『うらみ』という感情を10年追って見えたもの(1)
1999年。わたしは厄介な遺言を預かりました。
わたしに遺言を託したその女性は、20代前半で、髪の毛は赤みが強いピンク色。服装はいつもジャージパンツをはいていました。
言葉には独特の尖ったリズムがあり、なんとなくご両親との確執が感じられました。
症状は顎の激しい痛みで、その原因は頬骨から発生した骨肉腫でした。
何度目かの施術中、彼女はその遺言を語りはじめました。
「純子先生、もしわたしに何かあったら(死んだら)母に伝えてほしいことがあります」
「ん?何ですか?」
「わたし、母のことをずっと恨んでいたと・・・伝えてください」
・・・この遺言。届られると思いますか?
当然わたしは断りました。
「言いたいことがあるのなら自分で言えばいいじゃないですか」
すると彼女は涙ぐみながら、
「まだダメなんです。先生じゃないとダメなんです」というのです。
それでも、どう考えてもこの遺言は届けられるとは思えないので、わたしは断り続けました。
すると彼女は、奇妙なことを聞いてきました。
「先生、好きの反対はなんだと思いますか?」
「嫌い?」
「ううん。スキの反対は、好きじゃない、なの」
「それはどういうこと?」
「わたしね、小さいころからずっと、人のことを嫌ってはいけません。恨んではいけません、って言われてきたんです。でも、人のことを恨んだことがない人は、恨みってことばを理解できるわけないじゃない」
それからしばらくして、彼女は亡くなりました。
でもさすがにあの遺言を伝えられるはずもなく、わたしはこの遺言を聞かなかったことにしてお墓まで持っていくつもりでした。
数週間後、わたしはトラックにはねられ、10メートルほど宙を舞いました。
この時、ものすごいスローモーションになったのです。
あーーーぶつかる、ぶ、つ、か、る・・・
自転車に乗っていたわたしは、このままだと自転車ごとひかれる!と思い、思いっきりバンパーを蹴って自転車から脱出しました。
宙を舞いながら、走馬灯を見ました。
その時わたしは、あの遺言だけは絶対に届けなければいけないものだということを知り、この世のものとは思えないほどの後悔が襲ってきました。
その後悔は、死ぬより辛い、今まで感じたどんな後悔より比べ物にならないくらい凄まじいものでした。
「神様お願いです!わたしにチャンスをください!あの遺言は絶対に届けます!」
必死にお願いすると、スローモーションがさらにゆっくりになり、着地の態勢を整える余裕が出てきました。
実際の秒数は2秒くらいだったと思うのですが、わたしの体感は、10分くらいに感じました。
ほとんど無傷で着地したものの、わたしは大きな課題を抱えました。
わたしが寿命を迎える時、あの遺言を伝えていなければ、またあの後悔をすることになる。
嫌だ。
あんな思いは二度としたくない。
この遺言は、伝えるしかない。
そこから、恨みという感情の研究がはじまりました。
つづく
目次
『うらみ』という感情を10年追って見えたもの(1)
『うらみ』という感情を10年追って見えたもの(2)
『うらみ』という感情を10年追って見えたもの(3)
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