言って立川は土地勘がなく、駅からどうやっていくのかもわかってなかった。とりあえず北口らしいと降りてはみたものの、暫し迷子状態となり結局、Googleに聞いた。 作品: 岡崎乾二郎《Mount Ida-イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》 1994年設置。 2022年に地権者である百貨店のリニューアルに伴い、撤去されることが決まったがのちに撤回。今

          日々是妄想: ファーレ立川に行ってみた。

          日々是妄想: 80-90年代のイメージとは?

          美術史講義振返り、感想及び余談含む備忘録として 今日の美術史講義では90年代(若干80年代含)が中心だった。当時まだ生まれていない受講者もいて、おばちゃんはビビった💦 自分の場合で言えば文化服装学院を卒業して、アパレル業界でフルタイム勤務、結婚して離婚して、アメリカ留学(敵前逃亡、現実逃避)まあまあ忙しかった時期である。 以下余談 思い起こせば95年頃、オウム真理教関連で警察の訪問を受けたりもした。信者ではなく単に巻き込まれ、市民として事情聴取に協力しただけ。 因みに高

          日々是妄想: 80-90年代のイメージとは?

          日々是妄想: 歴史に意識を向けること

          歴史が苦手で嫌いな人は意外と多い。私も得意からは程遠い。とはいえ歴史に関わらずに生きることは難しい。全ては大なり小なりの歴史の積み重ねによって今があるから。 好きも嫌いもなく、歴史はそこにあって常に現在進行形、無視することは不可能だし賢明とは言えない。何かが起きる必然は大概、歴史の中にある。故に意識することが大事だとやっとこの頃は思える様になった。通信制の大学に入って割とすぐに買った『詳説日本史図録』『詳説世界史図録』は今も本棚にある。 美術史を学ぶこと 今は近代美術史につ

          日々是妄想: 歴史に意識を向けること

          日々是妄想: お勉強振り返りの備忘録

          只今、清澄白河にて近代美術史についてお勉強中。 美術が如何に世界情勢と絡まっているかを今更ながら実感中。 パフォーマンスがアートになる時って? パフォーマンスアートと聞いてまず思い浮かんだのはジョン・ケージ4‘33’‘とオノヨーコのCut Peaceだった。あとはヨーゼフ・ボイスくらい… 時間、空間、パフォーマー(アーティスト自身)と観客(或いは居合わせた人)によって生み出される、即時性と一過性が特徴。 絵画という表現媒体からの脱却、身体性を芸術に持たせる或いは芸術を身体

          日々是妄想: お勉強振り返りの備忘録

          日々是妄想: 夏が嫌いになる

          何もしてないけど、どん底の日はある 日々是猛暑が続いた今年の夏。生きてるだけで偉いって本気で思った。 以前は夏は暑くても心が浮き立つ様な季節だった。恋に落ちたり、見た事のない景色に出会ったり、夏は思い出を作る季節だった。会社勤めの時は夏休みを利用して旅に出た。何ヶ月も前から計画してニタニタしながら、スーツケースにお気に入りの服を詰めて駅に向かう。 例え暑くても、新しい出会いへのワクワクの方が優っていた夏。 ところがである。今年の夏と来たらあまりの暑さに何処かに行こうという

          日々是妄想: 夏が嫌いになる

          日々是妄想: お盆雑感

          お盆に戻ってきた御霊に今の世界はどう見えるのだろう…。 両親を看取って何回目かのお盆も終わり、御霊にはお帰り頂かなければならない。果たして戻ってきてくれたのかは疑問だけど何処かにいて見守っていたかも知れない。ここには一回しか来てないから迷ったかもだけど。 どうもこの不調な感じはママだね。ママが逝った時と同じ。まだわかってないのかと思うとため息が出る。速やかに彼岸の向こうにお帰り頂きたい。ママの居場所はもうこっちじゃないのよ。 あれもこれも怖がるばかりで外に目を向けず、変化

          日々是妄想: お盆雑感

          日々是妄想: 時には映画館で

          《君たちはどう生きるか》 宮崎駿監督作品、2023年7月公開 偶発的学習が全て? 戦後はまだ終わってないのかも知れない。負け戦のトラウマに気付けるのは自分の世代がギリかもと思いつつ。面倒であっても太った🐺にはなりたくない。 「君たちはどう生きるか」なんて聞かれてまともに答えられる人が大勢いるとは思えない。 そう思ったから映画を観てみようと思った。夏休みとはいえ平日だからか、思ったより混んでいない。吉祥寺という場所もあるかもだけど、渋谷や新宿に行くより、個人的に好ましい。

          日々是妄想: 時には映画館で

          日々是妄想: 全ては自分の内に

          内なる宇宙に果たして答えはあるのだろうか? 蔡國強 宇宙遊〈原初火球〉から始まる @国立新美術館 8月21日まで 世界の根源を探る行為はどう生きるかを模索することに繋がるように思う。同時に死を想う、メメントモリでもある。爆発によって出来た軌跡を観ながら、確かにこれはビックバンで宇宙だなと思った。 以下、蔡國強によるステートメント引用。長いけど良い文章なので。 『原初火球』時代の私は、心を熱くして、物質主義、人心の劣化、生態環境の破壊、宇宙の未来など、20世紀の人類と地

          日々是妄想: 全ては自分の内に

          日々是妄想: 民藝の空間で避暑する

          多少ひんやりするも気持ち良い朝だったのに、日が昇るにつれて、いかにもな夏の陽射しが降り注いだ日。 駒場東大駅から民藝館までの道のりで容赦ない太陽の洗礼を受ける…午前中に移動すべきだったか… あれ、梅雨はどうした? 聖像・仏像・彫像-柳宗悦が見た「彫刻」 @日本民藝館 受付を済ませ、大きな引き戸を開けて玄関に入ると何故かホッとする。椅子に腰掛け汗を拭き、スリッパに履き替えた。正面の大きな階段、高い天井、木の手すりの艶やかでひんやりした手触り。 洗練された心地よい空間には、い

          日々是妄想: 民藝の空間で避暑する

          日々是妄想: 時には読書のススメを

          母性本能は標準装備と思ったら大間違い。 村山由佳著『放蕩記』を読んで考えた。 まるで私のことのようだなどというありふれた感想はないけど、何となく、そういうことだったかも知れないと、腑に落ちる昭和育ちの女性は多いと推察する。 母親はどこかで私を羨ましく、妬ましく思っていたと思うと妙に腹落ちする部分があった。 “自分だってこの子のように自由に社会の中でキャリアを持ちたかった“ 知るすべはないけど、母親がそんな思いを心に抱えていたとしても不思議はない。 ”自分の方が上手くできる

          日々是妄想: 時には読書のススメを