日々是妄想: お盆だったね。
今頃になって気づくこともある。
確か7歳くらいだったと思う。風邪を拗らせて、死にかけたことがある。
40度くらい熱が出てトイレに這って行くくらい具合が悪くなった。食事も出来ず、母親がりんごのすりおろしを食べさせてくれたけど、病院には連れて行かれず。何故かそのまま寝かされていた。
夕方になって、帰宅した父親がぐったりして呼吸が荒い娘に気付き、慌てて布団から抱き上げ病院に連れて行かなかったらどうなっていたんだろうと今でも思う。
実際、危なかったらしい。レントゲン写真を持って慌てて診察室から先生が出てきたのを覚えている。
そのまま緊急入院することになり、すぐに近所の総合病院に連絡、私は父親の車に乗って病院に運ばれた。車の中で何故か「お寿司が食べたい…」と思ったのを最後に意識を失った。
気が付いたら病院のベッドで寝ていて、点滴を打たれていた。
気管支が痰で詰まり、無気肺になっていたらしい。レントゲン写真には真っ白になった肺が映し出され、医者曰く、診察が遅れたら危なかったとのこと。結局、その後3週間くらい入院した。
あの時、何故母親は私を医者に診せなかったのだろう。息が苦しいと訴えたのに。単に無知だったのか、それとも意図的にそうした?
この件を母親と話したことはない。ないけど本能的にこの人は頼りにならない。それは子供なりに認識したと思う。
自分の子供だからといって侮って良い理由はない。大人が思うより子供は敏感で本能的カンが鋭いのだ。この時以来、母と娘の関係はどこかギクシャクしてよそよそしくなった気がする。
母親が死んでから3年が過ぎたけれど、悲しみや寂しさを覚えることはない。
残念ながら母親とは縁はあったけれど、魂レベルでは噛み合わなかったと今になって理解した。
評価基準を常に世間体に合わせ、その考えを押し付けられることがストレスで、退院後に小児喘息を発症、その後は15歳にしてアレルギーと自律神経失調症を患った。
医者にこのままでは長生きは無理と太鼓判を押されながら、ここまで生きて来られたのは、ひとえに母親に逆らい、まともに言うことを聞かなかったおかげではと思っている。世間や他者の意見に評価基準を合わせる生き方は、わたしには向いていなかったのにそれを押し付けられた。結果として間違っているのは常に私だと決めつけられた。
“ママはそういうの嫌だわ。世間でなんて言われるか。恥ずかしいのはママなんだから。”
そのセリフの裏に私の思いを知ろうとする気配りがないことは明白だった。押し付けられたのは、実のところ母親の都合でしかない。
こういうセリフを何度も聞かされウンザリを通り越した娘は、成長するにつれてこの人は母親ではなく、限りなく他人と思うことにして、距離をおく習慣が身についた。
あの時、風邪をこじらせた私を死なせようとしたよね、ママ。少なくともそれはそれって思ってたでしょ?
だって病気で死ぬのは仕方ない、私は責められない。この子は弱いから悪いの。しょうがないじゃない。
自分を嫌っている娘を愛せるほど、ママは度量が広くなかったし、それは私も同じだった。見ない、聞かない、出来る限り衝突は避ける。そこはよく似てたかも知れない。だからこそ、私は最後まで悩みながらも冷静に状況判断が出来たと思う。
合わないとは言え、最期は私にできることはやった。数日間ではあったけど看取りもして、人のさいごを見せて貰った。愛情は無かったけど、義務と責任は感じていたし、長女としてそこは全うしたと思ってる。介護について言えば、正解とか完璧かどうかは問題じゃない。
生き残る側が、納得すればいい。私は納得したね。
基本、人は生まれた瞬間から修行。魂レベルで合わなくても面倒見てもらったからには、返さないといけない。最後の日々はそういうことだった。
幸いなことに、家族としては機能不全ではなかったから生活面で不自由した記憶はない。父親が外で働いて母親は洋裁の仕事をしながら家庭を支えたのは事実だし、間違いではない。それはまさに昭和のスタンダードな家族の姿でもあった。
両親が住んでいた家の片付けは、最終的に業者に丸投げした。母親を看取った部屋もベッドの跡だけ畳に残して何も無くなった。意外と広かったんだね。
綺麗さっぱり、何も無くなった部屋を母親が見たらと思うと、何故か笑いが込み上げた。
少しでも片付けようとする私に「いつか使うんだから捨てないで!」。ヒステリックに喚く声をもう聞かなくて良い。そう思ったら清々しい気分になった。
結局、いつかは来なかったわね、ママ。
自分が無知であることに疑問を抱かなければ幸せ。都合の悪いことは見なければ済む。自分以外の誰かがやればいい。
私には無理だわ、その生き方。
あの時、死に損なった子供は逆に生き物としてタフさは身につけた。傷を隠し何気ないフリができるくらいに。だとすれば、それはママのおかげ。これでも感謝はしてる。
まあ、気は合わなかったけど、私は生まれてきて良かったって思ってる。育ててくれてありがと。
それだけは嘘じゃないよ。じゃあね👋🏻