junko_hara

Writer/Coordinator 還暦目前にして芸術を学ぼう!と思いつき、京都芸術…

junko_hara

Writer/Coordinator 還暦目前にして芸術を学ぼう!と思いつき、京都芸術大学通信課程に入学。2019年3月に芸術教養学科卒業。ライティングを学びつつ、2022年東京藝術大学履修証明プログラム応募、2023年に無事修了。「自分を使い切る」を模索中です。

最近の記事

アフロ民藝ってなに?@森美術館

暑過ぎて家に篭るの巻 気温36℃は私の平均体温より高い…そして体感温度50度って…なにそれ? 家にいる方が安全であることは間違いない、特にシニアは😅 ならば次の民藝講座の予習も兼ねて、届いていたけどほぼ積読の『アフロ民藝』図録をしっかり読むことにして手に取ったら、思いがけず2011年にMET で観た「アレキサンダー・マックイーン サベージ・ビューティー」に繋がった❗️ 今頃になってそういうことだったかと気づいたので忘れないように書き出しておくことにした。 まず、アフロ民藝

    • YUMEJI 展@庭園美術館

      大正浪漫と新しい世界 竹久夢二の置き土産を愛でる。 大正浪漫という時代のあだ花の様な新しい世界はどこか不安定だったのではないだろうか。経済発展と価値観の急激な変化、西洋の新しい文化を取り入れ、独自の文化を構築しつつあった時代。 同時に文明の進歩が共振して揺れ動いた東京は関東大震災によって終わりを告げた。夢二は新聞連載のため、震災後の東京を歩きながらスケッチを描き文章を添えて残している。 「自然は文化を一朝一揺りにして、一瞬にして、太古を取返した。」 震災から程なくして大

      • 111年目の中原淳一展@松濤美術館

        島根県立石見美術館から巡回してくるのを楽しみにしていた。 展示を観てまず思ったのは、ただ綺麗なだけでは弱いということだった。 “ゼイタクな美しさではなく、神経のゆきとどいた美しさ。 理知の眼が自分をよく見ている美しさ。 そんな美しさを生み出していただきたいのです。” 『ひまわり第3巻第4号』1949年 “こんな時代を乗り切って美しく楽しくというのは、結局知性を高め、工夫する精神と美しさをキャッチする目を肥やすことであろう。” 『ソレイユ』第7号、1948年 人生はスカー

        • 日々是妄想: 劣化は止まらないらしい…

          都知事選挙公報見てそう思った。いつも文字情報として公報は必ず読むけど、今回の広報は読むところが少なすぎっていうか、内容が殆どない。読んで比較検討する必要もないくらいスカスカで驚いた。 これって資源の無駄遣いじゃないのか… 果たしてこれは、選挙公報という機能を果たしているのだろうか?或いはこのどうしようもない、ある意味でお目汚しみたいな読み物が、逆説的に祈りに通じるのだろうか?いや、そんな高邁な思想があるとは思えない。 それともこれは泡沫候補選手権で誰が最低得票かを、競い合う

        アフロ民藝ってなに?@森美術館

          日々是妄想: 骨太な刺繍ってありだね。

          青山悟 刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか。 @目黒区美術館 2024年6月9日まで 刺繍って聞くと何となく、可愛いとか手仕事、或いは装飾としてのイメージが浮かぶ。それらは総称して工芸とも言われるけれど、青山さんの刺繍はそういうイメージから百万光年くらい隔たったところにあった。 初めて作品を観たのは、京都で開催された『ドレスコード?-着る人たちのゲーム』展だった。ビンテージの新聞にコラージュと刺繍が施され、過去と現在が不思議なレイヤーで表現されていた。その完

          日々是妄想: 骨太な刺繍ってありだね。

          日々是妄想: 京都でカメラ散歩

          毎年恒例、京都グラフィー弾丸ツアー 京都グラフィーを観に行く様になったのはいつからだろう。写真のメモリーでチェックしたら2017年の記録が出てきた。恐らく、それからほぼ毎年行っている様に思う。 京都市内を会場とした展示は、常に刺激的で意外性があって、五感が喜ぶから好きなのだ。今回は五月晴れに恵まれ、歩くのも楽しかった。 テーマは『SOURCE』  はじまりですべてのものの起源 多分、最初の頃はテーマを読んでも、なんだかよくわかっていなかった。ただ観て感じることの方が心地

          日々是妄想: 京都でカメラ散歩

          日々是妄想: その違和感、どこから来るの?

          第8回横浜トリエンナーレ  “野草: いまここで生きてる”を観に行った 本日のコース(2024/4/28) 横浜美術館10時集合からのBankART KAIKO、旧第一銀行横浜支店、シメは中華街で打ち上げ。 お天気: 快晴 観終わってもう一度、今回の展示に関するステートメントを読み返してやっと、理解する糸口が見つかった気がした。pandemicというこれまで経験したことのない緊急事態を経て、私達の生活は否応なしに変わった。戦争の世紀であった20世紀から引き継いだ火種は消え

          日々是妄想: その違和感、どこから来るの?

          日々是妄想:時の流れに逆らってもねぇ…

          “ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし” 方丈記より引用 ほぼ40年ぶりに当時のアンファンテリブルに会った。おしゃれでやんちゃで、どこかトンガってた時代があったことを思い出した。 時間はある意味では残酷である。その実態も仕組みもわかっているようでわからない。緩慢に進むかと思えば、疾走する様に飛び去ったりもする。それもひとえに私の感覚の問題でしか

          日々是妄想:時の流れに逆らってもねぇ…

          日々是妄想: 学んだから気付けたことがある

          「建築十書」どこかで見たけど何だったっけ? 真鶴でのトークイベントの最中に出てきた著書に聞き覚えがあった…そう、大学で苦労して学んだアレ、 『芸術理論古典文献アンソロジー西洋編』だった。 京都芸術大学在学中に必死のパッチで受講した芸術理論…なんせ必修だったから逃げようがなかった。 散々な成績ではあったけど単位は取得した。 あまりにも手間がかかる課題で、電子書籍というわけにいかず、分厚いテキストを購入。今でも本棚に東洋編と共に積んである。 因みにレポートでは著者名を間違って

          日々是妄想: 学んだから気付けたことがある

          日々是妄想: センスはエビデンスに基づく

          なんとなくじゃ通用しないし、それじゃ弱い。センスが良いとはどういうことか。そこにリベラルアーツが必要不可欠と最近では思えるようになった。 遅いけど、成長ってことにしておこう。 さてお天気が良いので東京駅から有楽町抜けて銀座まで歩く。左膝が微妙だけど… 目的地1: 安井仲治-僕の大切な写真@ステーションギャラリー 戦前の神戸は知らないけれど、どこか日本人離れした感性を感じる。海外からの情報を取り入れ、自分なりに実践して解釈して消化することができた人だと思う。繊細だけど、ベー

          日々是妄想: センスはエビデンスに基づく

          日々是妄想:正しいは怪しい…

          中々たどり着けない夢をみた。 飛行機に乗るため空港に行こうとしているのに、何故かいつものように交通機関が使えず… 必死にあちこち乗り継いで、友人に助けて貰ってもたどり着けない… あと少しなのに届かない夢… 夢から覚めても、焦る気持ちが残る理不尽… 先月末、演劇のWSに初めて参加した。 俳優じゃない人限定!ワークショップ「人生の理不尽を演じてみませんか?」 ファシリテーターは岩井秀人さん(作家・演出家・プロデューサー) https://ware.mobi/members/i

          日々是妄想:正しいは怪しい…

          2024年1月 新年雑感

          2024年元旦、66歳になった。 久々に大晦日からひとりで過ごし、二日酔いもなく😆めでたく元旦の朝を迎えられた。それ普通かも知れないけど😅 元旦の朝、晴れ渡って雲ひとつない空のなんと清々しいことか。近所の神社の参拝を待つ行列を横目で見て通り過ぎ、散歩した。まさにI’m feeling goodな朝だった。 散歩から戻り、ささやかな正月のお膳を用意する。 一年に一度しか食べない伊達巻は、近所の蒲鉾屋さんのもの。決して安くないけど、良い素材で丁寧に作ってることが分かる逸品。以

          2024年1月 新年雑感

          『私の居た場所をあげる』

          川べりの町 川崎市多摩区 生まれ育ったのは多摩川のすぐそばの町だった。川には大きな橋が掛かり、東京と川崎を繋いでいた。子供の頃、両親は私の態度が気に入らないと必ず言った。 「おまえは橋の下で拾った子だから。」 子供だった私はそれを言われる度に、何故か納得していた。ここは私の家じゃないのだ。だから居心地が悪いんだ。そして1人になりたい時は、いつも川に行き橋の下でここじゃない何処かを想像してた。時代は高度成長期、全てが高速で進んでいた。 中学入学の時、初めて戸籍を見てガッカリし

          『私の居た場所をあげる』

          日々是妄想: ファーレ立川に行ってみた。

          アートトの講義で取り上げた作品と内容が気になって、立川でフィールドワークした。 行ったのは月曜日の昼過ぎ、はっきり言って立川は土地勘がなく、駅からどうやっていくのかもわかってなかった。とりあえず北口らしいと降りてはみたものの、暫し迷子状態となり結局、Googleに聞いた。 作品: 岡崎乾二郎《Mount Ida-イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》 1994年設置。 2022年に地権者である百貨店のリニューアルに伴い、撤去されることが決まったがのちに撤回。今

          日々是妄想: ファーレ立川に行ってみた。

          日々是妄想: 80-90年代のイメージとは?

          美術史講義振返り、感想及び余談含む備忘録として 今日の美術史講義では90年代(若干80年代含)が中心だった。当時まだ生まれていない受講者もいて、おばちゃんはビビった💦 自分の場合で言えば文化服装学院を卒業して、アパレル業界でフルタイム勤務、結婚して離婚して、アメリカ留学(敵前逃亡、現実逃避)まあまあ忙しかった時期である。 以下余談 思い起こせば95年頃、オウム真理教関連で警察の訪問を受けたりもした。信者ではなく単に巻き込まれ、市民として事情聴取に協力しただけ。 因みに高

          日々是妄想: 80-90年代のイメージとは?

          日々是妄想: 歴史に意識を向けること

          歴史が苦手で嫌いな人は意外と多い。私も得意からは程遠い。とはいえ歴史に関わらずに生きることは難しい。全ては大なり小なりの歴史の積み重ねによって今があるから。 好きも嫌いもなく、歴史はそこにあって常に現在進行形、無視することは不可能だし賢明とは言えない。何かが起きる必然は大概、歴史の中にある。故に意識することが大事だとやっとこの頃は思える様になった。通信制の大学に入って割とすぐに買った『詳説日本史図録』『詳説世界史図録』は今も本棚にある。 美術史を学ぶこと 今は近代美術史につ

          日々是妄想: 歴史に意識を向けること